チーン。
エレベーターのドアが開く。
まるで某ビールのCMのようだ。
エレベーターの先にある別世界へ。
心細くなりながらも、暗い通路を抜けていく。
「ここです」
着いたのは、長崎市内中心部にある建物の最上階。
そこは、溢れんばかりの光が降り注ぐ「屋上」であった。
ヴーンという重低音とともに。
かすかに海の香りが漂って、なんとも不思議な気分になる。
香りの正体は……と探すと、移動式の棚が目に入った。
近付いてみる。
並んでいるのは、少しくすんだオレンジ色の物体。
大きさは均一でなく、様々だ。
「からすみです。天日干しをして作るんです」
恐らく脳がバグるとは、こういう状態なのだろう。
屋上なのに。
すぐ近くにビルが見えるのに。
この時の私には、何故だかはっきりと「海の景色」が見えていた。
空と海の青さが眩い、晴れた日の海辺。
胸いっぱい潮の香りに満たされて。
目の前に並ぶのは、天日干しされたからすみ……。
おっと。いかんいかん。
つい、うっかり妄想にふけってしまったが。
これが噂の「からすみ」かと、再度、まじまじと凝視した。
江戸時代に「越前のうに」「三河のこのわた」と並ぶ、三大珍味の1つといわれた「長崎野母(のも)のからすみ」。
それにしても、そもそも「からすみ」って何なのか。
知っているようで、じつはよくわからん。そんな私のような方も多いはずだろう。
そこで今回は、その歴史から製造工程まで、初心者目線でまるっと「からすみ」を大解剖していく企画である。
取材させていただいたのは、コチラ。
安政6(1859)年創業の老舗、小野原本店だ。
それでは、長い前置きはこれくらいにして。
早速「からすみ」の世界へとご案内しよう。
今回は珍しく、製造現場からのスタートである。
※本記事の写真は、すべて「小野原本店」に許可を得て撮影しています
※この記事に掲載されているすべての商品価格は、令和7(2025)年4月末現在の価格となります
意外とシンプルな製造工程
「長崎のからすみ」といえば、必ずその名が上がるのが、江戸時代創業の「小野原本店」。
今回の取材では、7代目の小野原善一郎(おのはらぜんいちろう)氏にお話をうかがった。
それにしても、のっけからすごい光景だ。
木の板に、そのまんまの姿で「からすみ」が干されている。
でも、そのまんまの姿って。
結局、何なんだ?
「ボラの卵巣です。縮んできて、このサイズなんで。本当だったらもうちょっと大きくてですね。原料からすると、(出来上がりは)2/3から半分ぐらいにしぼみます」と小野原氏。
釣りをされている方ならご存知かと思うが。よく水面を飛び跳ねるあの魚がボラだ。からすみとは、ボラの「卵巣」だったのか。
「大きさで値段が変わってくるので、(サイズは)結構色々作ります。ボラが取れる時期っていうのは決まってるので、(大きなサイズが)取れて連絡をいただければ、それを買って作るみたいな感じですね」
ちなみに、ボラは秋の魚だ。
そのボラから作られる「からすみ」は、俳句の季語にもなっているほど。
ただ、今の日本ではなかなか良い品質のボラが取れない。そのため、小野原本店で使用する原材料の大半は、オーストラリアから輸入されたボラの卵巣だ。オーストラリアは南半球であるため、もちろん季節は真逆。つまり、取材当時の5月頃が、現地ではまさにボラを獲るシーズン真っ盛りとなるのだとか。
さて、そんなからすみだが、一体どのようにして製造するのだろうか。
「ざっくり言うと。からすみを作る工程って2つなんですよ。要は『塩に漬ける』っていう工程と、『干す』っていう工程で。味の決め手もやっぱりその2つですね」
もう少し詳しく聞くと。
まずは、丁寧に卵巣の血を抜く作業を施してから、塩漬け。卵巣に塩が入れば、今度は塩抜き。そして、天日干しという流れになる。
ちなみに、からすみを作っているのは小野原本店だけではない。他の店も当然あるが、何が違うのだろうか。
「1つは塩分の濃度。塩辛さが各社違う。もう1つは水分濃度っていうか。どれぐらい干すかで、食感とか味が変わってくるので、その2つが各社違うみたいな感じですね。うちは割ときっちり干す。で、塩分は少ない。塩分の量をだいぶ薄くしてます」
確かに、現在は減塩の時代である。
塩辛い代表の醤油や味噌も、「減塩」タイプの商品がかなり多く開発されている。
「昔は結構しょっぱいイメージがあって。塩が吹くような感じになってたらしいです。私が生まれる前の話なんですけどね。もともと保存食ですから。だから塩蔵(えんぞう)して天日干ししてって。でも、今は冷蔵もできますし、そういう意味では(保存に)気を向けなくていいので。美味しさを追求した結果、うちとしては塩分少なめできっちり干したのが美味しいかなと思ってます」
天日干しの期間は1ヵ月くらいだという。
もちろん、時期によって前後する。5月頃だともう少し短い期間になるようだ。
コチラは、一昨日から天日干しされた「からすみ」だとか。
「大きいのは時間かかりますし、ちっちゃいのは割と早いから。干したてほやほやのは、ぐにゃってしてる感じです」
確かに、からすみの置かれた板が少し濡れている。こうして少しずつ水分が抜けていくのだろう。
「ずっと天日で干すというよりも、夜間は中に入れますし。入れたり出したりしながらみたいな感じで。結構、梅雨の時期とかは作りづらいですね」
夜間や雨の日には、巨大な送風機のある保管庫へ。
ヴーンという唸るような音の正体が、これでやっと分かった。
「工場とは言っても、機械が動くようなものではなく、じつは、こういう手作業をする場所って感じです」
それにしても、1つ1つの工程はシンプルだが、なかなかに難しい。
例えば、天日干しといっても、ただ干せばいいというモノでもない。個々の原材料の特性もそうだが、気候やその日の気温など環境が微妙に左右する。いつまで干すかの加減、この判断こそが職人技といえるのだろう。
だから、工程はすべてが手作業。
からすみ作りとは、手間暇かけるものなのだというコトを知った。
原爆下でも焼失を免れた小野原本店
天日干しを含め約1ヵ月の期間を要する「からすみ」。
楽しみな完成品は店舗にあるというコトで、早速、場所を移動する。
小野原本店の店舗は、先ほどの作業場から徒歩で10分の距離にある。
JR長崎駅からだと市電の「浜町アーケード駅」で降りて、横断歩道を渡ればすぐの場所。活気ある「築町商店街」の入口付近だ。
平日でも割と人が行き交う場所である。
観光客かと思っていたが、向かいの八百屋に出入りするところを見ると、どうやら地元の人のようだ。周囲も海産物関連の店が多い。
そんな築町商店街の一角、目立つ場所にあるのが小野原本店だ。
1階は白壁、2回は黒壁。シックなレトロ調の外観である。
「うちは創業から166年ですけど。建物自体は100年ぐらいですね」
築100年となると。
第二次世界大戦よりも前に建てられたコトになる。
つまり、小野原本店の店舗は、原爆が投下された長崎市内で奇跡的に焼失を免れた建物なのだ。
なお、隣の附属屋であるレンガ造りの建物も同様。この2棟併せて、文化庁登録有形文化財(建造物)の指定のほか、長崎県や長崎市からも様々な指定を受けているという。
ただ、小野原氏の見方は少し違う。
「原爆の中でも残ったし、戦後の再開発でも残った。じつは、洋館なんかもそうですけど。原爆では残ったけど、戦後の再開発でなくなった建物があるんですね。だから、戦後もちゃんと残ってるところが評価されたと思います」
これは、県外の人にはない視点だ。そこには地元ならではの事情があるのだろう。
それにしても、戦火で焼失を免れたとは驚きだ。
何か理由があるのだろうか。
「前の建物が火事で燃えた経緯があって。火事で懲りたから、次はちょっと頑丈にって作ったらしいんですね。鉄の扉で、漆喰(しっくい)の壁っていう造りで。漆喰って燃えにくいんですよ。まあ、お陰で100年経っても使えてますし、有難いです」
この建物をできるだけ長く使えるようにするのが、自分の使命。
小野原氏はこう考えて、3年ほど前に2階部分の黒い壁を塗り直す改修工事を決断。創業以来初めてのことだったとか。
元は、カツオ漁から始まった小野原本店。
佐賀県鹿島出身の初代甚右衛門が、安政6(1859)年に長崎で創業。二代目善蔵の代にはカツオ漁をやめ、海産物主体の事業に専念。昭和の時代まで小野原家を繁栄させたという。
創業当時の写真はないが、戦前の写真を見せていただいた。
「このバラック小屋みたいなのが仮店舗で、2枚目の屋根に人が乗っている写真は、現在の建物を建てる途中の写真。3枚目が、戦前当時の現在の建物です。乾物系のよろず雑貨屋みたいな感じで、当時はまだ、からすみメインの店ではないですね」
ここで今更だが、1つ疑問が。
そもそも「からすみ」は、いつ頃から日本に存在したのか。
「からすみが日本に入ってきたのが、大体、戦国時代で。長崎に定着したのが、江戸の初めだと言われてるんですね」
戦国時代といえば。
あの天下人、豊臣秀吉も好物だったとか。
なんなら「からすみ」という言葉ができたのも、秀吉が関係しているともいわれている(諸説あり)。
参考に一部抜粋しよう。
野母崎町樺島地方の伝説によると、天正16年ころ、時の関白豊臣秀吉が肥前の名護屋(佐賀県鎮西町)に下ったとき、長崎代官鍋島飛騨守信正が樺島産のカラスミを取り寄せ、長崎名産として献上した。……(中略)……ちょうど形が唐の墨に似ているところからカラスミと申しますと答えた。
(野口栄三郎編『水産名産品総覧』より一部抜粋)
ここでいう「鍋島信正」とは、肥前佐賀藩の藩祖、鍋島直茂のこと。
魚の名前では秀吉に価値がないと思われると、直茂が「からすみ」という言葉を一考したというが、定かではない。台湾や中国での呼び名を日本読みしたとか、船で運ぶ間に黒ずんで本当に中国の墨に似ているからだとか、語源にまつわる説は様々ある。
ちなみに、海外から伝わった当初の「からすみ」は、「鰆(さわら)」を使ったものだったとか。ただ、当時の長崎では別の魚種が多く獲れていた。
「野母崎(のもざき)では、当時、ボラがめっちゃ獲れてたらしくて。それで(長崎のからすみは)ボラになったみたいですね」
野母崎とは、長崎の先端部の半島付近だ。
こうして江戸時代、高野勇助という人物が、多く獲れるボラの卵を塩漬けにしたのが「長崎のからすみ」の始まりだといわれている(諸説あり)。
そんなからすみの確保に大忙しだったのは、代々の長崎奉行である。将軍家や諸大名の求めに応じ、数の確保に相当苦労したようだ。珍しい、貴重という意味もあるが、成長するにしたがって名前が変わる「出世魚(しゅっせうお)」ということもあり、お祝い事にも重用されたという。
今では、正月の初釜の茶会の八寸には欠かせない食材であり、日本の食文化の1つといえるだろう。
それでは、ようやく店内へ。
気になるのは、完成品の「からすみ」だ。
天日干しの姿からどのように変わったのか。
なるほど。
見違えるほど、立派な姿である。
そして、意外に大きい。先に製造工程を見ていたからか、これほどの大きさならと、つい加工前のサイズを想像してしまった。
ボラでこのサイズなのだ。
他の魚ならどうなるのか。
「イタリア物産店とかに行くと『マグロのからすみ』とかもあるんですけど……」
マグロのからすみだって?
確かに、からすみは日本だけで食されるものではない。起源はエジプトやギリシャなどの地中海沿岸部ともいわれ、世界各国で作られている。トルコや台湾、イタリアやフランスにもある。
それにしても、マグロか。それはそれでアリのような気もするのだが。
小野原氏は、ボラが一番と断言する。
「一番違うのは油の量ですね。食べた時に、(ボラは)ねっとりした感じがあるんですけど。それって魚卵の油なんですね。ボラの(卵巣)って油がめっちゃ多いんですよ」
じつは「マグロのからすみ」を長崎県の研究所で試食したことがあるという。
「長崎県って、マグロの養殖を結構、進めてて。卵巣は使えないから捨てちゃうじゃないですか。で、有効利用できないですかって県から言われたことがあるんですけど、ダメでしたね。味が。やっぱりボラがおいしいです。手前味噌じゃないんですけど」
さらにダメ押し。
「うーん。マグロって、血が多いというか。赤身だし、卵巣もね、そんな感じの味がするんですよ。鉄分多めな味が。そういう意味では、本当にボラって美味しいですよ」
そこまでいわれると、からすみの味に期待しかない。
実食が楽しみである。
江戸時代から続く老舗の展望
からすみ愛に溢れた小野原本店の小野原善一郎氏。
最後に今後の展望をうかがった。
善一郎氏は、初代から数えて7代目。
今まさに新しいスタイルのからすみを提案しているところだという。
「主に2パターンで。1つはスライスしたり、砕いてパウダーにしたりと。形を変えて食べやすくする。もう1つはパスタオイルとか茶漬けとか。使い方を提案をしながら売る。この2つに分かれます」
確かに、店内には様々な形式の「からすみ」が販売されている。
コチラは、スライスされたからすみ。
他にも、手が届きやすい価格設定の「家庭用からすみコーナー」もある。
じつは、製造工程の中で、2つの卵巣を繋ぐ魚肉部分が取れてしまうことがあるのだとか。2つが離れてしまったり、1つだけとなった場合のからすみを、家庭用として安く提供しているという。
これなら、かなり手に取りやすい価格だろう。
ただ、からすみを食べるには、さらにもう1つのハードルがある。それが「食べ方」だ。
小野原本店おススメの食べ方はあるのだろうか。
「お酒を飲まれる場合はスライスが一番ですね。よく大根と挟んで食べたりっていうのはありますけど。要は、大根のさっぱりした感じとカラスミのねっとりした感じで合わせてと。うちでも幾つかレシピをご用意してます」
お浸しの上にパラッと乗せる。
乗せるといえば、カプレーゼもそうだろう。
「塩味があるので。塩を使う料理で考えるといいですね。リゾットとかもそうです。なかなか、からすみをメインで料理にドーンってなると、値段も張りますし、ちょっと主張強すぎるところもありますけど。アクセントだと使いやすいかなと」
さらに、からすみから派生したアイデア商品もある。
その名も「からすみパスタオイル」。
オリーブオイルとからすみと唐辛子が入っているという。材料を加えたらパスタの完成だ。お手軽で非常にいい。「母の日用のギフト」としても人気だったとか。
また、昨年秋に商品化された「からすみちりめん」も主力商品の1つ。
じつに、手軽さでいえば、これが一番なのかもしれない。
「からすみ」の敷居を低くする商品といえるだろう。
「こういうのをどんどん作りたいなと思ってますね。ちょっとした贈り物にも使ってほしいですし、食卓に出してたまには食べてもらいたいなと」
ただ、自らをレシピ開発能力があるわけではないと言い切る小野原氏。
「いろんな人に聞いたりとか。これをからすみに置き換えたらどうなるのかなと考えながら作ってますね」
基本的には、商品化するまで1ヶ月ほどだとか。
「からすみパスタオイル」に関しては、レシピ自体を、とある長崎のシェフに教えてもらったそうで、再現するまでに時間がかかったとのこと。
そんな多忙な中で、新たな挑戦もある。
去年は長崎の飲食店とコラボし、1ヵ月ほどからすみを使った料理が提供されたという。
他にも、小野原本店のからすみは、JR九州の特急列車「ふたつ星」の車内販売にも採用されている。「ふたつ星」とは、佐賀県、長崎県という西九州の観光を巡る特急列車のことだ。
「『ふたつ星』の車内販売でも結構、売れるんですよ。あと空港のラウンジでも、からすみを置いてて。そこもやっぱり出るんですよね。ニーズというか、美味しく食べれるシチュエーションをもっと考えていきたいなと。そういうのがあれば、やっぱり手に取って、実際食べてもらえるんですよね」
「基本的には贈答品としてのからすみの価値は失いたくないと思ってますし。それにプラスしてご家庭とか、プチギフトみたいなプレゼントにも使っていただいて。より身近に感じてもらえれば、(食事の)選択肢に上がってくるようにと思ってます」
こうして力強い小野原氏の言葉で。
今回の取材が終了した。
取材後記
「珍味なんでね。100人が100人とも好きっていうものでもなくて。そこはしょうがないと思うんですけど。とはいえ、知らない、食べたことがない、最初から高いと思ってるところは、払拭したいと思っています」
取材の中で印象に残った小野原氏の言葉だ。
珍味だからこそ、取り扱うのが難しい。
クセの強さ、その「個性」は、長所にも逆に短所にもなり得る。そのもどかしさが伝わってくる。
正直なところ。
取材するまで、私もそんな「個性」に手を出せなかった1人である。
名前負けとでも言おうか。年だからか、なかなか未知なるものに冒険できない。
ただ、実食してみて。
頭で分かっていた味とは、若干違った。
食べてみると、クセが強いというよりかは、「海」や「磯」がそのままギュッと凝縮された味。塩みと混ざって煮干しのような特有の苦さもあり、ねっとりとした舌ざわり、その強烈な匂いも含めて、珍味といわれるのも頷ける。
ただ、からすみ単体だけでは、味が強すぎるのも確か。
これがアクセントなら、かなり汎用性が高まるだろう。
どこまで「からすみ」の可能性を広げられるのか、今後の7代目小野原氏の手腕を期待したい。
最後に。
私のおススメはというと。
ズバリ「酒の肴」。
だが、あまり酒が強い方ではないので。
専ら、梅酒をちょこっと程度である。
以前の取材で巡り会った、佐賀県の「松浦一酒造の梅酒」。
日本酒ベースの梅酒なのだが、この甘さが意外にあう。というか、かなりイケる。
甘い梅酒とからすみ。
おっと。
両方とも「父の日ギフト」にはうってつけの品じゃないか。
もし、迷われているのなら。
是非一度、お試しあれ。
写真撮影/大村健太
参考文献
『水産名産品総覧』 野口栄三郎編 光琳書院 1968年
『政経人 43(8)』 政経社/総合エネルギー研究会 1996年8月
『古季語と遊ぶ』 宇多喜代子著 角川学芸出版 2007年9月
「小野原本店」基本情報
名称:株式会社 小野原本店
住所:長崎県長崎市築町3番23号
公式webサイト:https://onohara.co.jp/