正体不明の絵師に、まるでInstagramのような風景画ブームの物語。現代の価値観から見ても驚くべきイノベーターたちが、200年以上も前の浮世絵の世界にいました。
『和樂webの日本文化はロックだぜ!ベイベ』は、「日本文化に対して先入観がある人々を解放し、日本文化をもっと気軽に楽しんじゃおう」というコンセプトの音声コンテンツです。第1回〜第4回は2020年5月14日(木)にまとめて配信しています。ここでは講義ノートとして、お話の概要を公開します!(前回の講義ノートはこちら)
第2回以降、数回は「浮世絵」がテーマです。今回は、「浮世絵スーパースター列伝」と題し、東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)、葛飾北斎(かつしかほくさい)、歌川広重(うたがわひろしげ)ら業界に革命を起こした浮世絵師たちについて取り上げます。名前は聞いたことがなくても、絵を見れば「ああ〜この絵を描いた人ね!」とピンとくる方も多いはず。現代に生きる私たちもシビれるイノベーターたちの挑戦を、とくとご覧ください!
浮世絵最大のミステリー!東洲斎写楽
最初に取り上げるのは、浮世絵師、東洲斎写楽のイノベーション。現代にも名を知られる彼ですが、実は謎だらけの絵師でもあります。綺羅星(きらぼし)の如く突如現れ、姿を消したことから、その正体は葛飾北斎だったのではないか?という憶測も飛び交いました。
当時話題になった、歌舞伎役者たちの大首絵。写楽の浮世絵は画期的な描き方により、一世を風靡しました。みなさんは、一体どんなところが評価されているか、わかりますか?
江戸の旅行ブームと名作浮世絵
続いてご紹介するのは、葛飾北斎と歌川広重の起こしたイノベーション。北斎の『富嶽三十六景』、広重の『東海道五十三次』。このふたつが生み出した浮世絵の新たなジャンルこそが「風景画」でした。
いかにして、風景画が生まれたか。彼らの活躍した時代に、江戸で流行ったのがなんと「旅行」!そんな流行を背景につくられた北斎の名作が、『富嶽三十六景』です。この作品、「36の風景」といいながら、実際は46枚あります。これを絵師に指示したのが、版元。版元とは、現代でいうところの「出版社」兼「書店」です。そんな版元のプロデュースにより、続いてつくられたのが歌川広重による『東海道五十三次』でした。
当時の初版は約200枚。2000枚刷ればヒット作のところ、ふたつの作品ともに累計1万〜1万5千刷られたとされています。現代でいうところの「累計100万部!」のように、彼らの風景画は社会に相当なインパクトを与えたといえるでしょう。
版元が勝手に改変していた?
版元のプロデュースにより、絵師の思い通りに刷られなかった浮世絵もありました。例えば広重の『名所江戸百景 両国花火』。左と右で、印象がだいぶ異なります。こうした絵師だけではない、版元の努力もあって、ヒット作は生まれていたのです。
北斎と広重の共通点、ふたりの最期
北斎と広重には「風景画」という共通点の他にも、2つの共通点がありました。まずひとつめが「ベロ藍」という鮮やかな藍色の染料。そしてもうひとつは、日本的遠近法。北斎の『神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)』を見ると、わかりやすいのですが……どういうものか、その説明は音声でお楽しみください!
北斎はやがて風景画から離れ肉筆の世界へと移り90歳で長い人生に幕を下ろします。一方、広重は浮世絵を極めていきますが、62歳で早逝しました。広重の死因は、当時世界を死の恐怖に陥れたコレラ。江戸だけで10万〜20万の命を奪ったとされています。
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※アイキャッチ真ん中は、葛飾北斎『富嶽三十六景 尾州不二見原』