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Gourmet
2019.09.02

東京で鰻重やうなぎの蒲焼を食べるならここ!都内のうなぎの名店4選まとめ

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江戸っ子をも魅了した、うなぎの老舗4軒をご紹介! 江戸時代前期の元禄年間にできたといわれる蒲焼き。以来、およそ300年もの間、変わらないつくり方でうなぎは料理されています。江戸の味を今に伝えるタイムカプセルのような蒲焼きを、ランチやディナーでいただきましょう。

竹葉亭本店(東京・銀座8丁目)

戦前は、東京に10数軒支店があったという竹葉亭。創業は幕末の慶応2(1866)年です。大正時代、関東大震災直後に建てられた本店の離れや茶室は、都会の真ん中とは思えないほど静かなたたずまいを残しています。歌人・斎藤茂吉が、息子・茂太の見合いを催したのはこのお店。後に茂太の妻になる美智子がうなぎを残したのを見て、「食べないなら自分が食べる」と2人前食べたというエピソードが残っています。茂吉のうなぎ好きは有名で、「あたたかき鰻を食ひてかへりくる道玄坂に月おし照れり」という歌もあります。

竹葉亭

竹葉亭本店の蒲焼きは、煙のにおいをつけすぎないように気をつけているという、繊細な仕上がり。たれも、甘すぎず辛すぎず、品のよいバランスです。こちらでは白焼きも人気で、日本酒に合わせる人が多いといいます。わさび醬油でいただきます。蒲焼きを押し寿司仕立てにしたうなぎ寿司もあり、なかなか店に出かけられない歌舞伎役者からの注文もあるとか。都心に奇跡のように残った庭を見ながら、うなぎが焼けるのを待つのは、贅沢な楽しみです。

◆竹葉亭本店(ちくようてい)
住所 東京都中央区銀座8-14-7

明神下 神田川本店(東京・外神田)

玄関に着くと、「ごあんな〜い」の声。神田明神の男坂を下ったところにある神田川本店は、文化2(1805)年創業の老舗です。こちらの特徴は、きりりとしたたれ。江戸前の蒲焼きは醬油とみりんだけのたれを使うといいますが、神田川本店では醬油とみりんが同割の辛口です。後味がすっきりしているのは、砂糖を使っていないから。もうひとつ目を引くのは、蒲焼きも白焼きも串を打ったまま出されること。ご主人の神田茂さんに理由を聞くと、「職人の意地ですね。焼き上がりがきれいになるように串を打つのは難しい。これだけの仕事をしていますよ、と見せているんです」と教えてくれました。

神田川

「今ではいろいろな魚のことを言いますが、江戸前とはもともとうなぎのことでした。江戸時代は、江戸湾に注ぐ川で捕れるうなぎが最上とされていたんです。江戸湾にはしゃこやかになどの甲殻類が多くて、それを食べたうなぎを『しゃこうなぎ』と呼んで珍重しました」江戸時代、うなぎを食べるのは辻駕籠(つじかご)を使うのと同じくらい贅沢なことだったそうです。往時の美味を今も体験できるのは、うれしい限りです。

◆明神下 神田川本店
住所 東京都千代田区外神田2-5-11

野田岩(東京・東麻布)

『野田岩』の看板をよく見ると、『狐うなぎ』と書いてあります。天然うなぎを使っていたころ、きつねのように鼻先が尖ったうなぎが捕れることがありました。川でえびやかにを食べて引き締まった顔つきになったうなぎで、こんなうなぎがうまいと、かつては野田岩で扱っていたのです。養殖のうなぎが主流の現在、野田岩では、各地の養鰻池から、店の厳しい目にかなった、上質のものを仕入れています。

野田岩

こちらの特徴は『蒸し』です。焼いたあと、蒸籠で1時間30分ほども蒸したうなぎは、ふわふわです。これを落とさないように焼くのが職人さんの技の見せどころ。ご主人の金本兼次郎さんは「蒲焼きはこげてはいけない」と考えていますから、たえず表面を見るために、頻繁に持ち上げなければいけません。焼き上がったうなぎは、思いがけないやわらかさ。うまみが広がります。たれは江戸前、醬油とみりんだけ。江戸時代末期の寛政年間(1789〜1801年)に創業して以来、変わらない味を守ります。パリにも支店がある野田岩の歴史を経た味は、世界にも通用しています。

◆野田岩(のだいわ)
公式サイト

つきじ 宮川本廛(東京・新富町)

築地市場にほど近い『つきじ宮川本廛』は、明治26(1893)年創業。ご主人の渡辺安良さんのおじいさんである創業者の助之丞さんが、深川の『宮川』で修業。この店の廃業にあたって名跡を継いで、築地に店を出し、繁盛しました。「昔は天然うなぎでしたから、冬眠していて捕れないときは鶏料理とか、川魚料理を出していました」と渡辺さん。

宮川本廛

うな丼を頼み、ふたを開けると、つやつやした蒲焼きが現れます。たれは醬油とみりんの江戸前。こちらでは、ご飯にかけるたれは別につくっていて、あと味をすっきりさせるために、少々辛めにしているそうです。「丼のほうが安く見られることもありますが、うちではうな重とうな丼の値段は一緒です。お客様のお好みでお重か丼かを選んでいただいています」うな丼は、江戸・文化年間(1804〜1817年)に、日本橋堺町(現在の人形町)で、芝居の金主(興行主に資金を出す人)・うなぎ好きの大久保今助が、熱いご飯の間にうなぎを入れれば、冷めずに食べられると思いつきました。ご飯とうなぎの組み合わせは、江戸時代から最高だったのです。

◆つきじ 宮川本廛(みやがわほんてん)
公式サイト