江戸時代に大量に摺られ、庶民の間で楽しまれた浮世絵。そのひとつが判じ絵(はんじえ)です。絵から連想される言葉を当てるクイズで、だじゃれやひょうきんな絵からは江戸時代の人々のユーモアを感じられます。
今回は東海道の宿場から5問を紹介。あわせてその土地を描いた歌川広重(うたがわひろしげ)の『東海道五十三次』もご紹介します。現在も残る地名がどのように描かれているのか見てみましょう。
(前回の判じ絵クイズはこちら:「おならに鼻をつまむ男性の絵」で何と読む?江戸版脳トレクイズ10問に挑戦!)
あなたは何問解ける?判じ絵クイズ
Q1.歯と猫で…?
歯(は)と猫(ねこ)が描かれていて、猫は逆さま。これは逆さまから読むという意味です。つまり「はこね=箱根」となります。
こちらは広重が描いた箱根です。暗闇の中、松明だけを頼りに急な山道を旅するのってどんな気持ちだったのでしょうか。現代でいえば、暗い山道をスマートフォンの明かりで歩くようなものなのかもしれません。
Q2.鼠が咥えているものは?
文(ふみ)と鼠が描かれています。よく見ると文は上半分だけ。つまり「ふみ」の上の一文字「ふ」が入ることがわかります。鼠の鳴き声と言えば、そう、「ちゅう」です。よって「ふちゅう=府中」となります。
現在の家康が将軍職を退いた後に住んだ駿府城。その城下町である府中宿(現在の静岡市葵区)は、東海道五十三次中、最大の都市でした。府中には宿場とともに幕府公認の遊郭があり、多くの人で賑わったそうです。真ん中の女性は「ねえ、寄ってらっしゃいよ!」とでも声をかけているのでしょうか。
Q3.絵、尻に絵が!
次は絵(え)が尻(しり)に貼りついています。男性の左手あたりをよく見ると濁点「゛」がついています。「しり」には濁点がついて、「えじり=江尻」となります。
のどかな田園風景の奥に富士山が描かれた江尻は現在の静岡県清水区にあたる場所。府中宿の隣の宿場でした。真ん中には、「花の旅 駕(かご)をつらせて ゆたゆたと うばか江尻に みゆる児(ちご)ばし」という狂歌が書かれています。花の旅というのは見頃の花を求める旅という意味だそうです。咲き誇る花を求めて出かけるのは江戸時代も今も変わりませんね。全体の意味は「見頃の花を求め、駕を連れてゆらゆらと進んでいると姥(うば)の目尻に江尻に続く稚児橋が見えてくる」です。
Q4.この白いものは一体……?
少し下が切れているのですが、白いものは尾(お)です。俵(たわら)には濁点「゛」がついています。Q3と同じ形式で、「たわら」に濁点がついて、「おだわら=小田原」となります。
東には絵のとおり徒歩で渡る酒匂川、西は東海道一の難所、箱根越えがあるため、多くの人が小田原で宿泊しました。旅籠は常時90軒前後が軒を連ねていたそうです。また、小田原と聞くと思い浮かぶのがかまぼこ。当時は箱根への鮮魚の供給が困難だったため、保存性の高いかまぼこが湯治客や旅人の食膳に供されていました。
Q5.頭のない魚が出てきた!
頭のない魚と竹でしょうか、皮が描かれています。この魚には頭がありません! さの字をとった「かな」と「かわ」で、「かながわ=神奈川」となります。
ゆるやかな上り坂に目を向けると茶屋の女性が旅人に声をかけています。服をグイグイ引っ張っているような、コミカルな雰囲気が漂います。その後ろには親子の姿も。当時はお遍路や巡礼が一種の流行となっていました。ただ、庶民の旅が盛んになったとはいえ、一生に一度行けるかどうかという時代。人々は「こんな風景が見られるのか、行ってみたい」とか、「ああ、ここの茶屋の娘は客引きがしつこかったなぁ……」など、行ったことのない場所を想像して楽しんだり、過去の旅の記憶を思い起こしたりしていたのかもしれません。
旅を楽しみにする気持ちは江戸時代の人も現代の人も同じ。でも簡単には行けない状況下、時には判じ絵(クイズ)、時には風景画として人々に娯楽をもたらしたものこそ錦絵(多色摺)の浮世絵だったのです。
判じ絵は大人も子どもも楽しめます。また、テーマも身近な動物や虫、野菜などさまざま。普段とはちょっと違う発想力で、江戸の人との知恵比べをしてみませんか。
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参考:『いろは判じ絵 —江戸のエスプリ・なぞなぞ絵解き』 岩崎均史:著 青幻舎