川端康成、白洲正子、織田作之助…が通った名店を訪ねて

川端康成、白洲正子、織田作之助…が通った名店を訪ねて

昭和――と聞くだけで、懐かしさが込みあげてくるのはなぜでしょう。平成にかわって四半世紀と少し。時間の流れも人の意識もまるで変わり、昭和は遥か遠い昔のように感じられます。その一方で、昭和の時代に日本人が築き上げたものは、現代もさまざまな形で私たちの生活を彩っています。そのひとつが“食”。震災や戦争を経験した昭和の前期、日本中が物質的に貧しかった時代にあっても、人々はわずかな農作物や海産物から食べることの喜びや楽しみを見いだしてきました。古きよき食の伝統を受け継ぎつつ、外から入ってきた新しい食文化も貪欲に取り入れる。日本の食卓が最も豊かだったのは、じつは昭和のこのころだったのかもしれません。

入れ込み式の座敷にずらりと並ぶ低い食卓と座布団。隣の人と肘が当たりそうになりながら食べるとんかつ。どじょうがぐつぐつ煮える小さな鍋に、黄色いオムレツと真っ赤なケチャップ。昭和の時代に食通たちを魅了し、足繁く通ったその味や風情を守る店、今も昭和のまま時が止まったかのような、食通の作家や文化人が愛した店。あたりまえのことをていねいにコツコツと提供し続ける、そんな昭和の美しさは、「和食:日本人の伝統的な食文化」としてユネスコの無形文化遺産の登録にひと役もふた役も買ったに違いありません。

では、そんなおいしい昭和の味へとご案内しましょう。きっとあなたも、ぐぅ~とおなかを鳴らすに違いありません!

文豪・文化人が愛した昭和の味(1)

1 川端康成がひいきにした
鎌倉『つるや』のうな重

蒸した後に、備長炭で焼いた蒲焼きは、中はしっとりとやわらかく、外は香ばしく焼き上がっている。たれの甘みが控えめなところが特徴。

鎌倉・長谷(はせ)の大仏へ続く通り沿いにある『つるや』。表にガラスの小さなショーウインドーが置いてあるだけの、地味な店構えです。ところが、この店のいろいろなところに、昭和時代に鎌倉に住んでいた文化人を、今も感じられるものがあるのです。

のれんには、飛んでいる鶴と「観世音つるやのうなぎ召した艶」という句が染め抜かれています。こののれんと、箸袋に描かれた、逃げようとするうなぎをつかみながら前へ前へと走っている男の絵は、漫画家・長崎抜天(ながさきばってん)が描いたもの。うな重に使われる鎌倉彫の重箱は、作家・村松梢風(作家・村松友視の祖父)がデザインしたそう。1階の壁には、俳優の中村嘉葎雄(なかむらかつお)が描いた水墨画がかかっています。

つるや2

昭和4(1929)年に創業して以来、この店には、作家の川端康成や吉屋信子、立原正秋、評論家の小林秀雄、女優の田中絹代など、多くの鎌倉在住の文化人たちが訪れました。出前の注文も頻繁にあったといいます。なかでも川端康成は住まいが近く、『つるや』をひいきにしていたひとりでした。昔は隣に茶道具店があり、川端はうなぎを待つ間に骨董を見ていたそうです。晩年は店に来ることはほとんどなく、出前を注文していました。小林秀雄は、ゴルフの帰りに仲間と2階でうなぎを食べることが多かったとか。サイン入りの著書『本居宣長』をくれたそうです。田中絹代は、鎌倉山の住まいから、週に1回バスに乗ってきていました。「うなぎを食べると元気になる」と言っていたとのこと。東京の病院に入院したときは、東京からタクシーで来たこともあったとか。

「うちは昔から文士好みの味と言われているんですよ。さらりとした薄味ですから」と、3代目の河合吉英さん。確かにタレはさらさらとして、食べ飽きない味です。この味は昭和時代から変えていません。うなぎを焼くのは備長炭で、これも昔から変わらないやり方です。少し焦げ目のついたうなぎは、品のいい香りを放っています。『つるや』の初代はうなぎの産地・浜松の人でした。「別荘が多いところなら、うなぎの出前も多いだろう」と鎌倉に店を出すことにしたといいます。初代が考えた以上に鎌倉の文化人たちに愛される店になった『つるや』は、“鎌倉の昭和”を今も語ってくれます。

◆つるや
住所 神奈川県鎌倉市由比ガ浜3-3-27
営業時間 11:30~19:00(L.o)
定休日 火曜(祝日の場合は営業)

2 田辺聖子が愛する
道頓堀『たこ梅』のおでん

大阪の下町生まれの田辺聖子さんは、食道楽の祖父母、父母と共に娘時代を過ごしました。ふだんの食卓には「他郷の人が捨てるような」はもの皮、うなぎの頭、くじらのコロ(皮)を使った料理が登場したといい、粗末な材料を使いながら「口の奢ったくらし」をするのが大阪庶民の自慢だったと、昭和初期を回想しています。そのせいなのか、田辺作品のなかでも庶民の味の描き方はとびきりおいしそう!

たこの甘露煮は1串300円。自家製の辛子と好相性。内側の特殊な構造により、少し傾けただけでスッと飲める特製の錫のぐい呑みが粋。

たとえば道頓堀にある『たこ梅』。――その匂いを心ゆくまで吸いこみ、さて、酒を注文してから、いそいそと、「蛸、それからサエズリ。こんにゃく」と矢つぎ早やに頼む。――と書いた小説『春情蛸の足』(講談社文庫)。主人公の男性・杉野が「たこ梅」の名物「さえずり」(ひげくじらの舌の脂抜き)を口にする場面では、「下手(げて)にちかいたべものながら、だしと醬油でとろとろと煮かれるとおのずと気品が生まれて、嚙むほどにうっとりする旨さである」。杉野の満ち足りた気持ち、この店の「さえずり」を食べたことのある人なら大きくうなずくはずです。

上の写真の箸の右側に見えるのが、「さえずり」と同様に人気のくじらの「コロ」。「さえずり」や「コロ」を入れて強火で炊くので、だしはあめ色、極上の味わいに。こんにゃくひとつとっても、深い鍋底に敷き詰めて、丸2日かけて味を染み込ませる。「だからうちのこんにゃくには隠し包丁が入っていない。それが自慢です」と5代目店主・岡田哲生さん。

「たこ梅」の創業は弘化元(1844)年。「たこの甘露煮」と「関東煮(かんとだき)」(おでんのこと)に酒を出す店として開業しました。当時、道頓堀は5つの芝居小屋が立ち並び、芝居見物の後にここに寄るのが人々の楽しみだったとか。時は平成に移り、道頓堀の風情も大きく変わりました。しかし一歩店に入れば、往時とまではいかなくても、鷹揚と時間が流れていた昭和の空気にタイムスリップできるのがこの店の素晴しさ。飴色に光るコの字形カウンター、くじらのだしでまろやかな湯気、よく煮えたおでんと酒をおいしくする錫のぐい呑み。開業から170年余り、これだけで客を気持ちよく酔わせるには並大抵の心構えでは続きません。「おでんは市井の食べもの」といいますが、その洗練を極めるのが『たこ梅』のおでんなのです。

たこ梅2
◆たこ梅
住所 大阪府大阪市中央区道頓堀1-1-8
営業時間 平日 17:00~22:50(LO22:30)
土日 11:30~14:30(定食あり)、17:00~22:50(LO22:30)
定休日 無休(年末年始休みあり)
公式サイト

3 漱石、龍之介、康成…
文豪が通った湯島のすき焼屋『江知勝』

牛肉の色が変わりかけた煮えばなが絶品。一枚一枚の牛肉が大きくて食べ応えもある。甘辛い香りに、ご飯がすすんで仕方ない!

湯島天神のほど近く、急な切通坂を上りきると、時が戻ったかのような古い風情の看板が現れます。昭和のレトロなガラス戸を引いて玄関に入ると、「いらっしゃいませ」と仲居がそろってお出迎え。初代が越後から上京して店を構えたのが、明治4(1871)年。東京のすき焼屋の草分けともいえるのが、昔と同じ本郷湯島で、しっかりと暖簾を守る老舗『江知勝(えちかつ)』です。

本郷に近い土地柄ということもあり、開店以来の主な客は一高や帝大のエリート学生たちでした。卒業生である森鷗外は『牛鍋』という短編小説を著し、夏目漱石、芥川龍之介の作品にも、『江知勝』を偲ぶすき焼のことが出てきます。かの川端康成も、横光利一との出会いを記した文章の中で「本郷弓町の江知勝で牛鍋を御馳走になつたのを覚えてゐる」と店の名を記しました。ハイカラなすき焼は、若い文士たちをはじめ、流行に目ざとい若者たちを虜にしていたのです。

一高、帝大の卒業生である川端康成が、昭和28(1953)年に『江知勝』を訪れた際に記した芳名録が今も残されている。

『江知勝』のすき焼は、もちろん関東風の味つけ。醬油ベースにみりんをブレンドした秘伝の割り下は、前日から仕込んで当日ようやくできあがるというもの。どのコースの牛肉も、厳選された国産黒毛和牛Aランクのみ。目利きの料理人が、ブランドや産地にこだわらず、きめの濃やかさや脂の質を見極めて選んでいます。各部屋には担当の仲居がついていて、肉の食べごろも教えてくれます。ハフハフしながら口に運ぶ牛肉は、舌にのせた途端にとろけてしまうようなやわらかさ。さすが名店の底力を感じるすき焼です。

また風格を感じさせる店のたたずまいも魅力のひとつ。凝りに凝った建材や銘木が約70年ものうちに落ち着きをもたらし、お店に足を踏み入れたと同時に、懐かしさに包まれるよう。『江知勝』は、いまや往時の東京に出合える詩情豊かな名所でもあるのです。

◆江知勝
住所 東京都文京区湯島2-31-23
営業時間 17:00~21:30(L.O.21:00)
定休日 日・祝日、8月の土曜

4 白洲正子が通った
きつねうどんの『権兵衛』

権兵衛1瀬戸焼の丼で提供されるきつねうどんには、甘く煮含めた小ぶりのお揚げが2枚。料理によっては輪島の漆器も使われる。箸は奈良杉の利休箸。手に触れるものへの配慮も、この店の美意識の表れ。

昭和2(1927)年に創業、同21年から現在の京都・祇園でそば屋を営む『権兵衛』。店の開く日は、通りの先までふんわりとおだしの香りがただよいます。それに誘われてつい暖簾をくぐってしまった人も多いはず。『権兵衛』には人を安心させる昭和の“におい”があるのです。

自慢のおだしは、京都=薄味のイメージを覆す、くっきりと輪郭のある味わい。「1杯で満足してもらうためには、そば屋のだしはこのぐらい強くないと」と4代目、味舌輝明(ましたてるあき)さん。品書きにも奇をてらったものはなく、だからこそ一杯のどんぶりに勝負をかける潔い姿勢が、昭和が生んだ名店と呼ばれるゆえんです。おいしいものに貪欲な白洲正子さんが好んで通ったという話にも納得です。

権兵衛2親子丼も絶品! こちらも白洲さんの好物だったそう。

◆権兵衛
京都府京都市東山区祇園町北側254
営業時間 11:30~20:00
定休日 木曜

5 平松洋子さんが愛する
『チョウシ屋』のコロッケパン

銀座3丁目の路地、いかにも昭和の肉屋といった店構え。こここそが、昼どきや夕方にはコロッケパンやメンチカツを求める人が並ぶ『チョウシ屋』。歌舞伎座に近いこともあり、役者にもファンが多いと聞きます。
洋食店のコックだった当主の祖父が精肉店を始めた昭和2(1927)年からのコロッケは、「料理本に載るような基本のレシピ」とか。平松洋子さんが著書『サンドウィッチは銀座で』(文春文庫)でかぶりつくいたのも、このコロッケパンです。

チョウシ屋1コロッケ1個を8枚切りの食パン(あるいはコッペパン)で挟んだコロッケパン。注文を受けてからつくるので、「ソース多めに」や「からし抜きで」といったリクエストも可能。包装紙には、家紋と牛、豚のイラストが。

親子で切り盛りする店は、内装も昭和のころのまま。お昼時には行列もできるが、少々待ってでも味わう価値あり! 揚げたては言わずもがな、だが、冷めたコロッケパンをオーブントースターやホットサンドメーカーであたため直しても美味。食パンかコッペパンのどちらかを選んだら、からしと特製ソースを塗って揚げたてのコロッケを挟むだけ。この、レタスの1枚も、キャベツのせん切りもない潔さが、昭和の名店の心意気を表しています。

◆チョウシ屋
住所 東京都中央区銀座3-11-6
営業時間 火~金11:00~14:00 16:00~18:00(売切れ仕舞い)
定休日 土・日・月・祝日

6 山口瞳や池波正太郎が愛でた
目黒『とんき』のとんかつ

ジュワー、サクッサクッ、トントントン――。油で揚げる音、とんかつやキャベツを切る音。『とんき』の店内ではさまざまな音が聞こえます。カラッとした薄手の衣に包まれた豚肉の旨み。昭和の戦前から変わらない味を求めて、昔も今も、開店と同時に満席になるという人気ぶり。山口瞳や池波正太郎といった食通として知られた作家たちも、庶民的な「とんき」のとんかつをこの上なく愛しました。

L字形の広いカウンター席から厨房の中を眺めると、白衣と白いコック帽を着用した調理人たちが各々持ち場を守り、ていねいに調理しているのがわかります。とんかつは、ひと口で食べることができるように十字に切り分けて出されますが、食べる人の性別・年齢などを瞬時に判断してひと口の大きさを変えているのだとか! 小分けに切るとたくさんご飯を食べてもらえるから、という心にくい配慮です。言葉には出さずとも日本人らしい細やかな心配りが、この店のおいしさを支えています。

◆とんき 目黒店
住所 東京都目黒区下目黒1-1-2
営業時間 16:00~22:45(L.O.)
定休日 火曜・第3月曜日(年末年始・夏季休業あり)

撮影/石井宏明、小池紀行(パイルドライバー)、小寺浩之、小西康夫、ハリー中西

文豪・文化人が愛した昭和の味(2)はこちら!

川端康成、白洲正子、織田作之助…が通った名店を訪ねて
この記事をSNSでシェアする
この記事をSNSでシェアする