Travel
2020.04.08

大阪の街に転がる「残念石」って何!?石と大阪城・豊臣・徳川の関係に迫る!

この記事を書いた人

大阪の街にはあちらこちらに「残念石」なる巨石が転がっています。他府県の方からしたら「何?残念石って?」と思われるかもしれませんが、これらはお笑い好きの大阪人がおもしろがって置いているものではなく、実は約400年もの歴史がある由緒あるシロモノ。多くの「残念石」には大名たちの印が刻まれています。いったいどういった理由で大名の刻印があったり、「残念石」なんてネーミングが付けられた巨石が街中に置かれていたりするのでしょうか。

残念石の秘密は「大坂城」にあり!

「残念石」と呼ばれる石の秘密は、大阪城の石垣にあります。大阪城には、豊臣と徳川二人の時代の歴史がありますが、豊臣時代の大坂城は、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失。家康は秀吉の大坂城の上に盛り土をして完全に秀吉の痕跡を消し去り、新たな大坂城を再建しました。

※記事中では江戸時代以前の大阪城を指す場合は「大坂城」の表記を使用しています


大阪城の内堀に架かる極楽橋を渡ると、「刻印石広場」という巨石がゴロゴロと無造作に置かれたエリアがあります。巨石には〇や卍、◎などの印が刻まれていますが、これらは数々の大名たち(藩)の印。ここにある巨石は、もともとは大坂城の石垣となるべく切り出された「石のエリート」たちなのです。

「残念石」というのは、その中でも未熟な輸送技術のために大坂城にたどりつくことができなかった石のこと。

巨大な石を切断するための矢穴も見られます

例えば大山崎の淀川河川公園に置かれている「残念石」は、木津川と淀川の合流箇所で筏(いかだ)の転覆により、あえなく残念な結果となった「残念石」だという悲しいプロフィールを持っています。道頓堀の巨大な石碑も、うっかり川に落としてしまったものなのだとか。それぞれの「残念石」は、残念な結果にいたった歴史を持っているのです。

大坂城にある残念石の説明の碑

「残念じゃない石」と「残念石」を比べてみよう!

残念石

残念ではないエリート石と「残念石」をご紹介しましょう。まずは「残念石」の皆さん、どうぞ!

出雲松江藩の刻印がある「残念石」



もはや月日が経ちすぎて、何が残念で打ち捨てられたのか判明できず…。

それぞれの刻印がどの藩のものかを探してみるのも楽しいお遊び。

残念じゃない石

大坂城の石垣などに使われたエリート石は数多くありますが、エリート中のエリートがこちら!桜門桝形にある備前藩の花崗岩で、城内第一位の巨石です。表面は59.43平米あり、ちょっとした3LDKのマンションの一室のような広さです。「残念石」の皆さんと比べるとあまりの大きさと完成度に圧倒されます……。

通称:タコ石(左側にタコの頭のようなシミが見られる)

大阪の街の中に溶け込む残念石たち

大阪の街にはあちらこちらに石碑や巨石のモニュメントが見られます。これらの特徴は、その素材の多くに「残念石」が利用されているということ。早速、街に溶け込んだ「残念石」たちも見ていきましょう。

道頓堀の碑

グリコの看板で有名なミナミの戎橋(通称:ひっかけ橋)から東へ徒歩5分ほどの場所ある日本橋には、道頓堀開削の功労者を讃える大きな紀功碑が建っています。碑は3m近くもある巨大なもので、この巨石の正体は「残念石」。

新世界の通天閣の下

通天閣の下にも「残念石」が。こちらはご丁寧にも「残念石」と名乗っていますので、わかりやすいですね。道頓堀のものと比べるとかなり小ぶり。

大阪国際がんセンター

大阪城近くの大阪国際がんセンターの庭には「残念石」を使った「刻印石の庭」があります。よく見ると記号のような刻印が施されているのがわかります。
また「残念石」は大阪市内だけではなく大山崎や芦屋、木津川、遠くは小豆島などの周辺都市にも数多く見られます。

豊後岡藩の中川家のものと考えられる、大阪国際がんセンターの残念石

【ちょっと小話】知らない大阪人はショック大!今の大阪城は徳川のもの!

最後に大阪人の私が大阪城に関するちょっとした小話を。

大阪城は太閤さんのものだと思っている方が多いですが、今の大阪城は実は徳川が作ったもの。1959年の学術調査で地下から「謎の石垣」が見つかり、1984年の水道工事に伴う調査によって、豊臣の大坂城が地下深くにそのまま眠っていることがわかったのです。大坂の陣を目の当たりにした約400年前の人々も、豊臣から徳川の城になったことを知らないはずはありません。ですがショックのあまり(?)、長い年月の中で記憶の置き換えが行われたのか、その事実を認めたくなかったのか、目をそらしたのか……。

大阪では比較的最近まで大阪城は豊臣の城だと教えられてきました(あくまでもご近所レベルのはなし)。我々大阪人はなんとなく、ふんわりと、「大阪城は太閤はんの城」だと刷り込まれてきたのです。もし私が近所の子供に教えるとしても、「大阪城は太閤はんのお城でっせ」と教えることでしょう。

「残念石」こそ味があり楽しい!

完成されたものよりも、どこかがちょっと残念だったもののほうが味があったりしますよね。まさに「残念石」はそういった人間味を感じさせる味のある石たち。大阪人は昔から、出来すぎたエリートよりもちょっと足りない「残念石」に親しみ・愛着を感じたのかもしれません。大阪にお越しの際は、ぜひ街中に転がる「残念石」の表情を楽しんでみてください。

書いた人

生まれも育ちも大阪のコテコテ関西人です。ホテル・旅行・ハードルの低い和文化体験を中心にご紹介してまいります。普段は取材や旅行で飛び回っていますが、一番気持ちのいい季節に限って着物部屋に引きこもって大量の着物の虫干しに追われるという、ちょっぴり悲しい休日を過ごしております。