2018年10月に閉鎖された東京築地市場の一部が、パリでひっそりと生き続けています。オペラ座からほど近いパリの中心地、瀟洒(しょうしゃ)な町並みにかかる「こだわり」という看板。中に入るとそこは、まるで築地の魚河岸。「イラッシャイマセー!」と、白い長靴にエプロンをした鮮魚仲買人のような店員さんが、テキパキと席へと案内してくれます。威勢のよい競りの掛け声や、場内を行き来するターレの行き交う音まで聞こえてきました。
テーブルにゴロンと横たわる巨大な冷凍マグロ、発泡スチロールの箱に並ぶ魚たち。本物そっくりですが、全て作りものです。あまりのリアルさに「溶けちゃわないの?」と、聞くお客さんもいるほど。
並んでまで食べることはしない、といわれてきたパリジャンたちが列をなすほど大人気のラーメン店「KODAWARI TSUKIJI」。お客さんはパリ市内だけでなく、フランスの地方や、外国からも食べに来ます。
ラーメンのクオリティ、日本の風景の再現度の高さから、日本人経営だと思われることも多いのですが、この仕掛け人はなんとフランス人。店主のジャン=バティスト・ムニエ氏(Jean-Baptiste Meusnier、以下JB)にお話を伺いました。
戦闘機のパイロットからラーメン店主への道
――まず、なぜ「日本」だったのでしょうか。日本に住んでいたことはありますか。
JB:日本文化は、自分が小さい頃から身近にあるものでした。親世代はディズニーなどからアメリカ文化の影響を受けていたけれど、僕らの世代は漫画やゲームなどで日本文化なんです。ひとりで電車に乗れるようになった頃から、オペラ地区の日本人街によく来ていました。なので、日本に行かずして既に日本文化に馴染みがありました。
実は日本に住んだことはなく、ラーメンの習得には日仏を何度も往復しました。かつては空軍で戦闘機のパイロットをしていたのですが、民間企業に移ってからは、社員割引で安く航空券が手に入ったので、それを利用していました。
――ラーメンの技術は全て、フランスから通って学んだということですか。
JB:初めはラーメン文化を理解するために、日本中のラーメンを食べるだけの旅をしました。一回の滞在は数日間から数週間でした。車を借りて、ありとあらゆる日本の地方へラーメンを食べ歩きました。滞在中は一日に3、4杯は食べますね。8杯食べたときはさすがに具合が悪くなりました(笑)。
学校にも3ヵ所ほど通ったんです。大阪のラーメンドリーム・アカデミー、宮島ラーメンスクールではラーメンの基礎を学び、大和製麺所のラーメン学校では化学的なアプローチを知りました。その後、中野にある「肉煮干し中華そばさいころ」の鯉谷さんの元で実践的な経験を積みました。鯉谷氏の元にはいろんなラーメン店の店主がやってきて、素材の配合などについて教えてくれました。ミウラさんからは豚骨、ヤマグチさんからは鳥ちんたん、イトウさんからは海老ラーメンと鯛白湯、ウチダさんからは鳥白湯、というように色んな店主が各々のテクニックを披露してくれたのです。ですが、今のお店の味は完全なオリジナルです。手法は習いましたが、レシピを真似したりすることありません。毎朝、彼らのことを想いながら、仕事に取り掛かります。
――日本に住むことなく、どのようにこういった出会いに恵まれたのでしょうか。
JB:私がラーメン店を始めるにあたって、この人なくしては語れないという人がいます。世界的に注目を集めている、アメリカ人ラーメンブロガーのブライアン・マクダクストン氏(Brian MacDuckston)です。彼のブログの読者だったのですが、ラーメン作りを始めたくて連絡を取ってみたことをきっかけに、学校も師匠も紹介してくれました。彼のおかげで、今のお店があります。
フランスでラーメンを作るということの難しさ
――なぜラーメンだったのですか。
JB:日本に初めて旅行にいったときに食べて、衝撃を受けました。今思えば、そこまで美味しいラーメンではなかったかもしれませんが、当時は感動しました。ラーメンの魅力は麺、出汁、トッピング、そして職人の技と、複雑な要素が全て丼の中ひとつにまとまり完結している点です。特に好きな点として、テロワール(terroir:地のもの)を使うということがあげられます。
なので、うちのラーメンはフランス産の素材をこだわって使っています。ブルターニュの魚、バスクの豚、麺用の小麦粉はフランス産で、何年もかけてオリジナルの配合に行き着きました。ですが、フランス人に向けて味を調整することはしていません。正しくラーメン文化を伝えなければならないと考えているからです。きちんと日本のラーメンの味を表現しつつも、フランス産のものを使うことで、ここでしか食べられないラーメンになっています。
常に同じものを追求して作り続ける、というスタイルもフランス料理にはないものなので、面白さを感じています。
――ここで働かれている方々は、どういう経歴できたのでしょうか。日本人はいますか。
JB:みんな料理人として学び、経験を持った人ばかりです。ほとんどフランス人のチームですが、日本人はトラさんという人がいます。彼は東京の「真鯛らーめん麺魚」で、働いていた経験があります。そこにミシュラン三ツ星レストランの「エピキュール(Epicure)」でスーシェフ(二番手)をしていたジョナタン・タッシュ(Jonathan Tache)が加わり、私と3人で味の開発をしています。
――ラーメンをフランスでつくる上で難しかったことはなんでしょうか。
JB:基本の素材、醤油、味噌、昆布、鰹節、煮干しなど、品質が良いものをフランスで手に入れることが大変でした。今は独自の取引先も見つかり、ブルターニュ産の良質なものが入手できるようになりましたが、そこに至るまで時間がかかりました。
水に関しても、フランスの硬水では出汁の旨味が出せずに苦労しましたが、軟水に変えるための特殊な浄水器を設置することで解決しました。化学調味料は一切使わず、素材の旨味で勝負したかったので、そこはこだわり抜きました。
人気の味をやめてでも新しい味を広めたい
――開店当時からよく食べに来ているのですが、味が段々変化していますよね。
JB:常により良い味を求めて日々更新し続けています。「KODAWARI TSUKIJI」は2店舗目で、昭和の横丁をテーマにした「KODAWARI YOKOCHO」が1店舗目としてあります。そちらの店舗の一番の人気商品、黒ごまラーメンを、先日、担々麺に刷新しました。フランス人はまだ担々麺を知らない人も多く、思い切って人気のラーメンを入れ替えることで、より多くの方に食べてもらえると考えました。もちろん、以前のものが良かったという批判の声もありますが、私の使命は、ラーメンを広めるアンバサダーだと自負しているので、そのためには人気商品に固執するよりも、より多様性を伝えていくことに重きを置いています。
実は3店舗目の計画立てているところなのですが、更に新しい味と世界をつくりたいと考えています。
――店内空間についても教えていただきたいのですが、なぜ築地というテーマに至ったのでしょうか。
JB:築地は東京の食の大黒柱でした。それがなくなってしまうと知り、非常に残念に思い、なんとか保存できないかを考えたのです。フランスにはまだない魚出汁の味を広めたかったことと、築地を残したいという想いが合致したのです。
素材は、魚河岸周辺の廃品回収業者から譲ってもらったり、購入したり、さまざまな方法で手に入れました。それを自分たちで何往復もしてフランスに運びました。あと、格安国際郵便も使いましたね。2年ほどかけて集めました。
また、魚河岸の再現を追求するために、床のタイル、マンホール、テーブルのサイズや質感、ありとあらゆるものを計測し、写真に撮り、フランスで映画のセットをつくっている人たちに再現してもらいました。社内に建築家がいて、彼女が店内空間のみならず、グラフィックやサイトなどのコーディネートをしてくれています。店内で流れる環境音は、2018年10月の市場閉鎖直前に日本人アーティストと共に録音に行きました。これは本当に築地の最後の音なのです。
――フランス人に受け入れられるために、工夫していることはありますか。
JB:ベジタリアンラーメンですね。私自身、本当は好きじゃないんですけど、ラーメンはみんなを喜ばせるもの、と考えを改めました。ベジタリアンのためだけでなく、誰にとっても美味しいものを目指し、かぼちゃラーメンが出来上がりました。おかげさまで非常に好評です。ふだんは、お客様の要望で作ることはほとんどないのですが。
また、2020年のフランス版ミシュランガイドに掲載されています。フランスのラーメン店として初めてで、唯一の掲載です。ミシュランは目指していませんでしたが、ただひたすらラーメンへの愛を持って、日々作り続けてきた結果だと思っています。これをきっかけに、フランスでより多くの人にラーメンを知ってもらえることが嬉しいです。
――和樂webの読者に紹介したいメニューはなんですか。
JB:「鰯醤油」ですね。醤油はシンプルな分、難しく奥深いのです。あとは、お米を使ったデザートで「帆立のリ・オ・レ」は、ぜひ試してみてください。
ラーメンだけじゃない、前菜、主菜、デザートまでをフルに楽しめるフランス式
こだわり風餃子
さて実食。まずは、前菜に餃子をいただきました。つるんとした皮の中には鯛、豚肉に白菜。赤青2種類の唐辛子を使っているだけあって、ピリリと刺激的。フランス人は辛いものが苦手な人が多いので、この辛さはちょっと意外でしたが、辛いもの好きにはたまらない旨辛。
鯖の漬け炙り
旨味が凝縮した鯖の漬けに炙った香ばしい風味。下には少しだけご飯も隠れています。これからラーメンがくるというのに、私はご飯も完食してしまいました。
鯛の炙りぬた
フランス語ではカルパッチョと訳されていますが、軽く炙った半なまの鯛に燻製白味噌のソースがかかっています。七味がのったクラッカーと共にいただきます。しっとりした鯛とサックサクのクラッカー、食感のコントラストにフランス料理的なものを感じます。
鯖の醤油 + シェフのオススメトッピング
いよいよラーメン。透明なスープに上品に香る鯖の出汁に、これでもかと鯖の漬け炙りがのっかっています。鯖の上の半透明な薄いものは、コロナタと呼ばれる旨味のつまった脂で、塩味が効いてほどよいアクセント。半熟玉子はほんのり柚子風味で清涼感を与えてくれます。どんぶりのふちの味噌は味変アイテム。鯖出汁には燻製赤味噌ですが、鯛出汁には柚子風味の白味噌が添えられているそうです。
フランス産の小麦粉を使った自家製麺はつるつるしこしこの縮れ麺。コロナ渦の外出禁止期間中、デリバリーをおこなっていたのですが、その際に持ち帰っても伸びない麺を開発したそうです。自家製ならではのフレキシブルさが強みです。
帆立のリ・オ・レ
フランス語で、リ・オ・レ(riz au lait)という定番のスイーツですが、お米のミルク煮といったところでしょうか。日本人的には甘いミルクのゴハンと聞くと、正直やや抵抗感があり、今まであまり食べてこなかったものです。そこに更に帆立を加えるたのがここのオリジナル。ドキドキしながらくるのを待っていました。クレームブリュレのようなカラメル層に、パリパリした帆立の貝柱、ライムの皮の風味も爽やかさを添えています。中のお米はツブツブした質感はあれどクリーム系のお菓子といった感じで、とても美味しくいただきました。
全体を通じていえることは、前菜から主菜、デザートに至るまで、魚介の旨味を生かした構成になっています。フランスでは食後のコーヒーは欠かせないものですが、これだけはありません。一度、日本の缶コーヒーを出していたことがあるのですが、不評でやめたそうです。店主のムニエ氏にとっては、日本の自動販売機で飲んできた思い出の味。フランスには存在しないものなので、面白いと思って試してみたそうです。
お隣に座っていた二人組のマダムは、ビジネスランチ中。左側の女性はこの近くで働いていて、度々クライアントを連れてこちらで食事をするそうです。モダンでみたことがない新しさがあるのでしょう。ラーメン店で、取引先の人と食べるとはフランスならでは。みなさん上手にお箸で麺をすすっていました。
ミシュランガイドにも掲載され、注目の3店舗目は2021年オープン予定。この次は、どんな日本の日常風景をパリに再現してくれるのか、ジャン=バティスト・ムニエ氏が繰り出すラーメンの世界から目が離せません。
店舗名: KODAWARI TSUKIJI
住所: 12 Rue de Richelieu, 75001 Paris
営業時間:
月-木 12:00-15:00、18:30-22:30
金 12:00-15:00、18:30-23:00
土 12:00-16:00、18:30-23:00
日 12:00-16:00、18:30-22:30
公式webサイト:https://www.kodawari-ramen.com/