夏という季節に大人も子供も心が浮き立つのは、全世界共通。澄んだ海、乾いた風がひときわ心地よく感じるころ、時間に余裕があるのなら、本島のその先にある離島を目ざしてみませんか?『佐渡』『対馬』『大三島』を3週にわたってご紹介します。
『島の能』は、佐渡の人びとが生きるあかし
日本最大の離島、佐渡。この絶海の孤島に30棟余りの野外の能舞台があることをご存じでしょうか。なぜ本土から離れたここに、素朴な能舞台が数多く残されているのか。それは、この島が8世紀から配流の地として定められ、天皇の皇子や宗派を興した僧など歴史上の著名な人物が、実際に流されてきたことに深く関係しているからだといわれています。
初めて佐渡を訪れると、まずその大きさに驚きます。佐渡は沖縄本島に次ぐ面積で、東京23区の約1.4倍。かつてはこの地の村の数と同じ、200棟以上の能舞台がありました。現在は30棟余りとなりましたが、佐渡は日本の能舞台の3分の1が集中しているほど、能の盛んな土地なのです。小さな集落のさりげない能舞台で神々に奉じる薪能(たきぎのう)を見ると、かつての私たちの故郷にもこのような習俗が確かにあった、という不思議な思いに充たされます。
なぜ、佐渡に能という芸能が根づいたのでしょうか。それは、能の大成者である世阿弥が佐渡に流されてきた史実と無縁ではないといわれています。佐渡は、奈良、平安時代から遠流(おんる)の島と定められ、罪人のなかでも特に思想犯が送られてきました。承久の乱(1221年)で敗れた後鳥羽天皇の息子である順徳天皇、鎌倉幕府を批判した日蓮宗の開祖・日蓮聖人、将軍・足利義教の怒りを買った能楽師の世阿弥など、政争に敗れた貴族や知識人たちによって、都の風俗がもたらされたと考えられています。
そして江戸時代初期に、金銀の資源に恵まれた佐渡は幕府の天領(直轄地)となり、金山奉行として江戸から大久保長安が派遣されます。能役者の息子であった大久保は、佐渡にシテ方や囃子(はやし)方を同伴しました。その後神事能が定着し、幕府が瓦解(がかい)しても島の能はすたれずに受け継がれていきました。
民衆が守る伝統芸能の姿。それは現代の奇跡
宝生流師範の神主弌二さんは、元は高校の校長先生。能の普及に力を尽くしている。
今も佐渡は、普通の人たちが行事の際に自然に謡曲を口ずさむようなところ。「京都は着倒れ、大阪は食い倒れ。佐渡は舞い倒れ、という言葉が佐渡にはあります。能を習い始めると、周囲に『能で身上をつぶすなよ』と言われたり…(笑)」と語るのは、天領佐渡両津薪能で『羽衣(はごろも)』のシテを務めたこともある神主弌二(こうずいちじ)さん。神主さんは佐渡の宝生流(ほうしょうりゅう)の重鎮で、市内の中学生たちに能楽の指導も行っています。
シテが舞台に出入りする際は楽屋に緊張が走る。
「宝生流が盛んなのは、地元の名門だった本間家初代・秀信が、慶安年間(1648〜52)に奉行所より能大夫(のうだゆう)を仰せつかり、佐渡に宝生座を開いたことがきっかけです。宝生座の門下生たちが神社に奉納する神事能を請け負ったので、島内に能が広まったといわれています。今も本間家は佐渡の宝生流の中心的な存在で、私たちが舞台に立つときは、本間家の面や能装束で舞うのです」
開演前の楽屋は、出演の準備をする人たちでにぎわっている。
薪能に来る人はふだんどおりの服装で、ちっとも特別な催しではないような気楽さです。しかし見る目は真剣。火入れの神事のあと、赤々と燃える篝火(かがりび)に照らされながら、厳かに謡が始まりました。その地謡のなかには、さっきまでシテやワキの装束をつけるのを手伝っていた人たちがいます。
能は、武士の式楽として愛好されてきた歴史があります。能役者は武士に準じた身分を保証され、俸禄(ほうろく)を支給されていました。しかし佐渡の能は「市井の人びとが舞い、謡い、観るもの」。これが最も大きな特徴です。島人は自分たちの趣味として、そして島の娯楽として能を愛してきました。ハレの衣装で舞台に立つ人たちの幸せそうな顔。「能は楽しくて面白い。みんなのものだ」という精神が、今も佐渡の能を生き生きとした芸能にしているのです。
佐渡をもっと楽しむ旅案内!
【泊まる】
一客一亭の宿 伊三郎
軒下飾りで有名な、宿根木の民家『伊三郎』の内部を見るなら、ぜひ宿泊体験を。伊三郎は千石船の船頭の元住居。総溜塗仕上げの柱や梁など情緒あふれる空間を堪能したい。囲炉裏で地元の魚介を焼いて食べたりするのも楽しい。
webサイト:一客一亭の宿 伊三郎
【買う】
『北雪酒造』の日本酒
世界中に展開するレストラン『NOBU』の日本酒は、すべて北雪酒造の特注品。名優ロバート・デ・ニーロも訪れたという創業144年の老舗では、高速遠心分離機で日本酒を搾るなど、常に新しい試みにチャレンジしている。酒蔵見学とともに、製造している大半の日本酒がカウンターで試飲可能。その華やかな香り立ちをぜひ試して。
webサイト:北雪酒造