静岡から東京まで、新幹線で移動した。
腹が空いていたので、売店で駅弁を買う。この日はたまたま朝食を抜いてしまった。気負いも影響していたのかもしれない。一ツ橋にある小学館本社で打ち合わせをするために上京するのだが、数年前まではこのような大企業のオフィスに近づくことすらもできなかった。今の立場には感謝している。
それはともかく、駅弁である。
東海軒の幕の内弁当。静岡県民、とくに静岡市内在住の者にとっては定番の弁当だ。今回の記事では、この幕の内弁当について書いていきたいと思う。
東海道線最古参の駅弁
東海軒は、駅弁業界では最古参の老舗である。
1889年に東海道線静岡駅が開業した際、それに歩調を合わせて創業された加藤弁当店が、東海軒の前身である。当時はサンドイッチも販売していたという。明治時代にサンドイッチとは、何ともハイカラな弁当屋だ。
そんな企業だから、看板商品の歴史も長い。今回取り上げる幕の内弁当も、マイナーチェンジを繰り返しつつ戦前から販売されている。早速、その中身を見てみよう。惣菜は焼き魚、揚げ物、蒲鉾、玉子焼き等が詰められていて、米飯は10等分の俵型。ウグイス豆の鮮やかな緑が目を惹くが、実のところ現代では評価の分かれる駅弁でもある。とくに目立った部分がない、という評判がこの駅弁にはあるのだ。
確かに、現代人の目から見ればこの弁当は決して豪華ではないし、もしかしたらコンビニ弁当のほうがボリュームがあるのではと思ってしまう。
だが、そんな「特徴のない駅弁」が、何故か美味い!
質素か、贅沢か?
そもそも、惣菜が豪華になり過ぎたコンビニの弁当が「列車内で食べるに適したものか」と問われれば、筆者は即答しかねる。大なり小なり振動する車内で、あまり時間をかけずに食べる弁当であればむしろシンプルなメニュー構成であるべきではないか。
それに、昔はこの幕の内弁当が「豪華なメニュー」だったのだ。焼き魚、揚げ物、蒲鉾、玉子焼き、ウグイス豆、肉。それらが一切れずつあるだけでも、高度経済成長が一段落する前の日本では十分豪華なものだった。「巨人、大鵬、玉子焼き」という言葉がかつてあったが、それは玉子焼きというメニューがポピュラーなものになってきた時代の象徴的文言でもある。少なくとも1950年代頃までは、玉子焼きは庶民的なメニューではなかった。
このあたりは60年前の大衆感覚で考える必要がある。
本物のワサビの香り
東海軒の幕の内弁当を語る上で欠かせないもの、それはワサビ漬けである。これは田丸屋が製造しているものだが、この小さなカップ食品が幕の内弁当の魅力を数倍にも引き立てていることは、静岡県外の日本人にもっと知られてもいいはずだ。
静岡は「ワサビの本場」でもある。
ワサビは日本原産で、静岡は江戸時代からワサビの栽培で知られていた。静岡市内に所在する有東木のワサビを食べた徳川家康が、その味に感動して当地のワサビ農家を保護する政策を打ち立てたのだ。
だが、現代の「ワサビ」はワサビではなくなりつつある。安価なホースラディッシュ(セイヨウワサビ)が練りワサビの材料として流通するようになり、日本原産の本ワサビはむしろ影の薄い存在になってしまった。これは飽食社会の闇の部分でもある。
その中で、本物のワサビ食品を作り続けている企業が存在する。伝統の食文化は、何ものにも代えがたい宝物だ。
本当の贅沢とは
バブルの頃の日本人は「カネで世界の食文化を買い漁っている」と言われていた。
実体経済以上に余ったカネを、海外の有名レストランの日本進出につぎ込んで人工的なグルメブームを発生させていたことは、否定できない事実だ。ところがバブルが崩壊すると、次に訪れたのは出口の見えないデフレ経済である。恐ろしく安い牛丼や100円で買えるハンバーガーが飛ぶように売れ、同時にあれだけカネをかけて建てた高級レストランは次々に廃業した。
極端から極端へ移った日本人の食の趣向。だからこそ、ここでは一度立ち止まって「昔ながらの駅弁」を食べてみるのもいいのではないか。
本当の贅沢とは何か、豊かさとは何か。東海軒の幕の内弁当は、そのことを雄弁に物語っているようだ。