もしも、東京都庁舎が横に長い低層ビルであったら?
もしも、新国立競技場が当初の予定どおりザハ・ハディド案で建てられたら?
そうした実現されなかった建築物に焦点をあてた展覧会「インポッシブル・アーキテクチャー ―建築家たちの夢」展が、国立国際美術館(大阪市)にて、2020年2月28日まで開催されています。
本展では、あえて提案にとどめたコンセプチュアルな作品、既存制度への批評精神の発露を目的とした作品、外部的な要因で実現できずに終わった作品など、さまざまな事情で未完に終わった建築物が、図面、模型、資料の形で一堂に会しています。
そうした作品は、ある種のアートとして、後世へと語り継いでいきたくなる魅力を放っています。
取り上げているのは、20世紀以降の国内外の建築家やアーティスト40名の作品ですが、その中から、日本人の建築家による「傑作」3点を紹介しましょう。
国立京都国際会館設計競技案(菊竹清訓)
1960年代初頭、国連会議場、パレ・デ・ナシオン(国際連合ジュネーヴ事務局)に次ぐ、当時としては世界第3位の規模となる国際会議場を、京都市に建設するという壮大な計画が立ち上がりました。
設計案は、当時の日本では珍しかったコンペ方式をとり、195作品もの応募がありました。この中から(実際に建設される)最優秀作品1点、そして優秀作品3点が選考されます。13回にわたる審査会によって選ばれたのは、最優秀作品に大谷幸夫、優秀作品に芦原義信、大高正人、菊竹清訓(きよのり)の作品でした。
大谷案については、「日本古来の合掌造りを生かして、空間構成に順逆台形をたくみに取り入れたもので、しかもその組み合わせには、すばらしい統一が図られており、日本建築の伝統美を生かした上にも、国際会議場にふさわしい平面構成、立体構成をもつもの」と評せられました。
他方、菊竹案については、「全応募作品中最大の問題作」、「実施してみたい期待は非常に高かった」など評価が寄せられ、日本の戦後コンペ史上最も話題となりました。後年、江戸東京博物館など奇想の建築物を実現しながら、アンビルトに終わった京都国際会館設計案が菊竹の「代表作」とまで言われます。
菊竹案は、展示会場では模型(制作は早稲田大学古谷誠章研究室)として再現されています。
資料によれば、これは「軽量なプレキャストコンクリート部材を、巨大な井桁に組み重ねて梁とし、上層ほど幅の増す逆台形のボリューム全体を列柱で空中に持ちあげる。外光の導入、眺望の確保を特に重視していたが、審査員には逆に閉鎖的に見えたという」とあります。会議室が、エレベーターを上がって最上階にあるのは「最も大切なものを最も上にするという象徴性の再現」という意図があったそうですが、審査員に疑問視されたようです。
中之島プロジェクトII―アーバンエッグ(計画案)(安藤忠雄)
現代建築界の巨匠、安藤忠雄は、旧大阪市庁舎の改築コンペ(1978年)の際、(コンペには参加しなかったのですが)自発的な提案として「既存建物を巨大な建造物で覆うことによって外部空間と一体化させる計画」を立案しました。これは、「中之島プロジェクトI」と呼ばれました。
その第2弾となる「中之島プロジェクトII―アーバンエッグ」(1988年)は、当時老朽化が進んでいた大阪市中央公会堂(中之島公会堂)の再生計画です。これも安藤が、自ら発案したもので、自治体による依頼やコンペがあってのものではありませんでした。
その内容は、鉄筋煉瓦造り地上3階、地下2階の建物の内部に、巨大な卵形の構造体(アーバンエッグ)があるというものです。アーバンエッグの内部は約400人を収容する小ホールとし、外部はギャラリーとなります。
この大胆な発想のプロジェクトは、実現することはありませんでした。ですが、安藤は、ヴェネチアの古い税関倉庫を美術館としてよみがえらせる「プンタ・デラ・ドガーナ再生計画」(2006~09年)において、この精神を受け継いだかのような建築様式、つまり「歴史的建築物に幾何形体の近代的な構造を組み合わせることによって“再生”」させることを見事に実現しています。
東京都新都庁舎計画(磯崎新)
1980年代半ば、丸の内の敷地に13ものビルに分散していた都庁舎を、新宿に移転するとともに新都庁舎を建設する計画が具体化。新都庁舎設計のコンペが実施されます。
そのコンペに参加したのは9社。結果から先に明かしてしまうと、丹下健三都市建築設計研究所の案が採用されました。審査員の1人の評によれば「見事な諸機能のレイアウト、巧みな周辺計画とともに、華麗なレースの衣装をまとう後期ゴシック風ともみまごう絢爛なデザインによって、高い評価を得た」とありますが、「過剰な装飾性」が賛否両論を巻き起こしたそうです。
一方、本展で取り上げられ、模型が展示されているのは、磯崎新(あらた)率いる磯崎新アトリエが手がけたものです。磯崎は、若い頃に丹下健三のもとで働いていたことがあり、はからずも宿命の師弟対決となりました。
磯崎は、超高層ビルの2案のほかに低層ビルの案も考え、最終的にコンペに提出したのは、指名された業者の中で唯一の低層ビル案。と言っても、地上23階建てもあるものですが、必然的に横に伸びたデザインは、審査員には奇抜なものに映りました。
ある審査員は、「唯一の百メートル以下の提案として、安易な超高層化を排除しようとしたひとつの見識を示すものとして評価され、(中略)再三浮上し、俎上に挙げられながらも超法規的であるし、これを当選案にするわけにはいかないが議論の対象になろう」とコメントしました。
磯崎が、コンペで不利になると半ば予想しつつ低層ビルにこだわったのは、一つには「縦割り行政から横へのネットワークを促す」ことにあったそうです。また、高さ約90メートル、長さ約300メートルもの吹き抜け構造を設けたのは、「シティホールとは庁舎建築そのものではなくて、大広間であり、前面の広場であるから、大空間をもった大広間そのものが象徴性を体現していると考えたため、高さを競うことも、そこに派手な衣装をまとわせることもさけて、崇高性をもつような過剰な空間をこそ重視」したと、後年語っています。
都庁本案圖(山口晃)
本展では、実際に建設されることをねらったコンペ案だけでなく、最初からアートとして制作したものも展示されています。
その1つが油彩・水墨・墨で描かれた「都庁本案圖」(2018年)です。絵画からインスタレーションまで多岐にわたる活躍をする会田誠が原画「東京都庁はこうだった方が良かったのでは?の図」を描き、それを元に画家の山口晃が「清書」して「都庁本案圖」として仕上げたコラボ作品です。両作品とも展示されていますが、ここでは「都庁本案圖」を載せましょう。
見てのとおり、数層の天守閣をいただく超高層の城郭建築で、石垣に見えるのは「青っぽいミラーガラス」で「枠はアルミ」だそうです。現実世界のシンボリックな摩天楼である都庁舎へのアンチテーゼでなく、「無私な善意」による提言だそうで、もちろん何らかの形で具現化することを期待したものではありません。こうした遊び心のある、肩肘張らない作品も展示されています。
本展は、「もしこの建築物が実現していたら?」という、見る人の想像力を喚起するとともに、現代建築が持つ幅広い可能性にも思いをめぐらせる格好の機会になると思います。大阪市内に立ち寄られた際は、観に行かれることをお勧めします。
「インポッシブル・アーキテクチャー ―建築家たちの夢」展 基本情報
会場:国立国際美術館
住所:大阪府大阪市北区中之島4-2-55
電話:06-6447-4680 (代)
期間:~2020年2月28日
時間:10:00~17:00(入場は16:30まで) 金・土曜日は20:00まで(入場は19:30まで)
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合、翌日火曜が休館)
観覧料(一般):900円
公式サイト:http://www.nmao.go.jp/
参考・引用図書
『インポッシブル・アーキテクチャー』(埼玉県立近代美術館、新潟市美術館、広島市現代美術館、国立国際美術館 編、 五十嵐太郎監修/平凡社)
『磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ』(平松剛/文藝春秋)
『国立京都国際会館二十年のあゆみ』(財団法人国立京都国際会館)
『国立国際会館設計競技応募作品集』(営繕協会 編/日本建築学会)