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2016.05.27

和歌山・湯浅&由良 街歩きガイド〜和食に欠かせない醤油のルーツをたずねて〜

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醬油の道へ

 たった一滴で口中を支配する奥深い風味。食欲をかき立てる香ばしい香り。日本の食、その味の原点ともいえるのが、大豆を主原料とする醬油です。今回は、その醬油の誕生秘話から、醬油の町・和歌山県の湯浅(ゆあさ)、由良(ゆら)、御坊(ごぼう)をぶらぶらする〝ニッポンの食歩き〟をお届けしましょう。

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「醬油のふるさと」和歌山に
日本食のルーツを訪ねて

 醬油の生みの親ともいえるのが、和歌山県の由良にある「興国寺(こうこくじ)」の覚心(かくしん)というお坊さんです。高野山で密教を学び、日本各地で禅の修行に励んだ覚心禅師は、建長元(1249)年、中国の宋(そう)での修行中に現地の寺で味噌づくりを覚えました。帰国後「興国寺」でもその味噌づくりを始めたのが、日本の醬油誕生のきっかけと伝えられています。
 覚心禅師が持ち帰った味噌は、夏場豊富に採れるウリやナス、ショウガ、シソを漬け込んだ金山寺味噌(きんざんじみそ)。「なめ味噌」や「おかず味噌」と呼ばれる〝食べる味噌〟です。その金山寺味噌の製造過程で出る野菜の水分は不用物として捨てられていましたが、この褐色の汁、あるときなめてみたらなんとも美味しい! 750年ほど前の、醬油誕生の瞬間です。
 こうして中国や東南アジア、日本では北陸など日本海側でつくられていた魚醬とは異なる大豆による醬油が、紀伊半島の西海岸、紀中(きちゅう)の由良で誕生。そして、由良の周辺の良質な水が湧く湯浅や御坊で味わいや風味を極め、発展していった醬油は、海運業でにぎわっていた湯浅の港から魚介の荷とともに各地へ運ばれ、〝ニッポンの味〟として全国に広がっていったのです。
 さらに、紀中の漁師が新たな漁場を求めて房総半島へと移り住んだ際に、醬油職人も房総の銚子や野田へ。醬油づくりは紀伊半島から房総へと伝えられていきました。醬油とともに、その製法も〝海の道・黒潮〟に乗って北上したのです。
 蒸した大豆と煎った小麦を合わせて麹菌を繁殖させ、塩と水を足して貯蔵。1年から1年半のあいだ攪拌を繰り返しながら熟成させ、絞って火入れして……と、手間を惜しまず五感をフル回転させてつくり上げる醬油。我慢強く、ていねいに、コツコツと作業するという本来の日本人気質がなければ、美味し国ニッポンの食を支えるこの味は誕生しなかったでしょう。
 そんな醬油の誕生と発展の地、和歌山県の紀中へ。湯浅、由良、御坊と、醬油のルーツの地を歩く〝醬油旅〟へとでかけましょう。

世界遺産、和食に欠かせない醤油のルーツをたずねて

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都人(みやこびと)が憧れた美しい海に
美味しさの秘密がありました

 紀伊半島の南端から大阪府に接する地域までの広大な土地に、豊かな森林資源や海産の恵みをたたえた和歌山県。弘法大師によって開かれた真言密教の高野山や、自然崇拝を源流とする熊野三山を有したこの土地では、森や川や海が人々の暮らしを支えているのだということを実感せずにはいられません。
 紀伊半島の西海岸側、醬油のふるさと湯浅、由良、御坊への旅は、和歌山駅からJR紀勢本線(きせいほんせん)に乗り込むところから始まります。山を背景に畑や民家が点在する里景色が続くなか、ときおりリアス式の豊かな表情をもつ海岸線が顔を出す、のどかな土地を行く列車で小1時間。まずは全国でも有数のみかんの産地、有田郡(ありだぐん)の湯浅駅で下車します。日本の味の原点ともいえる醬油ですが、実は中国からもたらされた味噌づくりの副産物として生まれたもの。その味噌が伝わった地・由良を訪ねる前に、まずは醬油を全国へと広めた町、湯浅を歩きましょう。

 駅から歩いて5分ほど、歴史を感じさせる木造家屋や蔵などが並ぶ湯浅町は、江戸時代には92もの醬油屋が軒を連ねていたのだとか。町内の人口が1000人という時代のことですから、これは驚くべき数です。
 湯浅で醬油が発展したのは、山田川水系の水が醬油づくりに適していたことと、種類が豊富な魚介を各地へと運ぶ廻船業が盛んだったため。樽に詰めた醬油を大八車にのせて港までひと走り、あるいは醸造蔵の裏の堀に小舟を着けて積み出し、廻船へ。職人気質のものづくりと商売の両立が、醬油を日本の味として定着させました。下の絵は、醬油や廻船業でにぎわっていた往時の湯浅の様子を描いたもの。荷を積み下ろすための堀沿いに蔵が並ぶ様子は湯浅らしい景観で、この一帯は重要伝統的建造物群保存地区(和樂ではおなじみの、いわゆる「重伝建」です)に指定されています。

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 江戸時代のにぎわいを想像しながら歴史と醬油が香る町を歩き、最初に訪問したのは醤油づくり175年という「角長(かどちょう)」です。仕込み蔵を見学すると、天保12(1841)年の創業当時からの蔵には、天井や壁、床にまでびっしりと蔵つき酵母が。醬油の命ともいえるその酵母をさして、「味の決定権はこいつらにあるんです」と6代目の加納誠(かのうまこと)さん。国産の丸大豆と小麦、ミネラルが豊富な岩塩、そして良質な湯浅の水。そこに生きている酵母が働き、きりっとした塩気のなかにもまろやかさを感じる醬油が完成。天候やもろみの状態を見ながらの櫂入(かいいれ)や火入れといった重労働を、1日も欠かすことなく続けて自慢の醬油となるのです。
 そんな角長の「醬油資料館」や、堀に面して蔵が並ぶ大仙堀(だいせんぼり)の景色などを見物したり、金山寺味噌を専門につくる「太田久助吟製(おおたきゅうすけぎんせい)」へも。醬油が香る町湯浅をぶらぶらしたら、この土地の名物のひとつ、釜揚げしらす丼をいただきに日本料理店「横楠(よこぐす)」へ。ここ湯浅は加工工場が港から数分の距離にあるため、傷むのが早いしらすも鮮度を保ったまま釜揚げすることが可能。ご飯の上のふっくらしたしらすに湯浅の醬油を少々…と、完璧なお昼ごはんです。
 さて、なんとも贅沢な昼食を終えたら、湯浅駅前からタクシーに乗り込み、湯浅湾の景色なども眺めつつ、醬油のルーツをたどって由良町の「興国寺」へ向かいましょう。

きらめく海原と絶景続きの海岸、
瀬戸内の穏やかさを堪能…湯浅から由良へ

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 かつては 末寺も143を数えたほど栄えた「興国寺」。後に秀吉の紀州征伐などで往年の堂塔は焼失しましたが、山を背景に再興された伽藍が立ち並ぶ静かな境内を歩きながら、修行中の若い僧が味噌に溜まった汁をつまみ食いならぬつまみなめしたのかも…などと想像するのも楽しいものです。
 さて、紀中の醬油旅もそろそろ夕暮れどき。「興国寺」をあとにし、白崎海洋公園で圧巻の夕景に見とれたら、再び湯浅へ。今宵の宿は、紀州の魚介が楽しみな「栖原温泉(すはらおんせん)」です。地元湯浅や近海で獲れる魚介をたっぷりいただき、敷地内に湧くお湯に入れば、湯浅の味づくしの1日が終わります。
 
 次回は由良から南下し、もうひとつの醬油の町、御坊を歩きます。

【湯浅・由良歩きガイド】

湯浅3

湯浅の町

江戸時代に紀州藩有数の商業都市として栄えた湯浅は、平成18(206)年に重要伝統的建造物群保存地区に指定された風情が残る町。北町通り、鍛冶町通り、中町通り、濱町通りを中心とした一帯は、小路が入り組む江戸時代の地割が残されています。上層部が低い厨子2階という構造に、虫籠窓(むしこまど)や出格子(でごうし)など意匠も見応えのある木造建築や、真っ黒に染まった屋根瓦が生きた酵母菌の証という醬油蔵が立ち並びます。醬油の醸造所のほか、種麴の製造元や昔ながらの鮮魚店、江戸時代から昭和の終わりまで営業していたという銭湯(現在は内部を復元した資料館に)、茶店なども。町内の休憩所には、醬油が出荷される様子を描いた資料なども展示されています。大八車で醬油樽を運び、小舟から廻船(貨物船)へ移し替える様子とともに、町並みが現在も変わらないことがうかがえます。

角長

天保12年の創業時からの蔵で湯浅の醬油を守る「角長」

大豆や小麦の下処理から瓶詰めにいたるまで、すべての工程を手作業で行う「角長」。現在は5代目加納長兵衛さんと息子の誠さん、孫と孫娘婿の4人で、750年続く湯浅醬油の製法や味を守ります。すぐ近くには、昔の道具や醬油づくりの工程などを展示する醬油資料館も。
角長/和歌山県有田郡湯浅町湯浅7 9時~17時(店頭販売) 無休 ※資料館は土曜13時~17時開館、その他の曜日の見学は要予約

横楠

湯浅名物しらす丼はここで!「横楠」

湯浅での昼食には、名物の釜揚げしらす丼をぜひ。湯浅湾に入る新鮮な魚を食べさせる日本料理店「横楠」で提供される釜揚げしらす丼に、鮮度が落ちないうちに釜揚げされたしらすがたっぷり。「角長」をはじめ数種類をブレンドしているという醬油をほんの少したらすと、しらすの優しい美味しさが際立ちます。
横楠/和歌山県有田郡湯浅町湯浅664 11時30分~14時(夜の営業は予約のみ) 水曜休

太田

金山寺味噌専門店はここ!「太田久助吟製」

醬油の醸造所から60年ほど前に金山寺味噌の製造に切り替えたという専門店。夏の間に収穫した、丸ナス、ウリ、ショウガ、シソと、刻んだ野菜を加えて発酵させる、製法も野菜の種類も数百年変わらない伝統的なおかず味噌である金山寺味噌をつくります。キュウリやキャベツ、セロリにダイコンなど生野菜につけて食べたり、炊きたてのご飯にちょんとのせても美味。
太田久助吟製/和歌山県有田郡湯浅町湯浅15 9時~18時 不定休

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湯浅名物〝醬油まんじゅう〟をお土産に「おぐらや」

湯浅名物のひとつが、包みを開けた瞬間、醬油の香りが広がる「おぐらや」の醬油まんじゅう。こしあんを包んだじょうよまんじゅうで、皮に「角長」の醬油を使用しています。つくりたてのほうが香り豊かで美味しいので、可能なら事前に電話注文を。つくりたてを購入できるよう準備しておいてくれます。 
おぐらや/和歌山県有田郡湯浅町湯浅1033-5 6時~18時 日曜休

醬油誕生のお寺「興国寺」

かつて白隠禅師(はくいんぜんし)に「紀の国に興国寺あり」といわしめた名刹。安貞元(1227)年に源実朝の菩提を弔うため建立された「西方寺」が前身です。宋で禅の悟りの証である印可を受けた覚心禅師が赴き、のちに禅宗の寺に。宋から味噌の製法と尺八の名手を連れ帰ったことから〝味噌・醬油と尺八の寺〟として知られるようになりました。山に抱かれるように建つ、静かな寺院です。
興国寺/和歌山県日高郡由良町門前801 

海の道

都人があこがれた「湯浅の海」と「万葉の道」

平安時代後期、上皇や貴族たちが熊野三山を目ざして通った街道・熊野古道。そのルートは紀伊路(きいじ)と伊勢路(いせじ)がありますが、京都から大阪を経て南下する紀伊路では、湯浅付近の熊野御幸道(くまのみゆきみち)より古い「万葉の道」とも「海の古道」とも呼ばれる峠も利用されました。都からはるばるやってきた旅人はこの海景色と出合い、旅の疲れを癒やしたに違いありません。

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おだやかな海も夕暮れ時はこんなにドラマチックに!

由良町最西部の、紀伊水道に突き出た「白崎」。氷山のような石灰岩の岬、白砂の海岸など、県立自然公園に位置する美しい景観は万葉の昔から歌に詠まれてきました。日本の夕陽百選や日本の渚百選にも選定されているほどの美しい景色は、足を伸ばす価値ありです!

栖原温泉

〝醬油旅〟夜は「栖原温泉」でほっこり

代々柑橘農家を営んでいるご主人の自宅の井戸水が温泉だったことから、明治25(1892)年に小さな宿を開業。穏やかな湯浅湾の魚を中心に食べさせる料理屋としても、地元の人に愛されています。どんな料理にもつくというのが、栖原地域で日本の収穫量の約8割を占めるという柑橘、三宝柑を使用した茶碗蒸し(写真左下)。柑橘特有の甘酸っぱいさわやかな香りが、茶碗蒸しの美味しさを引き立てます。秋から初春のご馳走は幻の魚とも呼ばれる高級魚のクエ(写真右上はクエ鍋)。予約状況によっては、クエを食べて入浴するだけという利用も可能です。
栖原温泉/和歌山県有田郡湯浅町栖原1363 

撮影/篠原宏明