オーロラや白夜などの幻想的な自然景観、イッタラやマリメッコなどのポップでモダンな北欧デザイン、アルヴァ・アアルトのモダニズム建築、さらにトーベ・ヤンソンのムーミンなどで知られる北欧・フィンランド。のんびりとした心地よさが漂うフィンランドに、日本人美容師がひとりで営むヘアサロンがあります。その店主は原宿で30年以上にわたって美容師を続けてきた梅沢紳哉さん。予約が半年待ち以上という原宿のヘアサロンをたたみ、フィンランドはヘルシンキでヘアサロンをはじめて1年になります。なぜヘルシンキでヘアサロンをはじめたのか、日本のヘアサロンとの違い、フィンランドでの暮らしなど、おうかがいしました。日本人美容師が暮らしてみてはじめて見えてきたフィンランドのよさとは?
人生の転機は長期休暇で訪れたフィンランド
フィンランドの首都ヘルシンキ、歴史的な建造物が立ち並ぶ街のはずれに『HAIR SALON JEFF』はあります。「都心だけど緑が多くて、東京でいえば広尾みたいな場所です」と店主の梅沢紳哉さん。美容師歴30年になる梅沢さんは、今も昔も美容カルチャー発信地の原宿で美容師人生をスタートしました。数年後に独立をして、原宿に店を構えて順調に規模を大きくしてきました。しかし2012年3月に「これからは店を大きくすることに力を注ぐのではなく、お客さんに一対一で向き合って仕事をしよう」と決めて、原宿でプライベートサロン『HAIR SALON JEFF』をはじめます。
「ひとりで小さくはじめたものの、いつのまにか半年先まで予約が入る店に。うれしかったけれども、自分の時間がまったく取れなくなって」と、当時を振り返ります。好きなライブや友人と食事にいく暇すらなくなり、気持ちに余裕がもてなくなってきました。そこで意を決し、ほぼはじめての長期休暇をとることに。「久しぶりに旅をしようと思いました。刺激的な都会よりもなんとなくの思いつきでフィンランドを訪ねることに。現地の美容室を見てみたくて、日本人の現地コーディネイターに依頼をしたんです。それが今のサロンオーナー、歌野嘉子さんです」。
今、望んでいる生き方にふさわしい場所へ
現地コーディネイターの歌野さんと連絡をとりあううちに、歌野さんがフィンランドでいくつかの事業を行っていることやフィンランドに日本人美容師を呼びたいと思っていたことがわかります。息抜きに訪ねた北欧の旅で終わるはずが、「1800人ほどの在住日本人がいるけれど誰もが美容室に困っていると聞き、じゃあ次はヘアカットも」と歌野さんとはじめたのが、『JEFF in Helsinki』という出張サロンでした。半年ごとに訪れるうちに、確かな技術と繊細なカットは評判をよび、「次はいつ」「店を出せば?」などと言われるように。歌野さんとも信頼関係を結ぶなかで、フィンランドで暮らすのもありかなと思うようになっていきました。
待ってくれているお客さんたちの言葉はもちろんですが、森や海がすぐそばにあるヘルシンキのすばらしさ、自分や家族との時間を大事するフィンランド人の暮らしぶりにも、大いに影響を受けたそうです。「仕事で成功して、都会のいい家に住んで、いい車に乗って。30代まではそんな気持ちが強かった。でも40代半ばをすぎると、そういうことへの興味も薄れてきました。家や車よりも自分や家族との時間を大事に仕事をしていきたいと考えるように。ちょうど生き方を見直す時期だったのかな」。2年ほどの準備期間を経て、2019年の春に家族とともに渡欧します。
日本の黒髪をまとめるには工夫が必要
歌野さんが経営者となり、2019年初夏には店をオープンしました。すぐに多くの在住日本人が詰めかける人気のヘアサロンに。「ありがたいことに毎月訪れてくれるお客さんも増えてきました。この1年で500人ぐらいの方の髪型を任せていただきました。みなさんが喜んでくださることがすごくうれしい」。フィンランドの美容師すべてがそうではないと前置きをしながら、「アジア人の髪の癖をうまく扱える美容師が少ない。太く硬いアジア人の髪は毛量の調整が大事。そこが大雑把だと黒髪はまとまりにくいから」と、言います。
最近では店の評判を聞いて、日本人以外のお客さんが訪れるようになってきました。またムーミンの生みの親であるトーベ・ヤンソン、マリメッコやイッタラなどの北欧デザインを輩出したフィンランドには、日本からの旅人がとても多いとか。「旅の思い出に髪を切ろうと思って」と訪れたお客さんの言葉がきっかけとなり、“旅カット”なるものを提唱中。名前をつけたことで、“旅カット”を目的のひとつにヘルシンキを訪ねる旅人も。旅のはじまりならば気持ちが盛り上がり、旅の終わりならば戻っていく自分への切り替えになる、どちらにしてもいい思い出になりそうです。
4週間ある休暇と向学心豊かな街のひと
ヘルシンキで暮らしてみて、あらためて日本との違いを実感。とくに強く感じているのは、働き方だそう。「10時からはじまる店は10時ぴったりに出勤する。開店準備も当然それからです。日本では1時間ぐらい前にきて準備をしていたので、なかなかその感じに慣れなくて」。また聞いてはいたけれども、実際にバケーションを4週間とるように言われたことには驚いたそう。「こちらでは休み明けにパソコンを立ち上げて、ログインパスワードを忘れていることがいい休暇を過ごした証だそうです」と、笑います。
人びとの向学心が旺盛なことにも感銘を受けます。「50代から大学に通うこと、40代でエンジニアを目指して専門学校へ、などは当たり前。周囲の反応も『やりたいことが見つかってよかった』となる。『今からはじめるのは遅い』みたいな感覚がないのはすごくいい」。それも国のサポートが充実しているからこそ。その原資は国民が支払っている税金です。日本の消費税にあたるVAT(付加価値税)は24%*なので、日本よりは物価は格段と高くなります。「特別なことがないと外食はほとんどしなくなりました。日本のように安くておいしい店はないから、そこは東京が懐かしいです」。
*「付加価値税率の国際比較」(2019年)/財務省
人や自然に癒されつつ今日も営業中
物価は高いけれども、お金を使わずに楽しめることがいくつもあると言います。「ここに来た理由のひとつでもあるけれど、ただ歩いているだけでも楽しくなるような美しい街並み。首都のヘルシンキですら、少し歩けば森や海がある。家から店までの通勤コースで心が満たされるんです。休日には美術館や教会、アンティークショップにもよく足を運んでいます」。
またフィンランドといえばサウナ!「サウナはほとんどの家やアパートメントにもあるし、公共のサウナもたくさんあります。値段も高くない」。地元のひとたちとともに、日本の銭湯や温泉に通じるフィンランドならではのサウナ文化を楽しんでいるそう。そして自然や街の美しさはもちろん、フィンランド人のお人柄にも癒されています。「いろんな人がいるとは思いますが、出会うひとたちは素朴でおおらかで優しいひとばかり。総人口も約551万人と少なく、福祉国家ゆえに将来を心配することなく暮らしていられるからでしょうか。若者には刺激が少ないかもしれませんが、今の僕にはこの国の良さがすごくわかります」。
とはいえ、いいことばかりではありません。新型コロナウィルスの流行によって慣れない異国の地にて都市封鎖を経験。これからどうなるのだろうかと不安になることも。「まあ、なるようにしかならないかなと。早1年であり、まだ1年、先のことはわかりません。でも鏡の前に座ったお客さんが、新しい自分を見つけてくれたり、少しでも嫌なことを忘れてくれたら、と思いながら鋏を動かすだけ」。
「髪を整えると気持ちが整う」と、梅沢さんはよく言います。10年以上にわたり髪型をおまかせし、ともに様々な出版物を手掛けた仕事仲間である梅沢さんの『HAIR SALON JEFF』が、フィンランドで暮らす人びとに愛される店になっていることをとてもうれしく感じています。
髪と気持ちが整う『HAIR SALON JEFF』は、本日もヘルシンキにて営業中です。
撮影(*クレジットのないものはすべて)/梅沢紳哉
HAIR SALON JEFF
Tunturikatu 6 00100 Helsinki FINLAND
Open : 10:00-18:00 / Saturday,Sunday 9:00-17:00 Close : Monday,Tuseday
https://hairsalonjeff.com/