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2020.03.25

「花咲か爺さん」が咲かせた桜は愛犬の生まれ変わりだった⁉︎死者復活を願った昔話がおもしろい!

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人は死んだらどうなるのだろう。
死んだあとはどこかへ行くのだろうか。ところで魂って本当にあるの?
ふとそんなことを考えた経験は誰にでもあるでしょう。

昔話には、話を生みだした当時の人びとの考え方や願いが込められているものが多くあります。
私たちの祖先は〈死〉をどのように考え、受け止めていたのでしょうか。
今回は誰もが知っている昔話『花咲か爺さん』と『かぐや姫』から、物語に隠された日本人の死生観を探ってみましょう。

『花咲爺さん』のストーリー紹介

『花咲爺さん』は、優しくて正直者のお爺さんが可愛がっていた小犬の力を借りて大判小判をざっくざく掘り出したり、枯れ木に灰を撒いて花を咲かせたりするのですが、それを羨んだ隣に住む欲深いお爺さんが真似をしたところ酷い目に合うというお話です。

お爺さんの撒いていた灰の正体を知ってる?

物語の内容は忘れていても「枯れ木に花を咲かせましょう」と口にしながら灰を撒く愉快な場面だけは覚えているという方もいるでしょう。
では、お爺さんが枯れ木に撒いていた、あの〈灰〉の正体は覚えているでしょうか。
実はあれ、お爺さんの可愛がっていた子犬の一部なんです。

正直爺さんの犬を連れて裏山を掘りに出かけた欲張り爺さんは、蛇や化け物がでてきたことに怒って犬を殺してしまいます。
犬の死を悲しんだお爺さん。犬を丁重に葬り、側に木を植えます。すると、この木がみるみる大木に成長。その木でお爺さんは臼を作ります。しかし臼は欲張り爺さんに燃やされてしまいます。
すると正直爺さんの夢に死んでしまった愛犬が現われ、桜の枯れ木に灰を撒いて欲しいと伝えます。言われた通りに灰を撒いてみると、枯れ木に花が咲くという顛末。

死んでもまた生まれ変わる?『花咲爺さん』は復活の昔話だった!

禅の言葉に「枯木再生花(こぼくふたたびはなをしょうず)」というのがあります。これは「死んだ者が息を吹き返し、新たな人生を送る」との意味。

一度は死んでしまった犬が、桜の花となって転生し、次の生を送る。
物語のハイライトとなる、枯れ木に花が咲く場面は「枯木再生花」の言葉通り、死と再生のプロセスが描かれていると考えることができます。

あるいは、たとえ枯れてしまったかに見える木が満開の花を咲かせたように、たとえ枯れ木のようになった人でも次の生を生き直すことができる、という教えが紡がれているのかもせれませんね。

『かぐや姫』を死なせるな!魂を呼び戻すために従者たちがとった行動とは?

亡くなった人をこの世に呼び戻したいという願いは、『かぐや姫』の表題で絵本や映画でも知られる平安時代初期に成立した日本最古の物語『竹取物語』にも見ることができます。
たとえば、『竹取物語』にはかぐや姫を死なせまいと奮闘する者たちの姿が描かれています。

かぐや姫の死を聞いた帝はお供を連れて姫の屋敷に急いで駆けつけます。お供たちは、姫の衣を亡骸にかぶせ、屋根にのぼり、天に向かって姫の名前を呼ぶのです。

信仰の篤かった昔の人たちは、人の肉体から離れた霊魂、つまり魂は「黄泉の国」に行くと考えていました。霊魂は、肉体が朽ちて完全な死を迎えたときに初めて黄泉の国へと浮遊すると信じられていました。
お供の者たちが姫を衣に包み隠したのは、今まさに遊離しようとしている魂を肉体に戻し、生き返らせようとしたためです。

〈魂〉という言葉に込められたいろんな意味

見ることも触ることも叶わない〈魂〉ですが、実は〈魂〉という言葉には深い意味が隠されています。

かつて霊的な存在は「たま」、霊妙な力は「たましい」と呼ばれていました。この2つがやがて〈霊魂〉を指すようになります。
〈魂〉は「むすび(産霊)」と読まれることもありました。
「むす」には、産・生との意味があり、「び」は霊力を意味します。だから、〈霊魂〉には命を生み出す力があると信じられてきました。

昔の人びとが死の直後でも、霊魂を肉体に呼び戻すことさえできれば人は生き返ると考えたのは、このような語源が背景にあったからでしょう。

ウソか本当か。魂の呼び戻しかたを紹介

『かぐや姫』では天に向かって名前を叫んでいましたが、魂をこの世に呼び戻す方法はほかにもあります。
効果があるかどうかは分かりませんが、いくつか紹介しましょう。

その1 井戸の底へむかって名前を呼ぶ

昔の人びとは「黄泉の国」は山のかなたや山中、地下といった他界にあると考えていました。
山以外にも黄泉の国へ通じていると考えられていたのが、洞窟。それから、井戸です。
昔話にも井戸は異界への通り道としてよく登場します。

街中に洞窟を見つけることは難しそうですが、井戸ならまだ見かけることがあります。
もし井戸を発見したら、のぞき込んでみてはどうでしょうか。

その2 袖をふってみる

『万葉集』には袖をふるしぐさが出てきます。
袖を振るという古代特有のしぐさには一見したところ、日本女性らしいはんなりした仕草に思えますが、べつに気取っているわけでも親愛の情を示しているわけでもありません。

袖をふるのは魂を呼ぶため。
この行為には、恋をする相手の魂を自分のほうへ招きよせようとする呪術的な意味がこめられています。かつて愛しあう男女はこの「魂合(たまあい)」によって恋愛の成就と考えていたようです。
恋人たちは互いの魂を一つにすることで結ばれると信じていました。人びとは〈魂〉をそれほど大切なものと考えていたのです。

おわりに

死をまえにした人間は無力です。
袖をふって魂を一つにしようとしたり、天に向かって叫ぶことで魂を呼び戻そうとしたり、弥生時代には実際に、霊魂が舞い戻ってくることを願った風葬も行われていました。
とはいえ、死者の復活はめったになかったはずです。それでも繰りかえし行われ、古典にも登場するのは、人びとがそれほどまでに死者復活を強く願っていたからかもしれませんね。

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。