フランス映画『太陽がいっぱい』は他人になりすますため、アラン・ドロン扮する主人公が必死にサインを真似る場面を効果的に描いています。欧米では、サインがすべてだからです。目前の書類に「本当に署名してもいいか」と自問する時間を作るため、モンブランは万年筆のキャップを面倒なネジ式にしました。
契約書や証明書などの大事な書類を取り交わすとき、日本では、サインよりも印鑑を求められます。個人や法人を証明する力(信用力)をもっているからです。実印に三文判のような天地(上下)を示す目印がないのは印面を見ながら上下を判別させることで決断のための「間」を持たせる工夫なのだそうです。モンブランのキャップに込められた仕掛けと同じです。
公式な場面で使う印鑑とは別に、スタンプ台や朱肉がなくてもポンポン押せる商品として1965年に誕生したのがシヤチハタ株式会社の「Xスタンパー」です。その中でも、朱肉のいらないハンコとして1968年に登場したネーム印は「シャチハタ」(社名表記は「シヤチハタ」)と呼ばれ、社名が商品名として使われるくらい普及しました。皆さんも1度はお世話になったのでは?
日の丸+鯱=シヤチハタ
シヤチハタの前身である舟橋商会は、インキを補充せずに連続して使うことのできる「万年スタンプ台」を開発し、スタンプ台メーカーとして1925年に創業しました。
当時のスタンプ台は表面からすぐにインキが蒸発してしまうため、使うたびにインキをスタンプ台に染み込ませる必要がありましたが、その作業が省けるとあって大変評判になりました。
創業者たちは万年スタンプ台のシンボルマークに国旗の「日の丸」を考えていましたが、商標登録上の問題から、日の丸の中に鯱(シャチホコ)を納めたデザインにしました。鯱は創業者の出身地、名古屋のシンボルだからです。
これを機に、この商品は「鯱旗印(シヤチハタジルシ)の万年スタンプ台」と呼ばれるようになりました。1941年には「シヤチハタ」が社名にも使われるようになりました。
危機感から生まれたXスタンパー
創業以来、主力の万年スタンプ台で売り上げを伸ばしてきた同社も高度経済成長期に進んだ事務の合理化で「スタンプ台がいらない商品が他社で作られるのではないか」という危機感に包まれます。そこで「たとえスタンプ台を否定する商品であっても先に作ろう」と手がけたのが「Xスタンパー」でした。
1965年に主にビジネスや業務向けのスタンプとして「請求書在中」「速達」などのビジネス印を発売。3年後の1968年には「登録印は無理でもビジネス上の簡易なハンコなら問題ない」との判断から、ネーム印を発売しました。
では、ネーム印はどんな仕組みで印字できるのでしょうか。
ネーム印の印面部分、つまり名字が記された部分にはインキを含んだ多孔質ゴムが使われています。多孔質ゴムとは、読んで字のごとく、無数の穴が開いたスポンジ状の特殊なゴムです。
筒状の本体を捺印すると、多孔質ゴムに含まれるインキが穴を伝って流れていき、適量のインキが紙に転写されるというわけです。流れるインキをコントロールするために、穴の大きさを加減したり、連続して捺(お)せるように、毛細管現象の利用で常に印面が潤うようにする工夫を凝らしたりもしています。
辿り着いた、ゴムに塩を練り込む方法
スタンプ台や朱肉のいらないXスタンパーは今でこそ、当たり前のように使われていますが、開発当初は苦労の連続でした。ゴム印にインキを含ませるという考えはずっと前から温められていました。しかし、それを実現するのが容易でなかったのです。
とくに、これまでほとんど扱ったことのないゴムとどう向き合うか。知識も設備もない中で、多孔質ゴムを作るのに当時の開発陣は頭を痛めました。実際、発売当初は品質が安定せず、クレームによる返品の山がいくつもでき、役員自らがクレーム処理に追われるほどでした。
何度も失敗を重ねた末に、開発者が辿り着いた方法は「塩を使う」ことでした。技術陣は理想的な特殊ゴムを開発するために、来る日も来る日も溶解性のものをゴムに入れて取り出すさまざまな研究に知恵を絞りました。
ゴムはスポンジ状であるばかりでなく、穴同士がつながっている必要があります。このため、練り込む物質だけでなく、練り込む量も工夫しました。そうした地道な試行錯誤を繰り返した結果、塩が最適であることが分かったのです。
塩はゴムとなる原料と一緒に混ぜ合わされます。それをお湯の中に一日近く浸しておくと、ゴムの中から塩が溶け出します。塩が溶けた後には無数の細かい穴ができています。この穴がインキを貯め、押すときに最適な量のインキが印面から出るようにしました。
振り返ると、商品化までに約10余年の歳月を費やしていました。
「印鑑が売れなくなる」と印判店が猛反発
ネーム印が発売された当初、印鑑類を扱う印判店は「印鑑が売れなくなる」と猛反発。死活問題になると危機感を募らせました。当時の営業陣は「印鑑とは違う簡易なハンコです」と粘り強く説明に回りました。
しかし、世間の受け止め方は真逆でした。従来の印鑑ではない、新しいハンコという革新的なイメージが歓迎されたのです。その結果、ネーム印はビジネスや家庭で利便性のあるハンコとして一気に広まりました。
大阪万博70でデモンストレーション
商品としての素晴らしさをより多くの人に知ってもらうため、同社は1970年の大阪万博に出展し、記念スタンプとして来場者に使ってもらいました。Xスタンパーの利便性や耐久性はこのような機会を通じてさらに広まりました。
これを契機に市場にも認められ、Xスタンパーの知名度は向上。ネーム印やビジネス印の売り上げも増え、会社の成長を支える新たな柱となりました。
ネーム印の中でもロングセラーである「ネーム9」の累計販売本数は発売以来、約1憶8000万本に達しています(2019年3月現在)。つまり、理屈の上では日本国民のすべてに行き渡っている計算になります。
働き方改革を視野に入れたサービスも
ネーム印の誕生から半世紀以上を経て、シリーズ商品も進化しています。例えば、名前と日付を同時に捺印し、書類管理などに活用できる「データーネーム」は事務作業の効率化に一役。使う人の多様性に合わせて、さまざまなボディ形状やカラー、立体的に見える書体など、豊富なバリエーションも揃っています。
パソコンだけでなく、スマートフォンなどのモバイル端末で捺印を使った業務決裁ができる「パソコン決裁Cloud」も発売されています。日本の文化に深く根付いたハンコの伝統は働き方改革という、今日的なビジネス分野でも、くっきりと印影を残しているようです。