美女の裸を東西の画家はどう描いた? 西洋絵画 VS. 浮世絵 ヌード対決!【誰でもミュージアム】

この美術館の館長

自分が美しいと思うものを、絵に描いて残しておきたい——。

洞窟の壁画から現代アートまで、絵画の歴史は人々のそんな欲望の歴史と言えるかもしれません。

さて、古今東西多くの絵描きを魅了してきた「美しいもの」と言えばなんでしょう?

そうです、人間の体です。
かつてオーギュスト・ロダン(1840-1917)は特に女性の美しさについて、

「美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように。」

と語ったとか。

今回の誰でもミュージアムは、西洋絵画と浮世絵のヌード対決。
絵の巧拙ではなく、構図や切り取る瞬間のおもしろさ、時に洋の東西を越えて重なる画家の着眼点などに注目してもらえればと思います。

Round1 チラリズムの美

喜多川歌麿(1753-1806)「A Courtesan」(日本語題不明、高級娼婦の意。メトロポリタン美術館)
メトロポリタン美術館の所蔵作品で、林忠正コレクションの一つであることを示す印がある。林忠正は19世紀末のパリで日本文化を紹介し、「ジャポニスム」大流行のきっかけをつくった人(その生涯については原田マハ『たゆたえども沈まず』がおすすめ)。19世紀パリの人々もこの作品を目にしていたかもしれない。露わにさせたモデルの左胸に、歌麿は曲線1本でバストトップを描く。唇は桃色だがこの部分は周囲の色と同じ。ここを注目させたいわけではない、サラリとしたヌード。

パウルス・モレールス(1571-1638)「Een herderin」(女性の羊飼いの意。アムステルダム国立美術館)
モレールスはオランダの画家・建築家。イタリアで学び、肖像画を多く手掛けた。彼の没後、オランダにはフェルメール、レンブラントをはじめとする「黄金時代」が到来する。「なんで羊飼いの胸を露わにする必要が?」とも感じられるこの作品だが、彼女の表情は純粋無垢で少し楽しげにも見える。ただ、バストトップの位置が若干不自然な気も。

Round2 後ろ姿の美

喜多川歌麿(1753-1806)「高島屋おひさ」(シカゴ美術館)
おひさは、富本豊雛、難波屋おきたとともに「寛政三美人」の一人に数えられる美女。江戸・両国で煎餅屋を営んでいた高島屋長兵衛の長女で水茶屋の看板娘であったと伝わる。歌麿は3人を1枚に描いた作品も残している。合わせ鏡でおひさの表情も描きつつ、うなじの部分の髪の毛は他のシンプルな線と比べてとりわけ緻密。彼女のうなじを食い入るように見つめる歌麿の姿が目に浮かぶ。

エドガー・ドガ(1834-1917)「Woman Combing Her Hair」(メトロポリタン美術館)
ドガはフランス画壇に一大センセーションを巻き起こした「第一回印象派展」の発起人の一人。バレエダンサーを描いた一連の作品が有名だが、女性のヌードも多く描いている。この作品は1888年から90年のもの。ドガはヌードによく女性の背中を描いており彼のフェティシズムが匂う。うなじから腰にかけて、ぼやけているようにもくっきり描かれているようにも思えるのが不思議。

Round3 入浴の美

歌川芳幾(1833-1904)「競細腰雪柳風呂」(一部抜粋。メトロポリタン美術館)
歌川(落合)芳幾は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師。歌川国芳の門下で学び、明治以降は新聞の挿絵なども手掛けた。銭湯の様子を描いたこの作品は、取っ組み合いの喧嘩をする人やその隣で転ぶ人、子供の髪を洗う人など、裸の女性の世界を三枚続きの錦絵でユーモラスに描く。女性の体のラインは風呂上がりの牛乳のようにシンプルでサラっとしている。

ポール・ゴーギャン(1848-1903)「Tahitian Women Bathing」(メトロポリタン美術館)
ゴッホと共同生活を送った後、タヒチへ旅立ち、マルキーズ諸島で没した孤高の人・ゴーギャン。この作品はタヒチの女性のお風呂の場面を描いたもの。同美術館の解説によれば、「彼の芸術家としての方法論の模索が、不調和な構成に見て取れる」のだそう。単純な線とのっぺりとした女性の肌の質感、官能的な雰囲気のなさが、なんとなーく上の浮世絵に似ている気がしないでもない。彼の生き方に共感する人にはS・モーム『月と6ペンス』がおすすめ。

Round4 下ろした髪の美

喜多川歌麿(1753-1806)「あはび取り」(一部抜粋。メトロポリタン美術館)
3枚続きの大判錦絵の一部。あわび取り漁師の女性5人が描かれる。もし歌麿が現代の女性の濡れ髪スタイルを見たらグッと来ているかも。それくらい、この作品には「濡れた髪が描きたくて描きました!」感がある。この女性の右足を描くとき、ただ岩場にぷらーんとさせておくか、足先だけそっと水中へ下ろしておくか。後者を選ぶところに歌麿の魅惑的なセンスが光る。

オーギュスト・ルノワール(1841-1919)「Young Girl Bathing」(メトロポリタン美術館)
印象派を代表する画家として日本でも人気が高いルノワール。明るく穏やかな画風から「幸福の画家」とも呼ばれ、女性の笑顔は春の木漏れ日のように優しく、チャーミング。屋外で沐浴するこの女性も穏やかにほほえむ。ただ、ほっぺたのくっきりとしたピンク(この絵の中で最も明るい色)にはほんのり処女性が漂い、どことなく画家自身がこの光景に興奮を感じているようにも思える。そう感じさせる、少しだけ濡れて腕にかかる髪。

Round5 誘惑の美

喜多川歌麿(1753-1806)「A Woman and a Cat」(日本語題不明、メトロポリタン美術館)
あけっぴろげよりも、少し隠したほうがエロいということを歌麿は熟知している、と思わせる作品。もしかすると江戸時代の人と現代人は、スケスケの布地のエロさについて、語り合えるかもしれない。真正面から見つめるのではなく、顔をそらして相手と目線を合わさず、首筋を見せるところに女性のプロ意識が感じられる。そんな女性の視線の先にいるネコが丸まった姿ではなく仰向けで股を広げているところも(こんなふうにネコを描く人いますか?)暗示的。

ギュスターブ・クールベ(1819-1877)「Nude with Flowering Branch」(メトロポリタン美術館)
美の反逆者・クールベの1863年の作品。女神と天使など、神話をモチーフにした画題に対し「天使は見たことがないから描けない」と言い放ち、写実主義を貫いた画家。女性の性器をド正面から書いた作品『世界の起源』は、画壇に巨大な衝撃を与え、長く非公開にされていたのは有名な話(現在はオルセー美術館で見られます)。この女性も、画家と裸のまま真正面から対峙する。右手を上げて脇をさらけ出したポーズを取らすことで、彼女の表情は恥ずかしさを帯びているようにも、誘惑しているようにも見える。しかも左手の薬指には指輪。全体ににじむのは画家の性癖かもしれない。

Round6 あられもない姿の美

歌川国貞(1786-1865)「温泉之図」(一部抜粋、アムステルダム国立美術館)
1万点以上の浮世絵を残した歌川国貞。特に1841年刊行の柳亭種彦作『偐紫田舎源氏』の挿絵は「源氏絵」ブームを巻き起こした。この作品は箱根の温泉の風景を描いたもの。どういう理由で男性が女性を両手で持ち上げているのかはまったくの謎だが(危ないのでマネしないでください)、この抜粋部の周辺では男女が入り乱れている(出せません)。持ち上げられた女性は画面の外で足を開きつつ(見たい方は同美術館サイトへどうぞ)、左手で口元を隠して身悶えするようにも見え、あられもない姿で恥ずかしさを感じる女性の様子を画家はしっかり見抜いている。

アレクサンドル・カバネル(1823-1889)「The Birth of Venus」(メトロポリタン美術館)
カバネルはフランスの画家。ルノワールやドガらとは異なり、アカデミックなスタイルで歴史や古典、宗教をテーマに多く描き、ナポレオン3世のお気に入りの画家でもあった。19世紀後半までのアカデミーでは、女性の裸体を描くときは女神や天使など、神話や聖書をモチーフにすることがルール。この作品はカバネルの代表作で、女神の誕生という伝統的な主題を「優雅なモデリングと絹のような筆致で完璧な形に描いて」おり、「多くのコレクターから人気を集め続けてきた」(同美術館の解説より)のだそう。その「人気」という言葉をペロっとめくったところには、絶対に「エロ」があるはず。腕の下からこちらを見つめる女神はそのことを見抜いている。

Round7 官能の表情の美

喜多川歌麿(1753-1806)「春画」(一部抜粋。メトロポリタン美術館)
メトロポリタン美術館は春画も多く所蔵しており、大部分をデジタルコレクションとして公開している(作品の全体像はそちらでどうぞ)。春画の中の女性は多くが淡々とした表情で感情を読み取りにくいが、この女性の表情は非常に官能的で両足のつま先は縮こまっている。メトロポリタン美術館では「Erotic Print」と紹介されているが、一種のポルノグラフィーでありながらも画家の鋭い目線と美的感覚が遺憾なく発揮されている作品だとも言えるのではないか。

ギュスターブ・クールベ(1819-1877)「Le Sommeil(睡眠)」(プティ・パレ美術館/Paris Muséesデジタルコレクション)
二人の女性が一糸まとわぬ姿で寝ている。スヤスヤと、というより、クタクタになって。そしておもむろにちらばるネックレス、髪留め、真珠のアクセサリー。眠りに落ちる前、二人の女性はベッドで、クタクタになるまで何をしていたのか。クールベは観る人の想像をかき立てる。そうしてみると、二人の表情には恍惚感さえただよっているようにも。画家はその恍惚とした表情に「美」を見たのかもしれない。

画家たちが見ていたものは

あるときはお風呂に入っている姿に、あるときは髪を梳く後ろ姿に、またあるときは行為の最中の姿に——。
洋の東西を問わず、さまざまな画家が女性の体に「美」を見てきたのでした。

それぞれの画家の文化的な背景や描き方、手法は異なりますが、画家の着眼点にどこか共通したものが感じられたり、考え方が明確に対比できたりするのもおもしろい点です。

絵画は解釈も楽しみ方も自由。あなたもぜひあなただけの美術館を作ってみてください。

「誰でもミュージアム」とは?

パブリックドメインの作品を使って、バーチャル上に自分だけの美術館をつくる「誰でもミュージアム」。和樂webでは、スタッフ一人ひとりが独自の視点で日本美術や工芸の魅力を探り、それぞれの美術館をキュレーションしています。「だれでもミュージアム」はwebメディアだけでなく、各SNSアカウントや音声コンテンツなど、さまざまな媒体のそれぞれのプラットフォームに合わせた手法で配信。アートの新しい楽しみ方を探ります。

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