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2020.03.18

安倍晴明は平安時代のスーパー国家公務員だった?羽生結弦の心も掴んだミステリアスガイの謎に迫る

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フィギュアスケートの羽生結弦選手が、平昌オリンピック・フリープログラム「SEIMEI」で見せた鬼気迫る演技は、多くの人の記憶に残っていることでしょう。ソチオリンピックに続く2連覇を成し遂げた彼の姿は、まさに神がかった印象でした。2020年、羽生結弦選手はフリープログラムに、「SEIMEI」を再び取り入れて話題になっています。トップアスリートの心をもつかむ、SEIMEIこと安倍晴明(あべのせいめい)にまつわる伝説をご紹介します。

羽生結弦選手も詣でたパワースポット

京都市上京区、堀川通り沿いに安倍晴明を祀る晴明神社があります。羽生結弦選手が参拝し、金メダルを獲得したことから、注目を集めました。寛弘4(1007)年に、安倍晴明の偉業を讃えた一条天皇の命により創設したと言われています。晴明の屋敷跡に社殿が設けられたこの神社は、「魔除け」「厄除け」のご利益が得られると、信仰を集めてきました。

境内には晴明の念力によって湧き出したという井戸、「晴明井(せいめいのいど)」があり、これを写真に撮って携帯電話の待ち受け画面にすると、幸せが訪れるという噂があります。この井戸は可動式で、その年の吉報方向へ水の流れを向けられているのが特徴。縁起のいい水として、ご利益にあやかろうと地元の人や参拝客がくんでいく姿が見られます。この水でお茶を入れたら格別でしょうね。

人気小説「陰陽師」は、漫画化や映画化で一代ムーブメントに!

1988年に刊行された夢枕獏の伝奇小説「陰陽師」は安倍晴明の活躍を描いたもので、シリーズ化される人気作品になりました。1993年には岡野玲子が漫画化し、こちらも多くの支持を得ました。平安時代の史実を基に、美しい和風ファンタジーの世界を繰り広げています。

『陰陽師』あらすじ 平安時代、人と鬼が共に生きた時代。幼いころから怨霊が見えたり、災いを未然に防ぐ能力を持った安倍晴明は、最強の陰陽師として世間に知られるようになります。晴明が様々な怪事件を解決していく姿が、美しい図柄で描かれます。晴明は特殊能力を持つが故、周囲から恐れられたり、疎まれたりするため、滅多に人に心を開かない謎めいた存在。ただ一人の友人、貴族の源博雅(みなもとのひろまさ)とは親交を深めており、魑魅魍魎(ちみもうりょう)とした世界の戦いのなかで、唯一の救いとなっています。

2001年には野村萬斎主演の映画「陰陽師」が公開されて大ヒット。能楽師狂言方として活躍する野村萬斎の佇まいが、安倍晴明にぴったりと評判になりました。この配役は、原作者・夢枕獏たっての希望だったとか。第44回ブルーリボン賞主演男優賞など数々の賞を受賞し、興行的にも成功を収めました。

羽生結弦選手のフリープログラム「SEIMEI」は、この作品のサウンドトラックが使われています。スケートの振付の中にある、顔の前方で人差し指を立て、もう一方の手を頭上でひるがえす印象的なポーズ。この決めポーズは、野村萬斎のアドバイスを参考にしたそうです。現在、ゲームやアニメでも安倍晴明や陰陽師を扱った作品が多くみられ、謎めいたキャラクターの人気が続いていることがうかがえます。

安倍晴明とは一体何者?

安倍晴明は延喜21(921)年に生まれたと伝えられています。陰陽師、加茂忠行(かものただゆき)・保憲(やすのり)親子に陰陽道(おんみょうどう・古代中国で生まれた自然哲学思想)を学び、天文道(てんもんどう・天文現象の異常を観測し、影響を研究する学問)を伝授されます。

早くから才能を発揮していた晴明ですが、中々出世の機会はありませんでした。40代後半になってから陰陽師として貴族達に認められ、やがて一条天皇や藤原道長の信頼を集めるようになります。道長の日記、「御堂関白記(みどうかんぱくき)」や平安時代の公卿藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記、「小右記(しょうゆうき)」には、晴明の活躍が記されています。一条天皇の急病を晴明が禊(みそぎ)を行って回復させたことや、深刻な干ばつが続いたため、晴明が雨ごいの儀式を行ったところ雨が降ったと書かれています。史実の陰陽師は、宮廷の総務を担当する役職で、飢饉や疫病が発生する平安時代の、頼れるスーパー国家公務員だったようです。

不思議な伝説が残る一条戻橋

晴明神社から南へ約100メートルの場所にある一条戻橋は、晴明とゆかりが深い場所。晴明は日常の雑用を、式神(しきがみ)にさせていたという伝説が残っています。式神とは陰陽道などで使われる鬼神・使役神のことで人の目には見えません。晴明は式神をを使うのに長けていて、屋敷内の雑用から掃除、儀式など様々なことをさせていました。しかし、それを妻が気味悪がったので、一条戻橋のたもとに式神を隠し、用事がある毎に呼び出していたんだとか。現在の橋は平成7年に架け替えられたものですが、先代の欄干の親柱を移築したミニサイズの一条戻橋が、晴明神社で見ることができます。

この橋の名前の由来は、天台宗の僧・浄蔵が父・三善清行(みよしきよつら)の死の知らせを聞いて舞い戻るも、この橋の上で葬列に遭遇。念仏を唱えたところ、父清行は一時的に蘇生して、お互いに言葉を交わしたという伝説からきています。
晴明の父の保名(やすな)が芦屋道満(あしやどうまん)によってこの橋の上で殺された時、晴明が呪法を駆使して蘇生させたという話もあり、「あの世」と「この世」をつなぐ場所と言われています。

京都に住む人々は「戻り」にこだわり、嫁いだ先から戻ってこないようにと、婚礼時には一条戻橋を渡らないように遠回りする風習が今も残っているそうです。

平安時代から変わらず同じ場所にある一条戻橋

安倍清明神社で知るミステリアスな出自

謎めいた晴明の出身地は諸説ありますが、大阪が有力とされています。誕生の地とされる阿倍野(大阪市阿倍野区)には、晴明を祀る安倍晴明神社があり、出自にまつわる伝説が残っています。

晴明は阿倍野の豪族だった安倍保名(あべのやすな)と、葛の葉と名乗る白狐との間に生まれました。正体が白狐であると周囲に発覚した時、「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」と葛の葉は障子に書き残して姿を消し、森へと帰っていきます。保名に命を救われた葛の葉が、恩返しのために人間世界へやってきて、美しい女の姿に変えていたのです。残された男の子は晴明と名乗り、母から受け継いだ霊力を発揮して、陰陽師として大成したのでした。

安倍晴明神社は、晴明没後の寛弘4(1007)年の創設とされ、境内には晴明誕生の地を示す石碑や、産湯に使った井戸を再現した「産湯井の跡(うぶゆいのあと)」などが見られます。

阿倍晴明神社近くにそびえる超高層ビル、あべのハルカス

文楽に描かれた「葛の葉子別れ」は 、感動の名作

晴明の母の悲しい「葛の葉伝説」は、文楽「芦屋道満大内鏡(あしやどうまんおおうちかがみ)」で舞台化され、享保19(1734)年に初演されると評判を呼びます。親子の情愛を描いた感動作は時代を経ても人気で、現在でも度々上演されています。

安倍保名(あべのやすな)と芦屋道満(あしやのみちたる)の相続争いで、保名の恋人榊の前(さかきのまえ)は陰謀によって自殺してしまいます。悲しみのあまり狂った保名は恋人の小袖(こそで)を抱いてさまよいますが、榊の前の妹、葛の葉の介抱で我に返ります。

保名は葛の葉と夫婦になり男の子を授かり、阿部野の里で穏やかに暮らしていました。あるとき、葛の葉は白狐が化けたものであることが発覚してしまいます。保名を慕う真実の葛の葉が、両親と共に訪ねてきたからです。全てを悟った白狐は、決心をして、我が子を抱きながらせつせつと語ります。そして夫と子どもへの思いを残しながら古巣へ立ち去っていくのでした。我が子との別れの場面では、語りの最中に紫色の衣装から突然、狐を表す白い衣装に早変わりするのが、見どころになっています。

この作品の深いところは、狐とわかった時の主人公達の心情です。保名は、「狐でもかまわない、これからも親子3人で暮らしたい」と嘆き、本物の葛の葉の父は、「そんな事情があると知っていたら、娘を連れて急に訪ねてきたりしないのに」と悔やむのです。そして葛の葉は、母代わりに子どもを育てようと決意します。自分達とは異なる世界の狐を思いやる気持が、ただの不可思議な出来事ではなく、情感にあふれた物語として胸に迫ります。

「芦屋道満大内鏡」は歌舞伎でも上演され、人気の高い演目です。また落語では「葛の葉伝説」を題材にした上方落語「天神山」、江戸落語「葛の葉」があり、演者の力量が必要な作品と言われています。

人気漫画「鬼滅の刃」聖地の神社もあった!

現在空前の大ヒットとなっている漫画「鬼滅の刃(きめつのやいば)」。この作品も、主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)少年が陰陽師さながらに異界の鬼と対決していく姿を描いています。時は大正時代、炭売りだった炭治郎は、家族を人食い鬼に殺され、そのためにあだ討ちを決心し、鬼になってしまった妹を人間に戻すため奮闘を続けます。やがて鬼狩り集団「鬼殺隊(きさつたい)」に入り鍛錬を積む内に、仲間も増えてきます。

この漫画の特徴は、主人公が超人的な特殊能力や武器を持っている訳ではなく、努力を重ねて強くなっていくこと。そして、時には敵までを思いやる底なしの優しさを持っているところです。この人情に溢れたキャラクターに惹かれてか、普段は少年漫画を読まない中高年の世代にまでファンが増えているそうです。

今インターネットを中心に話題になっているのが、福岡県太宰府市の「宝満宮竈門(ほうまんじかまど)神社」。主人公と同じ名前なので、関連があるのではないかと噂されています。聖地として訪れる人も多いそう。ゆかりの神社などを巡って、伝説や物語に思いをはせるのもいいかもしれません。

関連公式ウェブサイト

晴明神社 

安倍晴明神社 

宝満宮竈門神社 

書いた人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。