2020年10月から「Go To トラベル」キャンペーンの東京適用が、同月24日には「都民の都内旅行補助事業」がスタート。ですが、いきなり「東京を旅行してみて」と言われても、都外の方はおろか、都民でも旅行先が浮かばないか、23区内の観光地を選んでしまうでしょう。実際、各種報道で言及される「都内の観光地」も、23区内のものばかり。
しかし、皆さんは「ある重大な事実」を忘れていませんか? そう、23区は、東京都全体のほんの一部でしかないことを! 東京都の面積の約2分の1は、いわゆる「多摩地域」です。もちろん、Go To トラベルの対象にも、都民旅行補助の対象にもなります。
そこで今回は、多摩出身で歴史ライターをやっている私ならではの「意外と知らない多摩の史跡」を皆さんにお伝えできればと思います。23区だけじゃなく、多摩にも魅力的な観光地はたくさんありますよ!
(……え?「多摩なんか東京じゃないでしょ」って? 記事を読んでいけば「東京の中心は多摩だったんだ」ってよくわかりますから)
髙尾山薬王院
「髙尾山薬王院(たかおさんやくおういん)」は、多摩地域でも屈指の人気観光地である「高尾山」の中腹にある寺です。
「髙尾山薬王院」と言われてもピンとこないかもしれませんが、一般的なルートで高尾山の山頂を目指す際には必ず通り道になるので、高尾山観光の際には知らないうちに通過していると思います。
寺の歴史は古く、奈良時代の天平16(744)年開山と伝わります。古来より修験道の寺として知られ、時の権力者たちの庇護を受けて発展してきました。現在でも、「成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)」「川崎大師平間寺(かわさきだいしへいけんじ)」と並ぶ真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)の大本山として、高い社格を誇っています。
また、高尾山を象徴する存在「天狗」の伝説や信仰が数多く残っているのも特徴。境内には大天狗・小天狗像があり、歴史はよくわからなくても見ているだけで楽しめます。
境内には数多くの文化財を有し、2020年には「高尾山」全体が都内で初めて日本遺産に登録されました。
これを記念して、薬王院では2020年10月31日から「日本遺産認定特別限定御朱印紙」を発売するとのこと。
まさに、今年観光するのに最適な場所といえます。野外なので三密を防ぎやすく、高尾山全体の観光と合わせて終日ガッツリ楽しめますよ。
施設名: 髙尾山薬王院
住所: 193-8686 東京都八王子市高尾町2177
公式webサイト: https://www.takaosan.or.jp/
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八王子城
東京に城があることを知らない方は多いでしょう。江戸城は現存するのですが、城というよりは「皇居」のイメージが強く、これを除けば「東京に一番近い城は小田原城でしょ」なんて考えてしまいがちです。しかし、東京にもしっかりと城はあります!
その城とは「八王子城」。
相模の雄・後北条氏の北条氏照(ほうじょううじてる)が築いたこの城は、豊臣秀吉の小田原攻めを迎え撃つ拠点として活用されました(わずか1日足らずで落城したと伝わりますが……)。
JR高尾駅からバスで数分のところに「霊園前・八王子城跡入口」というバス停があり、ここから15分程度歩くと城跡の近くに着きます(八王子城といいつつ、最寄り駅は高尾なので注意!)。
土日祝日に限って城跡の間近まで行くバス停がありますが、1時間に1本しか運行しておらず、駅近で数分に1本バスが来る上記バス停を使ったほうがいいかも。
城跡の入り口にはガイダンス施設があり、八王子城の歴史などを簡単に学習してから城跡に行けます。
城跡の構造は氏照が住んだ「御主殿跡(ごしゅでんあと)」と、城の本丸などがある「要害地域」の2区画に分かれており、御主殿跡のほうは道や案内板などが整備され、建物は残っていないものの「城らしさ」を感じられるでしょう。
ところが、対照的に要害地域は完全な山中にあり、観光というよりは「登山」を覚悟しなければなりません。
道や案内板の整備も十分とは言い難く、「頑張って登ったけど、城らしさ全然ないじゃん……」となってしまう可能性も。
ただ、城・遺跡ファンにとっては、人の手があまり入っていないため、地形や遺構からかつての歴史を想像して萌えられる好スポット。マニア向けではありますが、通好みの観光地といえるでしょう。
施設名: 八王子城跡
住所: 193-0826 東京都八王子市元八王子町3-2664-2
営業時間: 9:00~17:00(ガイダンス施設)
定休日: 年末年始(12月29日~1月3日、ガイダンス施設)
公式webサイト: https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/005/p005205.html
高幡不動尊金剛寺
「高幡不動」といえば、京王線の駅名としてご存知の方も多いでしょう。
その駅名どおり駅のすぐそばに位置し、地元を中心に愛されているのが「高幡不動尊金剛寺」です。
歴史は非常に古く、草創は古文書によれば大宝年間(701~704)以前とも、奈良時代に行基が開基したとも伝わりますが、寺伝によれば平安時代初期のこと。
境内の見どころは、誰もが注目する五重塔だけではありません。
仁王門、不動堂をはじめ、奥殿の不動明王像など多数の重要文化財を有し、四国八十八ケ所巡拝を模した「山内八十八ケ所巡拝路」では四季折々の花々も鑑賞できます。
さらに、金剛寺は新選組で活躍し「鬼の副長」の異名をとる土方歳三の菩提寺(ぼだいじ)でもあり、境内には銅像や彼と近藤勇の両雄を惜しむ記念碑などが設置されています。新選組ファン必見の観光地です。
金剛寺は、
・駅近
・見た目のインパクトがある五重塔
・豊かな自然
・長い歴史と多数の重要文化財
・古代から近現代までの歴史的見どころ
をそろえ、歴史ファンもそうでない方も楽しめる理想的なスポット。多摩観光で訪れない手はありません。
施設名: 高幡不動尊金剛寺
住所: 191-0031 東京都日野市高幡733
公式webサイト: https://www.takahatafudoson.or.jp/
武蔵国分寺
教科書で「聖武天皇がすさんだ世の中を仏教の力で鎮めようと、全国に国分寺を建築した」と読んだのを覚えていますか? 武蔵国でその国分寺が建築されたのは、現在の地名そのまま「国分寺」でした。
武蔵国の国分寺は大規模なもので、近年の調査によって全長約60mの「七重塔」があった可能性が指摘されるようになりました。
全国の国分寺と比較しても優れていたとされ、武蔵国の繁栄をいまに伝えています。
ところが、武蔵国分寺の大半は鎌倉時代末期の分倍河原(ぶばいがわら)の戦いによる戦災で焼失したとされ、戦災を免れた薬師如来像を新たにまつる形で新田義貞(にったよしさだ)が薬師堂を建立。
以後、全盛期の規模には及ばないものの、武蔵国分寺として存続して現在に至ります。
このように、武蔵国分寺は非常に格式、歴史的価値の高い施設で、武蔵国分寺跡は大正11(1922)年の時点で国指定史跡に。現地には、寺院の歴史を紹介する資料館も設置されています。
しかし、こうした歴史があるにもかかわらず、世間での認知度が極めて低いという不思議な史跡でもあります。事実、国分寺やその近くに住む知人たちに話を聞いても、「行ったこともないし、存在も知らなかった」という声が多数。
その原因は、おそらく武蔵国分寺跡があまりにも住宅街のど真ん中にあり、史跡というよりは道路や公園の一部と考えられているからではないでしょうか。
ただ、管理者の国分寺市としても現状に危機感を抱いているのか、現地には歴史公園として整備する計画が進行中だと書かれていました。
現状、格式に対して知名度の低さが際立っていますが、「住宅街のど真ん中に国指定史跡がある」という光景は逆に興味深いです。アクセスも悪くないので、現地で1000年以上前の栄華に思いをはせてみるのはいかがでしょう?
施設名: 武蔵国分寺
住所: 185-0023 東京都国分寺市西元町1-13-16
公式webサイト: http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/kouen/1005196/1004222.html
大國魂神社
京王線府中駅からほど近くに位置する「大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)」。
近隣の方なら初詣などで訪れた経験はあるでしょうし、府中駅から府中本町駅に歩く際の最短ルート沿いに位置するので、意識せずとも近くを通ったことのある方は多いはず。
神社の特徴はなんといっても圧倒的な歴史の長さで、社伝によれば西暦111年に創建されたとか。実に1900年以上の歴史を誇り、大化元(645)年の大化の改新後には武蔵国府(今でいう都庁)がこの地に置かれました。
その後も、武蔵国の中心的な神社として源頼朝や徳川家康といった権力者の支持を集めて今に至ります。
また、武蔵国の一宮から六宮までを合わせて祀っているため、権禰宜(ごんねぎ:神職の一種)の方曰く「当社を参拝すれば、武蔵国中の主要な神社をすべて参拝したことになる」とか。なんとお得な神社でしょう!
現在では安産や良縁を呼ぶ神社としても信仰され、樹齢1000年を超える本殿裏手の御神木は、パワースポットとしても知られています。
例大祭の「くらやみ祭」は神社のみならず街の名物なのですが、残念ながら2020年はコロナウイルスの影響で神事のみの開催に。
ただ、11月の酉(とり)の日に行われている大鷲(おおとり)神社例祭は無事開催されるとのことでした(飲食店の出店がなくなるなど、感染対策を講じての開催になります)。
武蔵国の国府の中、つまり「府中」の由来になったこの神社で、圧倒的な神々のパワーを感じてみましょう!
施設名: 大國魂神社
住所: 183-0023 東京都府中市宮町3-1
公式webサイト: https://www.ookunitamajinja.or.jp/
東京の中心は多摩だった!
ここまで、多摩にある5つの史跡を紹介してきました。どれも見どころの多い場所なのですが、「国分寺に武蔵国の国分寺が、大國魂神社に武蔵国の国府が置かれた」事実に注目しました。
つまり、この事実は「古代から中世初期にかけて、武蔵国=東京の中心は多摩だった」ことを示しているのです。実際、家康が関東に入封された際、江戸城周辺は今ほど栄えていなかったとされます(とはいえ、従来言われるようにド田舎だったというのは言い過ぎですが)。
確かに、今は江戸城下(つまり23区)より栄えてはいないかもしれません。しかし、はるか昔には紛れもなく多摩こそが東京の中心だった時代があり、その事実が消えることはないのです。
多摩の同志たち、ぜひ自分の街に誇りをもってください。そして、地元の人もそうでない人も、多摩の栄華を伝える史跡を訪問し、その歴史を感じてみてください!
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