移住を繰り返して7年。
その移動距離は、北海道から九州までと意外に長い。異なる地に根を下ろすたび、私はいつも驚いてばかりいる。これまで全く知らなかった歴史や風土。その小さな発見に心躍る一方で、広く世に知られていないことを残念に思う。
もっと現地の人たちの声を聞き、その地で暮らすような旅がしたい。そんな渇望を己の中に認め「知る旅」に出た。
旅の目的地は九州の離島の1つである「奄美大島」。
沖縄県と鹿児島県のちょうど中間地点に浮かぶ、奄美群島最大の島だ。
人生2回目の渡島となる今回の取材。じつは、昨年、奄美大島を初めて訪れ、すっかり魅了されてしまったのである。追いきれなかった島の魅力をどこから伝えようかと考え、最初に選んだのがコチラ。
昭和23(1948)年創業の「原ハブ屋」である。
誰もが恐れる毒蛇の「ハブ」。地元の奄美大島では、琉球王から薩摩藩主への贈り物であったハブが、輸送中に台風に遭遇。入った壺ごと枝手久島(えだてくじま、現在の大島郡宇検村)に漂着し、島全土に広がったという伝説がある(諸説あり)。
今回は、そんな「ハブ」を生業とする人たちの声を届けたい。驚くべきハブの生態はもちろん、ハブと暮らす奄美大島の人たちの歴史や知恵なども併せてご紹介しよう。
大島紬の柄にもなった「ハブ」の見分け方
奄美空港から車で8分ほどの距離にある「原ハブ屋」。
一見、どこにでもあるフツーの土産物屋のような佇まいだ。だが、いざ店に足を踏み入れると、なんだか様子が違う。店内にはユニークなヘビのキャラクターTシャツが吊り下げられ、ヘビの皮をなめしたモノ、加工された様々な商品が飾られていた。
マニアックな店。その一言ではまだ足りない。奥に進んで曲がると、全く異なる光景が広がっていた。ペットショップでよく見るガラスケースがズラリとお目見え。中にいたのは、他でもないハブたちである。
「ハブの特徴は『柄』ですね。丸いのが続くような柄で、個体によって縦の縞々(しましま)とか、ちょっと変わった柄のもいたりするんですけど。基本的にはこの柄ですね」
こう話すのは、「原ハブ屋」で企画などを担当されている原良太(りょうた)氏。兄、弟と共に三兄弟で家業に携わっているという。
「ハブの柄はとても美しいとされています。奄美大島には世界遺産になった自然が多く残っていて、なかには取り込まれて文化となった特徴的なものもあります。大島紬もそうで、ハブの柄が古典的な(大島紬の)柄の1つになったといわれてますね」
恐る恐る近寄って見る。こんな間近でハブを観察する機会など滅多にない。人生初の、ナマ「ハブ」である。これまでヘビの柄など気にも留めなかったが、見れば見るほど独特の柄だ。確かに美しいと捉える感性も分からなくはない。世界的に有名な大島紬の図案にハブの柄が用いられたのも頷ける。
隣のガラスケースを覗くと、違う種類のヘビもいた。じつは、地元の人でもなかなか「ハブ」とそれ以外のヘビとを見分けるのは難しいのだとか。原ハブ屋では、その違いを知ってもらうためにハブ以外のヘビも展示しているという。
「『ヒメハブ』とか『ガラスヒバァ』は、よく『ハブ』と間違えられたりします。奄美大島には毒のあるヘビが4種類、毒のないヘビが4種類、陸に棲んでいます。例えば、毒のない『アカマタ』なんかは、結構気性が荒くてですね。地元ではこの『アカマタ』のいるところに『ハブ』はいないって言われています」
アカマタを出して、実際に見せていただいた。毒のないヘビだからと安心していたが、攻撃をしかける素振りを見せただけで激しく威嚇。その喧嘩っ早い性格は見事である。
「ハブには毒牙がありますので。ハブに噛まれた場合は、ドラキュラじゃないですけど。2本の傷跡がつくと思うんですね。アカマタとかは、ちっちゃい牙しか持ってないので、いっぱい点々がつくような傷になるんです」
他にも、頭と柄の形が見分け方のポイントだという。
「『ハブ』も『ヒメハブ』もクサリヘビ科で、特にハブには『頭が大きな三角形』という特徴があります。地元では、やはり頭が三角形の蛇には気をつけなさいって、昔から言われてるので。でも、これも見慣れてないと、見分けづらいと思うんですよね」
隣に並べるとより分かりやすいはずだと、アカマタの隣にヒメハブがご登場。とても温厚な性格というが、まさにその通り。原氏が足を上げても全く動きもしない。なんでも日本で最も太くて短いヘビであるため、「ツチノコ」と間違えられることが多いのだとか。ハブよりは毒性が弱いらしい。
ただ、素人の私からすれば、「アカマタ」も「ヒメハブ」も同じように三角形の頭に見えてしまう。一緒に並べられてこの有様なのだ。草むらで襲われたら、パニックに陥ることは言うに及ばず。
「正直、分かりにくいと思いますね。なので、襲われたら、やはり携帯で写真を撮ったりですとか。そういうのは必要だと思いますね」
「咬まれた」ではなく「打たれた」?
奄美大島でのハブの最大記録は全長241㎝(1992年)。隣の徳之島では全長260㎝、体重3㎏(2010年)との記録もある。なお、個体によっては大きさだけでなく、色も違うとか。
「同じハブでも、細かくいうと、島の人は『金ハブ』『銀ハブ』と呼んだりします。ハブでも体色が違って、黄色っぽいものと白っぽいものとがいるんですね。ただ、混血もいて、必ずしも明確に分かれるわけではないんですが」
今度はハブを見せていただいた。先ほどからガラス柵の上に乗り出して写真撮影を行っていたのだが、ハブの時だけは乗り出さないようにと注意を受ける。改めて「?」マークが頭の中で大きくなる。それって、どうなんだ。ハブはこちら側までジャンプできるってコトなのか。
そうこうしているうちに、ハブ様がご登場。先ほどのヘビたちとは容れ物も異なり、僅かだが原氏の取り扱い方にも慎重さがうかがえる。離れて見ていても不安で仕方ない。強面の私だが、心はチキン、いやその卵以下なのだ。せめて攻撃前の目印となる仕草はないのだろうか。
「基本的にはですね、伸びきった状態では攻撃できないとされ、『とぐろ』という体制があるんですけども。必ず縮んでその反動を使って攻撃するんです。よく巷で言われるのは、大体1秒縮んで攻撃してくるんで、2秒ぐらいかかると。だから島では2番目に歩いてる人が危ないとか、言われるんですね」
奄美大島では、例年、20名前後の人がハブの咬傷被害に遭うという。実際に、鹿児島県のホームページで公表されている「ハブ咬傷者数(令和5年度)」は奄美大島だけで18名。未だ被害は後を絶たない。
「ハブを見つけて獲ろうとして咬まれてしまうとか。草刈りで山間部に入ってハブがいると知らずに咬まれてしまうとか。基本的に向こうから襲ってくる生き物ではなくて、あくまでハブの攻撃範囲といわれる約1.5mの中に足を踏み入れたりすると来るんです」
つまり、今の私もハブの攻撃範囲に入っているというコトか。けれど、ハブの後ろにいるのだ。安心しかけたところで、物騒な言葉が飛び出す。
「目はあんまり良くないとされてまして。目と鼻の間に穴があるんですけど。この『ピット器官』を使ってですね、熱を感じることができるといわれています。夜行性なので、動きのあるモノの温度をサーモグラフィーのように察知して行動します。尻尾を中心に360度、熱源に反応して動くんです」
完全に獲物じゃないか、私。
でも、人間だもの。ガタイだってでかいし。さすがに飲み込まれたりしないよなと、気を落ち着かせる。
「島の人は『打つ』っていう表現を使うんですが。がぶっと咬みつくというよりは、ポーンと毒を打ち込むような攻撃の仕方をします。毒嚢(どくのう)っていう袋があって、2CCぐらいの毒を溜めることができます。実際は1回につき毒が0.2CCくらいしか出ないといわれてまして。何度か打ち込んで、動きを鈍らせて捕食するという感じになりますね」
つまり、襲われたら。
「ハブに咬まれたあああ!」ではなく「打たれたっ!」という表現になるのか。知らない人間からすれば、ヘビの尻尾に打たれたという意味合いに取ってしまいそうだ。
ちなみに、毒の量は生まれたての赤ちゃんヘビも同じで、体のサイズは関係ないという。毒の強さも攻撃能力も差がない。大体1匹で9個から10個の卵を産み、奄美大島では9月初旬から赤ちゃんヘビが出てくるという。これがススキのように小さくて軽いのだとか。1匹いれば周辺に9~10匹が固まっているため、厄介な存在とされている。
100枚のカミソリ? ハブ毒の衝撃の結末
「私はまだ今のところ被害には遭ってないですけど。うちの父親がですね、『ヒメハブ』に、昔、取り扱い中に噛まれたことがあります。やっぱり指先を咬まれて、本人は肩のところまで腫れあがったと言ってますので」と良太氏。
それでは、実際に被害に遭われたご本人の言葉を紹介しよう。これは「原ハブ屋」で行われているショー(詳しくは後述)で語られた内容の一部である。
「血管毒と申しまして、血液に入らないと力が出ないんですよ。16種類のアミノ酸から構成されている毒性タンパク質。分かりやすくいうと、血管をぶち切っちゃう。ものすごく痛いんですよ。実際に腕を咬まれると、どういった現象が起きるのか。腕の中にカミソリを入れてる感じですね。1枚じゃない。100枚ものカミソリ。それらが、血管の中から一斉に、血管、筋肉、神経をズタズタに切り刻んでくる。もう、こんな痛いコトないよねえ。内出血を繰り返して、腕がバンバンバンバン腫れてくるんです」
ハブ毒の衝撃の結末はこれで終わらない。良太氏の説明に戻ろう。
「ハブの毒性は『出血毒』といわれてます。コブラとかは『神経毒』で、目がチカチカしたりとか、神経に被害を及ぼすものなんですが。ハブ毒は消化酵素の一種というか、人間の唾液のようなもので。血管を断ち切ってしまって。最終的には筋肉を溶かします。ハブは手足がないですから(獲物を)バラバラにできないですし。牙もそこまで強くないので分解することが難しい。だから溶かしながら徐々に丸飲みする形になりますね」
アメージングな世界である。ちなみに、毒でもって相手を殺すワケだから締め殺す必要はない。だから体が柔らかいのだとか。大体、首の直径の15倍ほどのモノを飲み込めるという。首の直径が2㎝ほどなら、30㎝もの個体を飲み込むことができる。さらには、より大きなモノを捕食するため、下顎も肋骨も開閉できる優れモノ。圧倒的に効率性を追求した構造のようだ。
「ただ、体温を自分で発熱することができないので、気温が20度ぐらいないと。逆に、これがまた暑くなりすぎると、今度は動きが鈍くなってしまうんです。一度餌を獲ると水だけでも半年ぐらいは生きられるんじゃないかって」
変温動物であるため、私たち人間のように体温を維持しなくとも生きられる。つまり、使うエネルギーは格段に少ないというワケだ。実際に、ハブに関しては捕食後に水のみで251日以上生きたという記録もあるとか。ただ、乾燥と水切れには弱いという。
究極のエコボディも水だけは必須のようだ。
ハブは縁起物? 自然の守り神?
ハブの生態を知れば知るほど、絶対に遭遇したくないと強く願う。だが、これも視点をガラリと変えれば、見える景色も違うようだ。
「どうしても怖いなっていうイメージがありますが、ハブは奄美大島のとっても大切な『自然の守り神』だと思っているんですよ」
こんなトークで始まった原ハブ屋の名物ショー「ハブと愛まショー」。原ハブ屋では、ただハブを加工して商品化するだけでなく、ハブに対する理解を深め、最終的には共生を目指している。それを落とし込んだのがコチラのショーだ。
取材日のショーパフォーマーは代表取締役の原武広(たけひろ)氏。良太氏の父親だ。時折ダジャレをぶっこみながら、子どもも大人もあっという間にハブの世界へと引き込んでいく。
「毒蛇の中でも、特に紹介をしておきたいのが1ついるんです。それは『ヒャン』。ヒャンはコブラです。これ以上はでかくなりませんよ。なんと世界で奄美大島にしかない固有種です。ですからこの島から消えてしまうと絶滅となるんですよ」
じつに、奄美大島にはそんな固有種が100種類近くいる。前回取材した「アマミノクロウサギ」やカラスの仲間とは思えないカラフルな「ルリカケス」などもその一例だ。奄美大島にしかいない不思議な動物たち。それにしても、なぜ彼らは生き残ることができたのか。
「動物の世界ってね、弱肉強食の世界。三角のピラミッドの頂点、うまいこと自然界の輪を保ってくれているのが『ハブ』です。ハブが頂点にいることで、色々なものが島に入り込めないんですよ。バランスが保たれているのもハブがいればこそ。だから『自然の守り神』なんですよ」
じつにハブの魅力はそれだけではない。これは、ハブのみならずヘビ全般にいえることだが。一部では、金運、魔除け、厄除けというスピリチュアルなご利益が信じられている。
「ハブは年に3回から4回と脱皮を繰り返して、大きくなっていくんですよ。脱皮して古いものを脱ぎ捨てて生まれ変わる、常に進化を繰り返すっていうところが『不老不死』と『再生』を表してるんです」
奄美大島でも、脱皮した皮をお財布の中に入れる年配の方もいるとか。再生、つまりお金が出ててもまた入ってくる、循環するというイメージがあるという。
ハブとの共生の道
歴史を遡れば、かつて琉球諸島と奄美諸島を支配していた琉球国時代には、南西諸島の各地でハブが神格化されていた記録もある。だが、ハブによる被害があるのも事実。
「やっぱりハブって危険な生き物なので、昔は積極的に駆除の対象になってたんですね。その時代には(ハブを)いっぱい獲っていきましょうって」
特に、近代以降、ハブにとっては暗い時代が続くことになる。中井穂瑞領(ほずれ)著の「毒蛇ハブ」によれば、およそ1855年頃より薩摩藩によりハブの買い上げが始まり、ハブ対策の時代が始まったとか。これはハブが生活や開拓などの障害となったからだ。当時は1匹につき玄米1升、ハブの卵1個につき玄米3合が褒賞として与えられたという。
本格的なハブの捕獲は昭和29(1954)年から。奄美大島に「ハブ捕獲組合」が結成され、公費でハブの買い取りがなされている。当時は1匹につき150円で、その値段は徐々に値上げされ、最高額は平成2(1990)年の1匹5,000円という記録。現在は1匹3,000円に値下げされている。
もちろん捕獲のみならず、並行してハブ抗毒素(血清)の研究も開始された。明治34(1901)年には奄美大島に「ハブ毒採取所」が設立。その後に血清療法も成功し、奄美大島では毒蛇咬傷に対する予防接種も行われていたという(現在は廃止)。
そんなハブ対策も途中で迷走する。
一時は奄美大島の保健所で殺蛇剤の実験もされていたが、無害な他の動物などに被害が出て数年で中止。昭和54(1979)年には、天敵とされるマングース30匹を放ったが、その十数年後、逆にマングースによる農作物や養鶏の被害が続出する。
名物となっていた「ハブとマングースの決闘ショー」も、平成12(2000)年施行の動物愛護管理法により各地で中止。しまいには、奄美大島独自の生態系を脅かすとして、平成17(2005)年には捕獲専門の「マングースバスターズ」を結成。マングースも駆除されていくのである。
他方、ハブはどうなったのか。
積極的な捕獲推奨により、平成23(2011)年、奄美大島における1年間のハブ買い上げ数は3万8,886匹を記録。とうとう行政の財政をも圧迫する事態に陥ってしまうのである。
そんな奄美大島に、最近、風向きの変わる出来事があった。令和3(2021)年7月に「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が世界自然遺産に登録されたのである。生物の多様性、奄美大島の自然の豊かさが見直された結果といえるだろう。
「生態系のトップにハブがいて、奄美の自然が守られてきたっていうのもありますよね。また、単純に昔の人は危ないので山中にあまり入らず、開拓が進まなかったっていう点もありますね」
確かに、長い目でみればハブがいたからこそ。
「今となっては奄美の大事な生態系の一部ですので、共存共生、住み分けを図って共に暮らしていきましょうと、皆が一生懸命考えています。全てのハブではなく、あくまで人の生活圏に現れるような危険なハブを取るようにと私たちも伝えています」
取材後記
「物心がつくにつれて、ハブ屋っていうのが、結構、特殊な仕事なんだなっていうのが分かってきたというか……」と原良太氏。
原ハブ屋の創業は昭和23(1948)年。
創業者である先々代は、良太氏にとって祖父にあたる人物。元々、山で採取したり、釣りをしたりするのが好きな御仁だったという。
当初はハブの粉末や油を売っていたというが、次第に様々な商品が派生していく。現在では「共生」を目指して、ハブを理解してもらう活動にも力を入れている。昨年には「奄美の動物や自然との共存」をテーマにしたコミックを制作、自費出版したという。
そんな原氏にとって「ハブ」とはどのような存在なのだろうか。
ひとしきり悩んだ挙句、ぽつりと呟いた言葉。
「なんだろう……自分たちの歴史みたいなもんですかね」
それを形にしたものがコチラの作品だ
美術工芸品を作ってみないかという誘いがきっかけで、彼ら三兄弟で制作したオブジェである。
タイトルは「生業の手」。
「コレ、じつはですね。うちの父親の右手を石膏で型を取り、そこにハブの皮とハブの骨をつけたモノなんです。コンセプトとしては、我々が親父の右手として働いていて。この場所である『地』と『知恵』と『血』っていう、そういったものが自分の中にも受け継がれているのかなと」
常に加工できる量のみのハブしか扱わないと決めている「原ハブ屋」。照れながらも、家業に誇りを持つ表情が非常に印象的だった。こうして2時間にわたる取材が終了した。
最後に。
古代から長く神格化されてきたハブ。一時は近代化の波に押され、ハブ受難の時代もあったが、最近ではようやく「共生」という言葉が浸透してきた。
共生とは、言葉通り、「共に生きる」ことだ。
そのためには、それぞれ互いの存在を、まずは認め合わなければいけない。
奄美大島では、ハブの古称の1つに「アヤナギ」という言葉がある。「アヤ」は美しい、「ナギ」は長いという意味だとか。
ナイトツアーでのガイドの方の言葉が甦る。
「2mを超えるハブってね、ある種、神々しいんですよ」
その名の通り、ハブは美しい。
いずれ奄美の森で、神々しいハブをこの目で見たいと思う。
その存在をしっかりと目に焼きつけるために。
参考文献
「毒蛇ハブ」 中井穂瑞領(著) 南方新社 2020年6月
基本情報
名称:原ハブ屋
住所:鹿児島県奄美市笠利町平字土浜1295-1
公式webサイト:https://www.harahabuya.com/