「こんな写真、なんで撮ったんだろう?」
旅行に行って帰ってきたあとでスマホを見返すと、なぜ撮ったのかよくわからない写真ってありませんか?
現代を代表する日本人写真家の一人、森山大道はこう言ったとか。
写真は、量だ。 量は、欲望だ。 世界はいつも、決定的瞬間だ。
つまり、撮らないよりは撮ったほうがいい!
いまから約150年前、明治の日本を訪れた海外の人々も写真機でバッシャバッシャと撮りまくっています。
著名な写真家だけではありません。写真機は明治後期ごろには徐々に写真家以外も手にするようになりつつあり、いまとなっては誰が・どこで・なぜ撮ったのかわからない写真もたくさんあります。
今回はそうした「外国人が撮影した明治日本の様子」の第2段として、パブリックドメインとして公開されている古写真をご紹介します(今回ご紹介するのは全てアムステルダム美術館デジタルコレクションより)。
謎の写真家が撮った日本
名もなき外国人写真家たちが撮った日本
名もなき外国人写真家が撮った農村の風景
ここからはアルバムとして同美術館に保管されていた撮影者不明の一連の農村風景をどうぞ。少し写りが悪いですが、当時の雰囲気がとても身近に感じられるのでご紹介します。
おまけ
上に紹介した撮影者不明の農村のアルバムに、なぜか1枚だけ突然「霞が関」の写真が混ざっていました。アルバムに付された年号には1884年とあり、これとまったく同じ写真が横浜開港資料館蔵『城下町江戸』などにもあるらしい。右のお屋敷はおそらく現在の外務省である福岡藩黒田家の上屋敷。外務省の外壁にはいまもこの写真当時の石垣が一部残されているようです。
異文化との出会いこそ
幕末から明治にかけての日本は、異文化との遭遇の時代でもありました。
数多く残る写真からは、日本を初めて訪れた人々が感じた驚きや感動、その美しさを留めておこうとした興奮が伝わります。
一方で、その情景は被写体となった人々からすれば、「当たり前の光景」でした。
自らがどれほどの「美しさ」を秘めているか、自分ではなかなか気づかないものです。
そのことに気づかせてくれるのは、普段交わることのない人たちとの出会いやコミュニケーションなのかもしれません。
「誰でもミュージアム」とは?
パブリックドメインの作品を使って、バーチャル上に自分だけの美術館をつくる「誰でもミュージアム」。和樂webでは、スタッフ一人ひとりが独自の視点で日本美術や工芸の魅力を探り、それぞれの美術館をキュレーションしています。「誰でもミュージアム」はwebメディアだけでなく、各SNSアカウントや音声コンテンツなど、さまざまな媒体のそれぞれのプラットフォームに合わせた手法で配信。アートの新しい楽しみ方を探ります。
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