120年前の日本はこんな感じだった!古写真で見る明治日本:東北編【誰でもミュージアム】

この美術館の館長

1900(明治33)年に出版された、日本各地の名勝を収めた写真集『日本之名勝』(瀬川光行編纂、史伝編纂所刊/国立国会図書館デジタルコレクション)。

前回は京都・奈良・大阪・東京・三重・静岡・愛知の様子をお届けしましたが、今回はさらに興味深い北関東・東北各地の様子を本書からご紹介します。

北海道


札幌市街

北海道には明治2年に「開拓使」が設けられて本格的な開拓が始まり、全国から移住・開拓に従事する人が増えていきました。1888(明治21)年には現在北海道庁の「旧本庁舎」と呼ばれているネオバロック様式の庁舎が竣工し、それから10年後には市街地もこのようにかなり近代化していたようです。ちなみに吉村昭の小説『羆嵐』で有名な、聞くも恐ろしい「三毛別羆事件」が起きるのはこれらの写真が撮られてから約15年後のこと。

札幌農学校

函館港

室蘭港に於けるアイヌ乗馬の景

岩手

石割桜

いまでも春には多くの人が桜を楽しみに訪れる盛岡の天然記念物、石割桜。現在の様子をググって見てみると、この写真に写っている石の隙間は現在よりも狭いように見えます。120年という時の流れを感じるとともに、木ってすごいなという子供みたいな感想。

馬匹市場

盛岡は名馬の産地としても知られました。解説文には「名駒駿馬ことごとく市場に集まりて、嘶(いなな)く声空にひびき、鉄蹄の音大地も揺(ゆら)ぐばかり」と、若干盛り気味の説明がありました。

宮城

松島五大堂

「松島や ああ松島や 松島や」で有名な松島は解説文によれば「必ず遊覧すべき景勝なり」とのこと。120年後の現在でも人気の観光地。様子は現在もほとんど変わりませんね。

河北新報社

この写真集『日本之名勝』には、各地の商店などもたくさん載っているのですが、仙台の項目には河北新報社の様子が載っていました。現在でも東北のニュースを日々配信している同社の前には、人力車が多数。なぜ新聞社に観光客が? と一瞬思ったのですが、いやいや時は自動車が普及する以前の明治30年代。今のタクシー的な存在として記者たちを乗せていたのでしょう(たぶん)。

福島

相馬の馬祭り

「儀式すべて他と趣を異にし、数多の人民は、甲を環し冑を装ひ、騎馬にて行列を作り、整々として練り行くなり」と解説される相馬の馬祭りは、当時も今と変わらず街の人々の間で親しまれていたよう。馬は在来馬でしょうか。ちなみにサラブレッドが日本に初めて輸入されたのは1877(明治10)年のことだそうです。

山形

上杉神社

名君の誉れ高い上杉鷹山(治憲)公を祀る上杉神社は、比較的新しく1871(明治4)年の創建。この写真が撮られた当時は、まだピカピカだったはず。そしてこの写真のカメラマンは、なぜかこの画角の中に別のカメラマンを収めるという遊び心をここで発揮。この写真集でこんな写真はこれだけ。偶然居合わせたのでしょうか。なんか気になる。

伊佐澤の久保桜

伊佐沢は山形市と米沢市の中間、長井市にある地名で、この久保桜は現在国の天然記念物に指定されている桜の古木。すごい数の人が集まってくれているのに、桜の全体像を写すためか、かなり多くの人が見切れてしまっており、カメラマンの冷酷さが地味に面白かったので選んでみました。

秋田

土崎港(つちざきみなと)

現在の秋田港と思しき港の様子。遠くに見える縦に伸びた線は、秋田港の象徴・ポートタワーセリオン……ではなく、大型船のマストでしょう。写真とは関係ありませんが、船の新しいクリーンエネルギーとして今再び「風」の力が注目されているそうで、未来の港にはこの写真のように再び帆船のマストが並ぶ風景が広がるかもしれません。

栃木

足尾銅山

歴史の教科書に必ず載っている足尾銅山鉱毒事件。問題解決に奔走した田中正造は、明治20年代からこの問題に取り組んでいました。この本は明治33年の発行ですが、解説文には鉱毒問題に関する言葉はありません。「日光に遊ぶものは、多く道を転じて足尾に至り、同所採鉱の有様を実見すること、今は殆ど例となり、亦野州の一名勝として、数へらるゝに至れり」などとだけ書かれており、当時は純粋な名勝でもあったようです。

日光

明治政府によって神仏分離が発せられたのは1871(明治4)年のこと。このころ急激な近代化の波の中で、国内の文化財を軽視する風潮があったそうです。たしかにこの写真集も、各地の「名勝」として新しい建築物を積極的に取り上げています。そんな風潮の中、日光では1879(明治12)年、町民や旧幕臣などによって日光の社寺を保護するための「保晃会(ほこうかい)」が組織され、社寺の修理などを始めたそう。今に伝わる豪華絢爛さとともに、大切に守ってきた人々にも思いを致したいものです。

おまけ

新橋芸者

東北にまったく関係ないのですが、この写真集の中盤になぜか女性ばかりを集めた箇所がありまして。こちらは東京・新橋の芸者の方々を撮ったものだそうです。ちなみに、現代ではマンガのキャラしか使わない「ざます」という語尾が、この時代は「上品な女性の言葉」として使われていました。写真の彼女たちに声をかけたら「〜ざます」と答えてくれたかも。「ざます」について詳しくはこちらをどうぞ

実はまだまだある

この写真集、日本全国を網羅しているので、とてもじゃありませんがここではご紹介しきれませんでした。
次回、関西編、九州編でお会いしましょう。

とはいえ、どなたでもフリーでご覧になれますので(こちらからどうぞ)、「今とぜんぜん違うじゃん!」とか「変わらないねー」などとお楽しみいただければと思います。

「誰でもミュージアム」とは?

パブリックドメインの作品を使って、バーチャル上に自分だけの美術館をつくる「誰でもミュージアム」。和樂webでは、スタッフ一人ひとりが独自の視点で日本美術や工芸の魅力を探り、それぞれの美術館をキュレーションしています。「誰でもミュージアム」はwebメディアだけでなく、各SNSアカウントや音声コンテンツなど、さまざまな媒体のそれぞれのプラットフォームに合わせた手法で配信。アートの新しい楽しみ方を探ります。

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