Culture
2020.03.24

青いだんだら羽織はメインの隊服じゃなかった?新選組7年間の歴史をぎゅぎゅっと解説

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映画や大河ドラマ・小説・漫画などで大人気の新選組。『るろうに剣心』『燃えよ剣』など、2020年公開予定の新選組関連映画もあり、話題となっていますね。

でも、新選組ってどんな組織だったのでしょう? 新選組の概要をざっくり見ていきましょう。

新選組って何?

新選組は、主に幕末の京都で活動した組織で、京都守護職の会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)を直属の上司とした治安維持部隊です。人斬りのイメージがあるかもしれませんが、京都の街に不穏な動きがないか見回ったり、対象者を大勢で取り囲んで捕縛(ほばく)したりすることを主な目的としていて、その場で斬るようなことは稀でした。

また、有名なだんだら羽織が使われた時期は意外にも短く、黒一色の装束がメインの隊服として使われていました。

新選組の主要メンバー

新選組は何度か組織変更をしましたが、主なメンバーは以下の通りです。

近藤勇(こんどういさみ)

局長(隊長)。江戸で天然理心流武術の道場主をしていた。

土方歳三(ひじかたとしぞう)

副長。近藤の幼馴染で道場の門下生。

山南敬助(さんなんけいすけ)

副長。近藤の道場の門下生。もとは他流の使い手。

沖田総司(おきたそうじ)

一番組長。近藤の道場の門下生。

永倉新八(ながくらしんぱち)

二番組長。近藤の道場に出入りしていた他流の剣士。

斎藤一(さいとうはじめ)

三番組長。近藤の道場ゆかりの人物(詳細不明)。

井上源三郎(いのうえげんざぶろう)

六番組長。近藤の道場の門下生。

藤堂平助(とうどうへいすけ)

八番組長。近藤の道場に出入りしていた他流の剣士。

原田左之助(はらださのすけ)

十番組長。近藤の道場に出入りしていた他流の槍使い。

新選組の歴史

新選組が活動したのは7年ほどでした。
彼らの駆け抜けた歴史をたどってみましょう。

結成

文久3(1863)年、悪化していた京都の治安を回復するため、幕府主導で結成されたのが「浪士組(ろうしぐみ)」です。身分は問わず、広く一般から募集されたこの組織に応募した近藤らが、芹沢鴨(せりざわかも)らと共に浪士組本体と分離して京都に残留した「壬生浪士組(みぶろうしぐみ)」が新選組の始まりです。

会津藩に提出した嘆願書が認められて、会津藩御預かりとなったものの、彼らは貧しく、豪商らから借金をして必要なものを揃えていきました。だんだら羽織や隊旗も、この時に作られました。

「新選組」誕生

八・一八の政変への出動で功を認められた壬生浪士組は、会津藩から「新選組」の名を与えられます。しかし芹沢一派の素行が悪く、近藤らは彼らの処分を会津藩に命じられていました。新選組の名を賜った約1カ月後の深夜、芹沢らが暗殺され、近藤派による組織掌握が完成しました。

池田屋事件

京都に火を放ち、混乱に乗じて幕府寄りの公家や大名を殺害しようとする長州藩士らの画策を察知した新選組は、同調する浪士らの会合が開かれていた池田屋を深夜に急襲、約1時間半で制圧します。市中の残党対策にも出動した新選組は、翌日正午頃にようやく帰陣しました。

加入と分離

10人あまりで発足した新選組も、どんどん隊員が増えていきます。それと同時に意見の食い違いも起こり、山南敬助が切腹、また伊東甲子太郎(いとうかしたろう)ら14名が分離して「御陵衛士(ごりょうえじ)」を名乗ります。しかし近藤の暗殺を企てた伊東は新選組のスパイとして送り込まれていた斎藤一により近藤に密告され、油小路通りで暗殺されました。

新選組から甲陽鎮撫隊へ

徳川慶喜の大政奉還後に勃発した、新政府軍と旧幕府軍の「鳥羽伏見の戦い」に参戦した新選組は、旧幕府軍と運命を共にします。大坂に敗走し、多くの隊員を失った新選組は洋式化の必要性を痛感させられました。

江戸から甲府(現在の山梨県)への出陣を命じられた新選組は「甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)」と名前を変え、進軍しますが、敗北を喫します。

箱館五稜郭へ、そして新選組の終焉

流山(現在の千葉県流山市)に敷いた本陣を突然取り囲まれ、隊長の近藤は新政府軍のもとに出頭します。しかし弁明は聞き入れられず、近藤は板橋(現在の東京都板橋区)で斬首されました。

旧幕府軍に合流した新選組は、宇都宮城や会津での交戦を経て箱館五稜郭に入城します。土方の率いる部隊は例外的に勝利を重ねていましたが、その土方も新政府軍による箱館総攻撃で銃弾に倒れ、最後の隊長・中島登(なかじまのぼり)に引き継がれた新選組も、戊辰戦争の終結とともに明治2(1869)年5月18日、7年の歴史を閉じました。

「新選組」?「新撰組」?

「しんせんぐみ」って、漢字表記が2通り知られていますよね。どちらが正しいのでしょう?

意外にも、「両方正しい」のだそう。局長の近藤や副長の土方の手紙にも、両方の表記があるのだとか。字の意味から言えば「選」のほうではないか、とも言われますが、漢字をたくさん知っていることがステータスとされた時代だったとも聞きますから、きっと表記にはさほどこだわっていなかったのでしょうね。

主な参考図書
・菊地明、伊東成郎、結喜しはや『土方歳三と新選組10人の組長』新人物文庫
・菊地明『新選組全史』新人物往来社