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大人だけが知っている!「静寂の京都」

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Gourmet
2020.07.03

コロナを経てわかった!いつでもどこでも「ホッとできる時間」をもたらしてくれる茶道の魅力

この記事を書いた人

自粛生活の生んだものは……

花便りならぬ「コロナ便り」のやりとりで、2020年の春は足早に過ぎて行きました。
茶積みが終わって夏が来ても、いまだに不確かな日々が続きます。

私の住むアメリカは、州によってコロナへの取り組み方もさまざまです。
ここハワイでは、3月末からロックダウンが徹底され、教育機関はすべてオンラインへ移行。公園、海岸、ジム、ホテル、レストラン、ショッピングモールも、生活に必要な最低限のインフラとサービスを除いて、ありとあらゆるビジネスが営業停止になりました。

そして3ヶ月を経て、少しずつ自粛解除の方向に向かってはいるものの、まだワイキキには人気がなく、6月からオープンしたモールもソーシャル・ディスタンス、つまり、人との距離を置いての営業なので、多くの客を見込めないためにいまだ店を閉めているところが数多くあります。

6月下旬。ひと気のないカハラ・モール内。「マスクは必須」と入口に書かれていた。

いうまでもなく、ツーリズムで成り立つハワイ諸島が受けた打撃は、途方もなく大きいのです。
それでも多くの心ある人びとは、自分たちがウィルスのキャリアになって、周りの人びとの健康を侵すことを望みません。
世界的に見ても、多くの制約があるなか辛い毎日を過ごしている方々、過酷な条件のもと戦っている医療関係者、そしてこの病気で命を落とされた人や、そのご家族のことを思うと、本当に胸が痛みます。

けれども、ふさぎ込んでばかりもいられません。なぜなら私たちはまだ生かされているからです。
近い将来、なんの不安もなく自由に外へ出て社会生活を営むことのできる日まで、いかにして快適に日々を過ごすかということに、私たちはいち早く工夫をはじめました。

茶道に携わる人びとも、この状態では茶室に集うことができないので、ソーシャル・ネットワークやZoomというPCの画面を通じて、「バーチュアル茶会」や「一服リレー」などが盛んにおこわれるようになりました。そうした試みが、窮屈な生活にちょっとした彩りを添えてくれたのです。

回ってきたバトンを、ネット上だからこそ、思いっきり遠くにいる友人や知人につなげて、輪がドンドン広がってゆく手ごたえに、思わず顔がほころびました。
世界各国にいる茶人・Non茶人たちが「その場ならではの一服」をネットに挙げている画像を見るとワクワクしたのです。

友人がロンドンのリッチモンド・パークの小鳥のさえずりのなかで一服する様子を投稿していた。抹茶とともに、おいしそうな手づくりの桜餅も添えられている。

また、この期間にFacebookやInstagramで、いろいろなかたちで、お茶を実践している人がいることも知りました。

たとえば、ヨットで日本周游をしながら1年以上かけて「茶点の旅」をしている長谷川秀明さん。
彼の夢は茶室付きのカタラマン・ヨットで「茶点の旅・世界周游」を実現することで、今はその予行航海中だそうです。行く先々で、野点(のだて:野外でお茶を点てること)のスタイルでお茶を楽しまれています。

コロナの間は小豆島に停滞。それは5ヶ月にも及んだそうですが、滞在先でいろいろな人との出会いがあったといいます。また制限が緩和されつつある今、Facebookで知り合った多くの人が、連絡をとって彼の停泊先に出向き、安全な距離を保ちつつ一緒に一服することもあるそうです。

この美しいヨットで日本周游中。

映画『魔女の宅急便』の舞台になった小豆島のオリーブ公園にて。水筒、抹茶、茶筅、茶碗さえあれば、こんなに気持ちの良さそうなところで一服できる。茶筅が倒れるのを防ぐ「茶筅立て」は、ご自身の作だとか。

映画『二十四の瞳』のロケ用オープンセットを改築した「二十四の瞳映画村」。そこのバス停になっている醤油の桶のなかで一服。ヨットに着物を積んでいるとのこと……絵になります。(これら3点の写真提供/長谷川秀明)

まるでTVの旅番組を観ているようで、フォローするのは本当に楽しいのです。

茶道は敷居が高く感じられるかもしれませんが、何事もそうであるように、いろんな茶道との関わり方があり、基本の精神を大切にさえすれば、どう楽しむかは「まったくその人の自由だな」と思うのです。
ネット上の茶の湯は、画像で一服を分かち合うことのできるバーチャルな集いの場といえるかもしれません。

だって今でしょ! コロナな一服

私のところにも「お茶の種類は問いません、あなたのお茶タイムを自由に投稿して」(「3日間一服リレー」)という誘いが、ニューヨーク在住の友人から回ってきました。
そこで、さっそくマスク形の雲平(うんぺい:砂糖と寒梅粉を合わせてつくる干菓子)と赤十字サインの練切(ねりきり)をつくり、まさに「今」を表してみました。

この投稿には、言葉の違いをこえて、いろいろな国の友人知人から「おもしろい!」とコメントをもらいましたが、一番楽しんだのは私かもしれません。今しかありえない「旬」の取り合わせだからです。

茶室における茶会も茶道の姿なら、家や野外での独服の一碗もまた、茶道の姿です(どくふく:ひとりでお茶をいただくこと)。
コンピュータに向かっていても、読書をしていても、家の片づけをしていても、ふとその手を止めて、身体の正面にお茶碗を置き、茶筅を振れば、不思議とそれだけでホッとひと息つけるのです。

そして自分のひそかな楽しみの一碗が、ネット上に発信されることで、それを目にした方々もまた、お茶が生み出す「おだやかな時間」に癒されて、陽の連鎖が生まれます。

私はコーヒーや紅茶も大好きですが、抹茶とは決定的な違いがあると思っています。コーヒーや紅茶は、片手に持って人と話ができますし、脇に置いてコンピューターに向かったり、飲みながらテレビも見ることもできます。

けれど抹茶は何かしている手をいったん止めないと、点てることができませんし、片手で飲むこともありません。だから本当の意味で「ひと休み」ができるのだと思います。

今後、いろんな場所にマイ茶碗やマイ茶筅を持ち込み、お抹茶で一服する人が増えるのではないでしょうか。
クッキーやチョコレートでも、お抹茶は美味しくいただけます。でもちょっと贅沢な気分を味わいたければ、季節の和菓子を持ち寄って、気の合う仕事仲間で一服すれば、相当な気分転換になると思います。

この時期ハワイでバーチュアルな茶会をするなら

さて茶席の茶道具には、いろいろな意味がこめられます。それぞれの茶道具を組み合わせることで、茶会のテーマや亭主の思いを表現するわけですね。
先のお菓子もテーマを伝える大切な役目を持ちますが、もし今、床の間に掛ける一幅を選ぶとしたら、迷うことなく「辛抱」を手にとるでしょう。

「辛さ」を「抱える」という漢字。この掛け物は「辛」の一文字を棒のごとく伸ばして、それを下の方でしっかり人が「抱えて」いる画賛です。何とも茶目っ気があって、微笑ましいと思いませんか。気持ちは大まじめに、けれどウィットに富んだ日本ならではのこんな画賛が私は大好きです。

臨済宗大徳寺派、玉龍寺の戸上明道というお坊さんの「辛抱」という字。

わが家には茶室はありませんが、部屋の一角にこの軸を掛けて、庭の花を摘み、先のお菓子と抹茶で一服すれば、気持ちはまさに「打倒コロナ!」。
あらゆる人の今の辛抱が実を結び、コロナを恐れずともよい日常が戻ってくることを信じずにはいられません。

このところ日本では、自粛制限が緩和され、茶道の稽古場にも人が戻りつつあると聞きます。けれどハワイではまだ、茶室に足を運んだり、同座して誰かとともに一服することができません。
だからこそ、このような画像をシェアすることで、会わずとも心を通わせ、画面のなかで互いの「茶部屋」を行き来するわけです。

同居している人がいるならば、お茶を習っていなくても、ともに一服することができます。
いつもは互いに忙しく、何をしているかわからない場合でも、自粛を経験した今なら「お茶しようか?」と誘えば応じてくれる場合もあるのではないでしょうか。
わが家がまさにそうです。幼いころ、少し茶道をかじった息子も大学生になり、ずいぶんお茶と縁遠くなってしまいました。けれど自粛中は家にかえっているので、たまにつきあってくれることがあります。

リビングのコーナーで茶箱で一服。

アメリカの教育機関では、5月末から6月の中旬にかけて、年度末をむかえました。
今年は残念なことに、従来の卒業式はすべて延期されるか、オンライン化を余儀なくされて、本来なら多くの友人・知人に祝福されて、顔が埋まるほどのレイを首にかけ、遅くまでパーティーをするはずの卒業生たちは落胆の色が隠せませんでした。

そこで、学生にお稽古をつけている私はそんな彼らを思い、お祝いの気持ちをこめた和菓子をつくってみることにしました。
羊羹で卒業式にかぶる帽子を表し、雲平を薄く伸ばして丸めた卒業証書の和菓子です。まずは自分で一服。その後、「おめでとう」のメッセージをつけてメールで写真を送ると、気持ちが充分に伝わったようでした。

今だからできたこと

ロック・ダウンになってから、多くの人びとが普段とは違う環境で、「今だからできること」を模索しているように感じます。
仕事が減り、オンラインになって通勤・通学時間がなくなったり、社交に使う時間が激変したことで、今まで後回しにしていたことをはじめた人を私は何人も知っています。

そんな私が取り組んだ「やってみました、2つの試み!」について少しお話します。

まずは、「お抹茶飲みくらべ」です。
冷蔵庫・冷凍庫には、茶会のあとに残っているお抹茶や、帰国したときに買ってきた品々が多種あります。ふだんのお茶の稽古では、薄茶用と濃茶用を各1種類ずつしか使わないので、それを美味しいと感じるか、好みではないと感じるかは、その日の条件にも左右されます。
「今日のお茶はまろやかね」「少し苦みがあるかしら」と思うことはあっても、別の日に同じ銘柄を飲んでみて、「あれ?この間と同じなのに、なんかマイルドね……」と感じる場合もあるのです。
もしかすると、私が単なる味音痴だけなのかもしれません。けれどもし、同じお湯、同じ室温、同じ体調、同じ茶碗で、さまざまなお茶を飲みくらべたら、味音痴の私でも「自分の好み」を絞り込むことができるはず、と思ったわけです。

かくして、これらのお茶を薄茶として飲みくらべてみました。

その結果は、ここでは申しません……。
というのも薄茶用と濃茶用がまざっていますし、なにぶん賞味期限や保管状態が、少々「ゆ・る・い」のです。きちんとしまってありましたが、新しいものもあれば製造年月日からすると「店頭ではもう売られないだろうなぁ」というものもありましたので、結果を公表するのは不公平ですよね。
それでも、まず色を見て、そして目を閉じて香りを楽しみ、口に含んで味わい……五感で評価する。この飲みくらべは、自身にとって大変贅沢な至福の時間でありました。

そして、もうひとつの試みは、現在進行形の「マイ・ベスト抹茶碗」の洗い出しです。

私は茶道具が好きです。もちろん良いお道具には手が届きませんが、手に入れたものはどれも思うところがあり、出会いがあって我が家にお嫁に……というか、私に婿入りしてくれた道具たちなのです。
金銭的なことをいえば、たかがしれています。しかし、もし時がたって私自身が土にかえった後も、この道具たちがかたちをとどめていたら、次世代の人が大切にしてくれるかもしれません。

茶人は、よくこんなことを言います。手元の道具は「預かりものに過ぎぬ」と。つまり「今は自分がもっているが、大事に扱った後は、いずれ誰か違う人の手に渡っていくものである」と。

人間がつくり、簡単に割れてしまうものが、当の人間たちよりもずっと長く命を繋いでいることに、私は常日頃から畏敬の念を持っています。
400年前の茶碗が、何人の手を得て今ここにあり、何人の生き様を見てきたのだろう、と感動させられるんですね。そして、それは後どれほど長く地上にとどまり、人びとののどをうるおし、心を温める茶道具として機能していくのか……そんなことを考えると、茶の湯は本当に「ロマンチック」です。

「マイ・ベスト抹茶碗」の洗い出しは、そんな道具のなかの茶碗に焦点を絞り、箱書や作家名、値段、手元に来た由来などは、一切合切ヨコに置いて、ただの「裸の茶碗」の勝負として考えました。
お茶を点てて飲んだときの、茶碗が手におさまる感触、熱伝導、重さ、口当たり、姿かたち……それらを総合して「どれが今の自分にとって一番好ましいか」を選び出す作業です。

これがまた、新鮮で楽しかったのです! 通常、稽古茶碗以外の茶碗は、なにがしかの縁があって茶会に用います。つまり、お客様に出すために使われるという意味合いが強いのです。

ですから、そうしたものはなかなか自分で愛でる機会が少ないもの。今回、それぞれ一服ニ服、と好きに飲んでみたところ、それほど……という茶碗もなかにはありました。けれどそういう茶碗は、別のチャーム・ポイントもあったのです。

 
コロナで自由のきかない今、「独服」によって豊かな時間がもたらされていること。またバーチャルな画面であっても、遠く離れている人たちと心を通わせることができることなど、楽しい発見がありました。

逆境もまた、深い「気づき」を与えてくれる、ということでしょう。

そしてそれは、これまで見過ごしていたことを見直す機会をもてた、といえるのかもしれません。
茶席の禅語で、そういう意味の言葉があることをご存知でしょうか。「看脚下(かんきゃっか)」という言葉です。

夜道で突然明かりを失ったとき、なすべきことはなにか。
それは余計なことは考えずに、足元によく気を付けて行く、ということなのです。いわば自分を見失ってはいけません、と。
日常生活や身近なところに、茶の湯の楽しみは潜んでいます。そんなことをハワイから考えています。

オノ・アキコ
65年生まれ。国際基督教大学卒業後、モルガン・スタンレー・ジャパン・リミティッド証券会社を経て、ロンドンのインチボルド・スクール・オブ・デザイン校にて、アーキテクチュアル・インテリア・デザイン資格取得。2007年ハワイに移住し、現在はハワイ大学の裏千家茶道講師を務めている。ハワイでの茶の湯を中心に、年に数度は日本に里帰りをしつつ、グローバルに日本文化を楽しんでいる。

(文と写真:オノ・アキコ/構成:植田伊津子)

書いた人

茶の湯周りの日本文化全般。美大で美術史を学んだのち、茶道系出版社に勤務。20年ほどサラリーマン編集者を経てからフリーに。『和樂』他、会員制の美術雑誌など。趣味はダイエットとリバウンド、山登りと茶の湯。本人の自覚はないが、圧が強いらしい。好きな言葉は「平常心」と「おやつ食べる?」。