諏訪大社上社の奇祭「御頭祭」とは
では、守矢氏が代々取り仕切ってきた諏訪大社上社の「狩猟民的」祭りとは、いかなるものだったのでしょうか。「神長官守矢史料館」の展示から、ほんの一部をご紹介しましょう。史料館の入口をくぐるとすぐに眼前に現れる、度肝を抜かれる展示のハイライトです。はいこちら。
このエキセントリックな展示は、古代より諏訪大社上社の例大祭として執り行われてきた「御頭祭(おんとうさい)」のジオラマです。江戸時代に諏訪を旅した博物学者にして旅作家、菅江真澄(すがえ・ますみ)のスケッチを元に再現されたといいます。記録によると、当時の御頭祭では75頭分の鹿の首が神饌(しんせん・神に供える食物のこと)として捧げられ、胴体部分は人間が食す神人共食(神と人とが同じ食物を味わうこと)の形をとっていたとか。血を穢れとする神道にあって、獣を神饌とする珍しい「狩猟民的」祭であるばかりか、75頭の首をそのままの形で供える生々しさに原始的自然信仰の形が伺えます。
祭では鹿の頭だけでなく、イノシシの脳みそや、白ウサギなどの小さな獣、サギやキジなどの鳥類、鯛や海老などの海鮮物など様々なものがことごとく奉られたといいます。
現在でも毎年4月15日には、5頭分の鹿頭の剥製を供える縮小バージョンの祭が行われていますが、本来の御頭祭は、「廻り湛(まわりたたえ)」と呼ばれる神事に出かけていく童子を送り出す祭でした。「廻り湛」とは、これまた上社独特の古い古いお祭りで、この祭では選ばれし諏訪明神の代役となる6人の童子が、神の依代となる木や石を回り、縄文に起源があるとも言われる精霊「ミシャグチ」を地上に降ろしたのだといいます。
古代の神事「廻り湛」でミシャグチ神の依代とされてきた木や石は、「七木湛(しちぼくたたえ)」あるいは「諏訪七石」と呼ばれています。図は諏訪大社前宮の奥にある、七木湛の一つ、「峰たたえ」です。