城郭建築における国宝第一号として指定された名城にして、江戸時代には「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」とも謳われたた名古屋城。2018年、満を持して完成公開された本丸御殿により、さらに熱い注目を集めています。
また「金シャチ横丁」がオープンし、ひつまぶしや味噌カツ、あんかけスパゲッティなどの名古屋めしが楽しめ、毎日イケメンぞろいの名古屋おもてなし武将隊が来場者を迎えてくれるなど、テーマパークのような観光スポットにもなっています。この秋は、野外オペラが開催されるなど、話題が尽きない名古屋城の新たな魅力を紹介します。
家康の命で有力の大名が財を投じて、築城された名古屋城
天下分け目の関ケ原の戦いで勝利し、江戸幕府を開いた徳川家康は、豊臣方の勢力を抑えるため、天下普請として、西国大名たちに名古屋城築城(石垣普請)を命じました。20名に及ぶ大名たちの財力と最先端の技術力を投入して築かれた城は、堅牢な石垣に囲まれています。また、最大級の延床面積をもつ天守閣など、威風堂々とした、見るものを圧倒する迫力に満ちています。
名古屋の人々の悲願でもあった本丸御殿の復元!
名古屋城には、天守閣と共に国宝第一号として指定された本丸御殿がありました。徳川家康の9男であった徳川義直が初代藩主となり、その住居と政庁として建てられましたが、1945年の名古屋空襲で全焼。近世城郭御殿の最高傑作として讃えられていた本丸御殿だけに、その復元は名古屋市民にとって長年の願いでもありました。その復元にかかる総額約130億円ともいわれる総工費のうち約50億円は、なんと市民や企業からの寄付で充てられました。
構想から10年以上、夢物語の一大プロジェクト
400年以上前に建てられた建造物を史実に忠実にに復元するのは、夢物語のような話です。それも最新テクノロジーを駆使するのではなく、膨大な資料・史実に基づいた人力での復元となれば、歴史への挑戦であり、10年以上の歳月を要したというのもうなずけます。伝統技術の継承に始まり、長年育まれてきた文化への深い造詣、地元への愛なくしては完成させることができなかった壮大なプロジェクト。それが名古屋城・本丸御殿復元の意味なのです。
江戸時代から綴られた城の記録から希少な史実が判明!
「江戸時代の尾張藩主が残した『金城温古録64巻』には、建物がどういう構造であったか、どうやって管理していたかなどが図入りで詳細に記録されています。260年続いた江戸時代も、200年も過ぎたころには名古屋城築城時のことなどはわからなくなっていた。それではいけないと『城史』として長い年月をかけ記録を残したことが、名古屋城の財産となっています」と学芸員の小西恒典さん。
昭和に入ってから作成された実録図約300枚(名古屋城ウェブサイト内の閲覧サービスで見ることができる)やガラス乾版写真約700枚など、数多くの貴重な資料も残されています。さらに、戦災を逃れ、重要文化財に指定された1047枚の障壁画といった名古屋城のお宝が、復元への一歩を築いてくれたのです。