星野源さんがインスタグラムで配信し、多くの素敵なコラボ作品が生まれている曲「うちで踊ろう」。歌だけでなく、ダンスでコラボしている人も多いようです。これまで日常生活の中で「踊る」ことなど全くと言ってよいほどなかったのですが、せっかくの機会なので文字通り私もうちで踊ってみました。
踊ってみたのは……「舞楽」。
そう、雅楽の演奏に合わせて踊る伝統舞踊です。
かろうじて映像は見たことはありますが、どこをどう動かせばよいのかもわかりません。そこで、Web会議システムを使い「オンラインレッスン」として遠隔で指導していただきました。
舞楽は源氏物語にも登場する千年以上の歴史を持つ日本の伝統文化の一つ。踊ってみると、とっても奥が深い! 舞楽には、自然とともに生きていた古代の人々の息遣いがいまも残っていました。
ゼロから指導してもらった様子をご紹介しますので、ぜひ多くの方に挑戦してもらいたいと思います。
世界6カ国で舞台に立った講師をお招きしました
今回舞楽をご指導くださったのは、橋本道雄先生。
60年以上の歴史があり、世界42カ国以上で公演を行っている天理大学雅楽部のOBです。先生はこれまでにイタリア、ドイツ、スペイン、イギリス、フランス、中国で舞台に上がる一方、現在は雅楽団体「うたまいのつかさ」のメンバーとして、奈良県内を中心に活動しておられます。
天理教の教会長でもあり、地域の小中学校で伝統文化学習会を開催するなど、雅楽の普及活動にも努めておられるそうです。
今回は、先生のご自宅でもある天理教の教会からレッスンを行ってもらいました。
奈良時代に伝わった舞楽
舞楽は、雅楽と時を同じくして日本に伝わり、奈良時代以降は宮廷の各種行事などに採り入れられました。
唐や中央アジア、南アジアなどから伝わった曲(唐楽と言います)を伴奏にして踊るものを「左方の舞(左舞)」、朝鮮半島を通じて伝わった曲(高麗楽と言います)を伴奏にして踊るものを「右方の舞(右舞)」と呼びます。
左舞は向かって左の方から進み出て舞台に登り、右舞は右から進み出て舞台に上がります。
旋律に合わせた振りで舞います。
橋本先生によれば「奈良時代までは、ほぼ伝わったときの形で演奏されたり踊ったりしていたと言われています。しかし、平安時代になって、楽舞についての理論や実技は日本独自の様式に整えられて、現在へ繋がるかたちに整えられました」とのこと。
また、日本芸術文化振興会の解説によれば、左右の舞楽は、「左を陽、右を陰とすることで、同じ頃に流行していた陰陽思想とも結びついていく」のだそうです。
橋本先生は「舞楽は、現代の踊りとは大きく異なります。平安時代には時計もないし、リズムを正確に図る道具もありません。だから、舞楽でいちばん大切なのは、“自然体”であること。川に水が流れたり、山に風が吹いたり、あるいは誰かを恋い焦がれたり、喜んだりするような人の気持ち。そうした自然の姿を動きとして表したものが舞楽であり、踊るときにも、“自然とともにある”ということを意識してください」と話します。
「いま私たちに伝わっている舞楽の多くは、宮中で父から子へと父子相伝で伝わってきたものです。私も昨年(2019年)から息子にも舞楽の基本を教えています。今日は息子も練習に参加しますね」。
といって紹介してくださった、真介君(小学校6年)。昨年に道雄さんが大きな舞台で舞楽を舞っているのを見て、「自分もやりたい!」と練習を始めたそうです。
舞の前にまずは正しい姿勢から
では、まずは基本中の基本から。レッスンの様子を画像でご紹介しますので、みなさんもぜひやってみてくださいね。
はじめに、手の形です。3本の指で物をつかむようにして円を作り、残った2本は握ります。
その手の形のまま、両手を腰骨の前へ。このとき、肘をできるだけ前へ出します。
肩に力が入ってしまいますが、なるべく肩の力は抜いて肩が上がらないように。
胸は大きく張って、あごを引きます。
足は、つま先を真正面に向け、両足の間にこぶし一つが入るくらいに開けます。
これが基本の姿勢です。
この姿勢のまま、次は前に歩いてみましょう。ソロリソロリという感じで、上半身の形を動かさないように。
頭を動かさずに「腰で歩く」イメージだそうです。
「歩いているときに、肘が後ろに下がっちゃっていますね」。
肘を常に前に出そうとすると、二の腕の後ろ側の筋肉が張るのが分かります。だんだんと先生の指摘も細かくなっていきます。
すべての基本となる「出る手」
ここまでが基本の姿勢。どんな舞を踊るときも、この姿勢が崩れてはいけないそうです。
次に、舞楽の一番基本的な動きである「出る手」という動作を習います。
「出る手」と書いて「ずるて」と呼びます。メインの演奏が始まる前に披露する、登場曲のようなものだそうです。
まずは上半身の動きだけを練習します。
基本の姿勢から、手の形を保ったまま、両腕で円を作ります。顔の正面の高さまで手が来るにようにしつつ、円の形は卵型になるように。
これを「伏肘(ふせがい)」の形と呼ぶそうです。
次は、この「伏肘」の形から基本の姿勢に戻り、そのまま両腕を広げます。手は耳の高さまで上げ、肘は伸ばします。Yの字のような姿勢です。
伏肘からYの字までを、リズムに乗せて動かしてみます。
リズムは均等ではなく、言葉にすると、「いち。にーーい、さん。しーー、いち。にーーい、さん。しーー……」といった感じ。
「1」で動作のスタート、「2」で主な動作、「3」で形を決める、「4」で次の動作の準備、となります。
基本姿勢→伏肘→基本姿勢→Yの字→伏肘→基本姿勢
という上半身の動きを1,2,3,4のリズムに乗せて行います。
足の運びが最もキツい
次は、下半身の動きです。
基本姿勢から、少し腰を落として右足を上げます。ふらふらしたり、姿勢を崩したりしないように気をつけながら、膝から下の部分だけを動かして、足で地面を軽く叩きます。
叩いたら、そのまま右の方へ擦りながら開きます。
上半身が動かないようにしながらこの動作を何度か続けていると、すぐに体重が乗っている左足がプルプルしてきました。
「結構しんどいでしょう? だけど左足にしっかり体重が乗っていれば、上半身がフラフラすることはありません」。
先生は上半身が全く動いていませんが、そのようにはなかなかできません。
次は、出した右足に、体重を移動します。頭を動かさないようにしながら、残った左足を引き寄せます。上半身と下半身の動きをミックスすると、このようになります。
「伏肘の形を作ったときは、いつでも卵の形になるように。肩まで上げた時は肘は真っ直ぐです伸ばしますが、伏肘のときは軽く曲げます」
簡単な動きのように見えますが、リズムがかなり独特なのに加えて、上半身がフラフラしないように気を配らないといけないので、かなり体幹が鍛えられます。
毎日続ければ、アスリート体型になること必至。
自然とともにあることを意識
次は「突く足」の動作を習います。
まず、膝を90度の高さまで上げます。足首から下は力を入れないように。上げた足を下ろします。
「このとき、単に下ろすのではなくて、重力を意識してください。膝に紐をつけて、それを引っ張って持ち上げ、その紐から手を離すようにして“下ろす”イメージ。力を加えて下ろすのではなくて、りんごが木から落ちるように、引力で膝が落ちるようにです」。
自然体を意識して突く足を行ったら、そのまま右斜め45度前へ一歩踏み出します。体も右斜め前へ移動。今度は左足を擦って左斜め後ろへ戻ります。この時、上半身は伏肘を開く形。
そこから、正面に向くように右足を移動します。移動し終わった時、体は足を開いて正面に向くように。
ここまでの流れを振り返ってみましょう。
出る手のハイライト「落居」
次に、正面に足を開いた状態で、腰を落とします。
つま先と同じ方向に膝を出して腰を落とす姿勢が「落居(おちいり)」です。
「ただ腰を落とすだけの動作ですが、この腰を落とすスピードも単に腰を下げるのではなく、引力で落ちていくように、というのが大事です。最初はゆっくり、そこからスッとスピードが上がって、クッと止まる。動作の一つひとつが、自然の中にあるものを表しているということを意識してください」。
4で息を吸って、1で腰を落とす。2で左足を引き寄せ、3で右足を引き寄せ、基本姿勢に戻ります。
以上が「出る手」の動きです。
「ここまでが終わったとき、最初に立っていた位置と同じ場所に戻ってきていないといけません。場所がずれているということは、足を開く幅が違っているということ。常に一定の歩幅、動かし方で動くことが大事です」。
「簡単なように見えて、舞の大切なことが全て詰まっているのがこの出る手。私が舞楽を学び始めた頃は、この一連の動作を何度も何度も反復させられました。また、こうしたゆっくりした舞は2人や4人で舞う事が多いので、他の人とも呼吸を合わせる必要があります。この出る手ができないと、舞楽はできないのです」。
この日はここまででタイムアップ。御礼を申し上げてオンラインレッスンは終了しました。90分のレッスンがあっという間に終わってしまいました。
今も感じられる光源氏の息遣い
舞楽は、源氏物語にもたびたび登場します。
特に、「紅葉賀」の中で光源氏は、頭中将と共に舞楽「青海波」を舞います。源氏は舞いながら、自身の子を宿している藤壺に視線を送ります。
「源氏の舞の巧妙さに帝は御落涙あそばされた。陪席した高官たちも親王方も同様である。歌が終わって袖が下へおろされると、待ち受けたようににぎわしく起こる楽音に舞い手の頬が染まって常よりもまた光る君と見えた」。
(与謝野晶子訳『源氏物語』紅葉賀)
舞楽が物語の中で重要な役割を果たすシーンです。
現在も演奏会などで披露されることがあり、Youtubeで実際に見てみるとこの舞の中にも「出る手」の動きが垣間見えます。
いろいろな舞の基本となるのが、出る手の動きなのです。
源氏も「自然とのつながり」を意識しながら舞っていたのでしょうか。
一つ分かることは、源氏も頭中将も体幹はかなり鍛えられていて、アスリートのような引き締まった肉体をしていたのだろうということ。
そうでないと、美しく舞うことはできないからです。
出る手を実際に舞ってみることで、物語や資料を読むだけでは伝わらない光源氏の息遣い、平安貴族の息遣いを感じることができるような気がします。
ぜひみなさんも挑戦してみてもらえればと思います。
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