Culture
2019.10.25

えっ!浦島太郎は中年男性だった?地域によって内容が違う「昔話」

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古くは「日本書紀」や「万葉集」にも記述が見られる『浦島太郎』。
亀の背中に乗り竜宮城へ行き、美しい乙姫様に会いご馳走になり、お土産の玉手箱を開けてしまった末に哀れ白髪のお爺さんになる…という私たちのよく知る物語に近づいたのは、室町時代の小説集「御伽草子(おとぎぞうし)」からだ。

『浦島太郎』は、テレビもインターネットもない時代から、親から子へと繰り返し語られることで日本中に拡がっていった。だから物語の展開は土地によって微妙にちがう。
そんなちがいを楽しめる、浦島絵本を紹介しよう。

いろんな浦島絵本

『はじめてのまんが日本昔ばなし うらしまたろう』

『はじめてのまんが日本昔ばなし うらしまたろう』 企画:川内彩友美 出版社:講談社 

子ども向けの、最も一般的な浦島太郎をと探して見つけたのが『はじめてのまんが日本昔ばなし うらしまたろう』。本屋の前の回転式の絵本コーナーに置いてあるような、薄くて小さな絵本だ。

この絵本の浦島太郎は「年を とった おっかさんと ふたりきり」の貧しい暮らしで「いつも ゆめを みることを わすれない、こころの やさしい わかもの」らしい。亀を助けるくらいだから優しい青年だとは思っていたが、夢見がちな青年とは初耳だ。

さて、浦島太郎が助けた亀に竜宮へ案内され、乙姫様に貰った玉手箱を開けてしまう。ここまでは一般的な浦島物語と同じだ。やれやれ定番の終わり方だなと思っていると、なんと最後のページでお爺さんになった浦島はいつの間にか空をふわふわと漂っているではないか。
「たろうには、うつくしい 海のそこの せかいが ゆめなのか、このせかいが ゆめなのか、よくわからなく なって しまいました」という夢オチとも思わせる結末になっている。

『一寸法師・さるかに合戦・ 浦島太郎』

『一寸法師・さるかに合戦・ 浦島太郎』関敬吾 編 出版社: 岩波文庫

複数の昔話が収録されている、岩波文庫『一寸法師・さるかに合戦・ 浦島太郎』。こちらは絵本ではないが、人物描写の細かさが特徴的なのでぜひ手にとってもらいたい。この『浦島太郎』、子供は登場しないし、亀もいじめられていない。内容はこうだ。

浦島太郎は40近い中年の貧しい漁師で80に近い老母と暮らしている。ある日、魚釣りに出掛けた浦島は亀を釣ってしまい、逃がしてやる。陽が暮れてしまったので舟を押していると渡海舟(とかいせん)がやってきて、浦島はその舟で竜宮城へ向かう。2、3日過ごすつもりが3年も楽しんでしまった浦島は、帰りがけに三重ねの玉手箱をもらう。故郷に帰ると家はなし。
困って1つ目の箱を開けると鶴の羽が入っている。
2つ目の箱を開けると中から白煙があがる。
3つ目の箱には鏡が入っていて、それで顔を見るとお爺さんになってしまう。
すると先ほどの鶴の羽が背中についてしまった。母の墓のまわりを飛んでいると乙姫様が亀になって様子を見に来て共に舞を舞う。そんな美しいエンディングになっている。

『アニメむかしむかし絵本 うらしまたろう』

『アニメむかしむかし絵本 うらしまたろう』 文:西本鶏介 絵:高橋信也 出版者:ポプラ社

『アニメむかしむかし絵本 うらしまたろう』の浦島の家も母一人、子一人で暮らしている。心の優しい夢見がちの若者との描写はないが、どうみても気の弱そうな顔をしている。

なるほど、浦島は亀を助けた。資本主義の世の中らしく、子供たちにいじめられていた亀を買いとったのだ。しかもいじめている子供たちは、その亀をどうするつもりだと聞く浦島にはっきりと「まちへ うりに いく。」と宣言している。
子供向けの絵本なのに、お金で解決するのは教育上いかがなものか…。

そして、助けた亀が現れる。「うらしまさん、うらしまさん」と突然話しかける亀に浦島はびっくりするが、さらに驚くことが起きる。亀は浦島の眼の前で突然大きくなったのだ。しかし、この亀の変身に浦島は驚かない。
いや、内心慌てているのかもしれないが、そうは見えない。なぜなら、浦島は「なんだか いい きもちに なってきて、いつのまにか ねむりこんで」しまったからだ。
目を覚ますと、竜宮へ着いている。乙姫様が鈴の鳴るような声で出迎える。隣に座ってお酒まで注いでくれる。しかもすごく美人の乙姫様だ。なんてサービスのよい竜宮城だろう。浦島の幸せそうな姿が印象的だ。

しかしなぜ、浦島は毎回お母さんと二人暮らしなのだろうか。

『浦島太郎』

『浦島太郎』 絵:笠松紫浪 出版社:講談社

新講談社の絵本『浦島太郎』もまた、お金で買い取って亀を救っている。しかし、こちらの浦島は両親と暮らしている設定だ。
内容的には一般的な浦島物語と一緒だが、なんと序文に日本の美術家・横尾忠則の文が添えてある。画は笠松紫浪によるもの。

笠松紫浪(1898-1991)は明治生まれの作家で、日本画家・鈴木清方(1878-1972)の門に学んだ。鳥や植物、魚など身近な生き物を題材にして木版画における新しい表現を探究し続けた作家だ。

ページいっぱいに描かれた魚や楽園を思わせる植物の繊細な描写は他の絵本を寄せつけない重厚な雰囲気を演出している。

『うらしまたろう』

『うらしまたろう』作:松谷みよ子 絵:いわさきちひろ 出版社:偕成社

いわさきちひろの描く美しく鮮やかな絵本『うらしまたろう』で浦島太郎が助けたのは、五色に輝く、手のひらより小さな亀だ。

さて翌日、亀がお礼に現れる。絵本によっては亀がお礼に現れるのに数年を要することもあるので、この亀はとても礼が早い。さて、この亀が浦島を竜宮へ連れていってくれるらしい。そこで浦島が最初に出合うのは乙姫様ではなく竜王様。なんと昨日助けた亀は乙姫様だったのだ。

海の底は山もあれば谷もあり、田んぼもある。植えたばかりの稲はぐんぐん伸びて、冬もくる。海の底は美しい雪景色に包まれる。やがて乙姫様に引きとめられながらも浦島は地上に帰る。乙姫様は「これさえあれば、また りゅうぐうへ かえることが できる たからものです」と言って玉手箱を渡す。
故郷に戻った浦島はその変化に驚き、寂しさから玉手箱を開けてしまう。「あけては いけないと いったのに。あなたの わかい いのちを そのはこに しまっておいたのに。」なんと箱には、浦島の時間が収められていたらしい。

海底世界が地上の生活とよく似ていたり、竜王様が登場したり、「ちょっと意外」で「聞きなれない」展開をみせる、いわさきちひろの『うらしまたろう』。
この絵本の作者、児童文学者の松谷みよ子は各地に残された浦島伝説をもとにこの絵本を書いたという。だから、ここに描かれる浦島世界は各地に残る、バリエーション豊かな浦島物語の断片なのだ。

日本各地に伝わる浦島伝説

福井県の浦島太郎

福井県に伝わる浦島太郎は、継母(ままはは)と住吉詣にでかけた折に、迷って海辺に出てしまう。そこで子供に苛められている亀を助けようとするもお金がない。それを子供に見抜かれ、しかたなく着ていた着物を子供に渡して亀の子を助けるのだ。そこまでされたら亀も黙って帰るわけにもいかない。
その後、竜宮城に向かい乙姫に歓迎をうけ玉手箱をお土産に渡されるまでは一般的な浦島物語と同じだ。ただ、どうして浦島くんが継子なのかは分からない。しかも、玉手箱だけでなく「竜眼晴(耳を当てると鳥や獣の声を聞くことができる)」も貰っている。

宮古島の浦島太郎

宮古島には浦島太郎によく似た話が残っていて、こちらでは漁師が助けるのは亀でなく「エイ」になっている。
そのエイがお礼に竜宮城へ招かれるのだがなんと「お父さん」と呼びかけられる。なぜお父さんと呼ぶのか訊ねると、お母さん(乙姫)にお父さんを連れてくるようにと言付かったからだと言う。漁師は「瑠璃の壷」を持たされて帰る。壷には不老長寿の酒が入っており、島に戻った漁師はそれを売り大金持ちになったそう。

そのほかの地方の浦島太郎

秋田県仙北郡角館地方では、毎年正月に松と譲葉を川に流して竜宮にあげている信心深い炭焼きのもとに乙姫が現れる。舞台は山間部だから、亀は当然いない。主人公も漁師でなく炭焼きに転職している。

奄美群島の南西部に位置する沖永良部島(おきのえらぶじま)の浦島太郎も地域色がよく表現されている。ここでも亀も乙姫も登場しないが、釣り針をなくした弟が竜宮城に行くという物語が繰りひろげられる。

浦島太郎はどうしてお爺さんになってしまったのだろう?

亀を助けたのになぜ浦島太郎はお爺さんにならなくてはならないのだろう?すこしの間、竜宮城で美味しい物を食べて踊りを楽しんだだけなのに。動物愛護の振る舞いをした優しい青年の結末はあまりにも悲惨だ。

「約束を破ると浦島太郎みたいになってしまいますよ」と読者を諭しているのだろうか。あるいは、楽園に安住できない人間の心や置き去りにされた寂しさだとか、人生の苦しさや孤独を語っているのだろうか。答えは分からない。

ただ、若い浦島太郎が玉手箱を開けて、一筋の白い煙が立ち上る場面はいつも悲しい雰囲気が漂っている。絵本に描かれることで、その印象はさらに深くなる。

昔話と日本人

昔話のストーリーは素朴だ。日本の昔話は、その素朴な物語のなかに自然の描写を美しく織り込んでいる。
万物すべてが人間と同等に並び、女性や自然の美しさがまるで宝物のように存在している。これは日本人が自然を大切に扱い、動物に敬意を示し、愛していた心の表れのようにも思える。
あるいは八百万の神の国であることの教えが昔話の延長線上にあるのかもしれない。ここに描かれているのは人間が忘れてしまった記憶であり、かつての暮らしだ。そして、海の彼方に理想郷を見た、現世に生きる人間にとっての夢物語でもある。

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。