豪華絢爛、現代の匠が結集して蘇った本丸御殿の底力!
延床面積約3,100㎡、30以上の部屋がある名古屋城の本丸御殿は、その大きさや豪華絢爛さが、徳川家の勢力の強さを表しています。玄関を入ると、目に飛び込んでくる「竹林豹虎(ちくりんひょうこ)図」をはじめ、表書院上段之間、一之間、二之間、三之間とそれぞれに桜や松の見事な障壁画が続きます。当時の名手がそろった絵師集団、狩野派による障壁画は、およそ1,300面を超えると言われ、美術史にとってもこの上ない贅沢品。徳川家の勢力を示す天守閣や城壁の建築に加え、財力を湯水のごとく注いで、造り上げた美しい芸術品の数々は、人心を掌握したに違いありません。
将軍家光の上洛のために作られた3日間だけの夢殿
3代将軍徳川家光の上洛のために建造された「上洛殿」は、襖絵から、天井板絵、欄間や装飾金具に至るまで、最高級の芸術品です。上洛殿一之間東側の襖絵には、天才と称された絵師狩野探幽による、将軍や大名の行動規範となる水墨画「帝冠鑑図」が描かれており、その上には、極彩色の華麗な欄間が。欄間の制作は富山県井波の職人が、飾金具は名古屋の職人が半年以上をかけて復元。天井板絵の寸法や枠組みは、すべて当時の大きさで復元されています。「昭和20年に建物すべて焼失しましたが、重要文化財に指定された1047枚の襖絵、天井板絵が戦災を免れたおかげで、絵画の技術を伝承することができたのも、復元プロジェクトの成果のひとつです」と小西さん。家光の宿泊は一度きり、2泊しただけで、まさに儚い夢の御殿となりました。
本丸御殿復元は、人々が守り続けた文化の結晶であり、壮大な歴史の実証でもあります。400年前にタイムスリップしたかのように蘇った、煌びやかで豪華絢爛な御殿に佇めば、形あるものだけでなく、美しいものを愛でる日本人の心が受け継がれていることが感じられます。
春姫の嫁入り行列は派手婚のルーツだった?
最後にトリビア的な話題をひとつ。