国宝「仮面の女神」
「仮面の女神」(尖石縄文考古館保管)
一方「仮面の女神」は、棚畑遺跡から4キロほど離れた、中ッ原遺跡にて、こちらも大集落のほぼ中央のお墓から出土しました。作られた年代は、「縄文のビーナス」からおよそ1,000年後の縄文後期前半。「ビーナス」とはうって変わって、お尻は小さめで乳房の表現もありませんが、その代わりに女性器が表現されています。子宮の中を思わせるような、おヘソを中心にした渦巻き文様が印象的です。入れ墨なのか、衣装なのか、あるいはお化粧なのでしょうか。
「仮面の女神」お腹の渦巻き文様と、女性器の表現拡大。
この土偶も、右足が切り離されていた以外は、完全な状態で発見されました。中空の体内には、偶然とは思えない量の土がいっぱいに詰められ、また切り離された足と胴体をつなぐ部品が不自然な向きで見つかったことから、右足は意図的に切り離されたと見られています。部品がバラバラになって見つかる土偶も多い中、ほぼ完全形で埋めたのはなぜなのか、なんのために土を詰め、なんのために足を壊したのか? 現代人が縄文人の精神性に迫るには、まだまだ時間がかかりそうです。
女神たちは縄文人にとっても「国宝」だった?
土偶は現在、全国で20,000点ほど出土していますが、ここまで「出来の良い」土偶は実はとっても珍しいのです。館内にも土偶は数多く展示してありますが、これらを見ると、「ビーナス」や「女神」が縄文人にとっても別格であったことは安易に想像がつきます。
縄文中期に作られた土偶。(全て尖石縄文考古館蔵)「縄文のビーナス」を真似て失敗したような顔や、子供の粘土遊びとしか思えないようなものもけっこうあります。
多くの土偶が意図的に壊されて埋められる中、数百年もの間人の目に触れ続け、最後まで壊されることなく丁寧に埋められた「縄文のビーナス」。そして、諏訪の黄金時代である「縄文中期」が終焉を迎えた後、その体にいっぱいの土を詰めて、やはり壊されることなく丁寧に埋められた「仮面の女神」。
2つの土偶は、どちらも八ヶ岳文化圏の中心と言ってもいい大集落の、中央に位置する土坑に埋められていたのです。八ヶ岳文化圏のまさに中心で大切に祀られた女神たちは、もしかしたら、勝坂式土器でつながった一大文化圏を守る、母なる八ヶ岳の包容力そのものの象徴だったのかもしれない、なんて、考えすぎでしょうか。