日本文化の入り口マガジン和樂web
4月21日(水)
思えば七十歳以前に描いたものはみな、取るに足らないものだった。(葛飾北斎)映画『HOKUSAI』公式サイト
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
4月19日(月)

思えば七十歳以前に描いたものはみな、取るに足らないものだった。(葛飾北斎)映画『HOKUSAI』公式サイト

読み物
Travel
2021.03.17

男も乳が出るって!?世にも珍しいおっぱいの寺「間々観音」の不思議【愛知県】

この記事を書いた人

「『事実』という話は、面白くもなんともないんだわ」
矢継ぎ早に、ご住職の言葉が重なる。

「事実は、『あっ、そうなのか』『なるほど、へえー』って。でも、作り話は、感動というものが、ちょっとオーバーになってくる」

私はただ頷くことしかできない。
じつは、軽い気持ちだった。こんなところで白状してはなんだが。いつもの如く「珍しい寺」という評判に、夏の夜の蛾のようにあっさりと引き寄せられてしまったからだ。そんな不純な動機を知ってか知らずか。ご住職の口からは、予想外の言葉が飛び出す。

「実話というのは、こういうものかと。いくら無信心な私でも、ああそうなのかと。まんざら『1+1=2』じゃないなということが、あるもんだから」

こう話されるのは、「間々観音(飛車山 龍音寺)」のご住職、岡田守生(もりお)氏。
この寺の御利益についての話である。

ご住職自ら無信心とは、恐れ多い。しかし、あえて、そのような「スキマ」を見せることで、訪れる者はホッとするのだろう。がんじがらめの説法ではなく、誰でもありのままを受け入れるその度量。「押し」ではなく「引く」ことが大切なのだと教えられた。それにしても、懐の深さを感じずにはいられない。

さて、前置きが長くなったが。
今回、私が訪れたのは、愛知県小牧市にあるお寺。世間では「ままかんのん」と知られる有名な寺である。アクセスも、名古屋駅から高速バスで30分ほど。思ったよりも近い。

間々観音(飛車山 龍音寺)の外観。 最寄りのバス停から徒歩8分。名古屋駅からは1時間もかからない

「間々観音(ままかんのん)」という名の通り。こちらでは、まさしく、授乳、子授け、安産など、他にも多くの御利益があるのだとか。確かに「授乳」だけあって、境内は「乳房」ばかり。そこにも乳、あそこにも乳と、簡単にいえば、「おっぱい」だらけの寺なのである。

そんな珍しい寺があると聞けば、やはり行ってみたくなるもので。またもや取材へと、雪の中を飛び出した。
寺の起源や御利益はもちろんのこと、耳を疑うような話まで。

そして何より、そこには忘れられないご住職との出会いがあった。

※冒頭の画像は、昭和30年代頃に撮影された境内の写真です

間々観音にまつわる言い伝えとは?

「全部、『かな?』っていうことが続くワケ、ここの寺は」
ぶっちゃけ過ぎじゃないだろうかと、こちらが心配するほど。ご住職はあっけらかんと、この寺について語ってくれた。

じつに、間々観音に関する伝承は3つある。
寺自体と御利益についての起源である。

寺の起源は、こうだ。
小牧山で狩人が7頭の鹿を射たところ、その鹿の姿がたちまち7つの石に変化した。辺りに五色の雲が現れ、そこに、四方に御光を放つ観音様の御尊像を発見したというのである。と同時に、山には、こんな言葉が三度響き渡ったのだとか。
「小牧なる飛車の山の狩人は八つある鹿を七ついしかな」

この光景を目撃した村人により霊験は伝えられ、早速、小牧山中腹に草堂が建立された。だが、この約70年後。時代は、戦乱の世となる天正年間(1573年~1592年)を迎える。小牧山も砦と化したが、龍音寺住職祖玄和尚(浄土宗)によって合祀され、現在に至るという。

寺の起源が描かれた絵

一方で、間々観音の御利益である「授乳」にも、ある起源が。

昔、村の南はずれに、新婚の夫婦がいたという。幸せもつかの間、子が1歳にならないうちに、夫が他界。家は貧しく、親戚にも母子を養う力が無かったために、母親の乳が出なくなったのだとか。

そんな窮状を見て、村の老人がお米を少し分けるのだが。やはり、すぐには授乳できず、母親は死を決意。どうせなら、山上の観音様にお米を供えて死後の安楽を願おうと、御尊像の前で無心に祈り続けたという。しかし、山を下りると、あら不思議。いつしか空腹感がなくなり、乳房が張ってきたのだとか。

観音様のご加護で授乳できるようになった場面が描かれた絵

こうして、授乳により子は無事に育つことができたという。余った乳も近所の子に分け与え、母子の生活も成り立つことに。記録では、永禄年間の末(1569年)頃もなお、母子は共に健在だったようだ。

それだけではない。じつに、この間々観音の御利益は「交通安全」や「ペット健康守護」と幅広い。これにも起源がある。永正年間(1504年~1521年)の頃のこと。この地に、病気の馬を健康な馬に、駄馬を駿馬に変える農夫がいたという。男の名は、伯楽。

しかし、晩年にこの男が語った内容というのが。じつは、自分には何の力もない。ただ、馬を洗い清めて、山の御堂まで登り、観音様に一心にお願いした結果だったというのである。ひとえに、観音様のお力だったとか。

当時、馬は交通の要であった。現代では「自動車」との意味合いになるのだろうか。そのため、この寺の御利益の1つにあるのが「交通安全」。これは、さらに形を変え、「ペット健康守護」にも転じることに。

昭和初期の寺の境内を撮影された写真。樽には「馬さいせん」の文字が

これらの起源に関して、ご住職はこう語る。
「『じゃないだろうか』『だろうな』とか。そういう内容が多いんだよね」
端的にいえば、起源は言い伝えであり、断定的とはいえないのだという。

ただ、霊験となると、これまた話は別。
その起源がどうであろうと、実際の御利益は、目に見えるもの。信じる信じないよりも以前に、そこには事実がある。

「霊験となってくると、事実ですから。お乳が出たとか。それを吸って、完全ではないんだけれども、育ったとか。そういう話を聞く」

正直、ご住職も最初は半信半疑だったという。
しかし、そんな内容の報告が増えてくれば。いつしか「霊験」というものを信じるしかない心境に。

「やはり、その人数が2人、3人…5人となってきて。男の人もって」

私も、つい前のめりになってしまった。男の人が。まさか。
「お乳とはいえないけれども、それを飲んでおったら、その1滴が数百倍の栄養素になった気がするっていうおばあさんが来た。親子で来てさ、男もそうだったんかねって。こうした生の声を聞くと、奇々怪々な現代科学では考えられないようなことがあると」

一説には、男性から奉納されたとされる乳型の石。当時はこの石をたわしで撫でて祈願したという

「一宮の人でも、お父さんが子ども育てたっていう人が来て。男の人も乳が出るって。実際は乳じゃないんだろうけど。まあ、子どもに飲ましたって聞いて。生の声を2人も聞いたもんだから」

ちなみに御利益は、男性だけでなく、出産していない女性にもあったという。
乳飲み子を残して亡くなった妹に代わり、その子を育てたというお姉さんも来られたことがあるという。こちらにお願いに来て、乳らしきものが出たというのである。

そんな話を幾度となく耳にしたご住職。だからこそ、その言葉には重みがあるのだろう。
「これが霊験なんかって。そういうことを目の当たりにするもんだから」

そして、話は冒頭の部分へと続くのである。
実話はあくまで事実だからと。作り話は感動がオーバーになるが、実話はそうではない。面白味がなくても、感動が少なくても。それこそが、事実たる所以なのだと。

そんな言葉の数々に。
私は、ただただ頷くことしかできないのであった。

2代目となる乳型の撫で石。横にはたわしが用意されている

参拝方法の立て札

一時期は廃寺だった?再興させるまでの奮闘

さて、1つ疑問が。
どうして、このように「おっぱい」ばかりの境内となったのか。
早速、ご住職におうかがいした。

「昭和20年代に、一度、秘仏の御開帳があったみたいだけど。それ以来はないんだわ。なんかあって、ここの寺。急に人が来なくなっちゃった。だから来たワケ。誰も来たくないって状況になったから」

この寺には、秘仏があるという。
現在は「巽堂(たつみどう)」に安置されている千手観音像。
かの弘法大師空海が自ら造立したといわれている御尊像で、もともとは霊峰小牧山の観音堂に安置されていたのだとか。

当時、この寺に来られたご住職は27歳。忘れもしないあの日。
「昭和51(1976)年の11月12日。凄く寒かった。水も凍ってしまって、ホントに冷たかった。足の裏の熱が吸い取られるくらいに冷たかった。修理に来た電気屋さんも震えちゃって。『なんだ、ここは!』『どうなってるんだ、ここは!』って」

よほどの寒さだったのだろう。
昨日のことのように、ご住職の口からその様子が語られる。

「私が来た時には、誰もおらなかった。昔はすごかった。なんでこんななっちゃったのか、教えてくれる人もいなかった。(当時のこの寺は)ホントに廃墟で。売れるものは全部売って。すっからかんかんのかんで。飛べない鳩だけがおったで。羽はあるんだけど、飛べない鳩がざーっと走ってくるワケ。すっごく早い。なんか、それが奇々怪々で」

ご住職の話を聞きながら、独り静かに想像する。
廃寺。異様な冷気。飛べない鳩。
もうそれだけで、ホラーミステリー小説の舞台となりそうな予感。

「最初は、牛や馬のわらじだとか、皆さんが1つ1つ作ってくれたお乳のはりぼてだとか、びしーっとあったんだわ」

昭和30年代頃に撮影された境内。奉納された手作りの絵馬

同じく昭和30年代頃に撮影された本堂

祈願して授乳ができるようになれば、そのお礼として手作りの乳房を奉納する。そんな人が、あとを絶たなかったようだ。

「これが、気持ち悪いって」
「えっ?」
「ゾゾっと来たワケ。新しいのやら古いのやらが、いくらでもあって。古いのは(お乳が)ぼろーんって取れちゃって。中には、髪の毛で作ったお乳があって、べろんってなってて。なんとなく、イイ感じがしなかった」
「まさか…そういったものを全て?」
「燃やしちゃった」
「で、新しいものを?」
「そう、罪滅ぼし」

納得した。だから、境内には、至るところに「乳型」の置物があるのだ。きっと、これはご住職なりのメッセージなのだろう。これまでに奉納された人々のお礼の気持ちを代弁したのだと。そう、改めて理解した。

門をくぐってから最初に目にする乳型

線香立ても、もちろん乳型

胸から水が出る「慈乳観世音」

境内だけではない。絵馬も一新された。
現在の絵馬は、こちら。

「絵馬」1,500円(2021年2月現在)

この絵馬が出来上がるまでに、大変な苦労があったとか。
「一番はじめにやったのが、瓦の素材に泥を塗ってべたっとくっつけるモノ。そのときはくっついてるけど。当時のボンドと泥だから、接着性が弱い。だから、気付けばぼろっと落ちてくる」

つまり、無残にも、絵馬から乳房が落下するのである。
せっかく祈願したにもかかわらず。その絵馬から落ちるだなんて、縁起でもない。しかし、ご住職は、こう切り抜けたという。
「お乳がいっぱい落ちてますねってなったけど、『乳離れです』って」

さすがである。
そんな失敗を経て次に作成されたのが、マヨネーズの容器のような素材を使った絵馬。
「重たすぎるとなって。次に、これがいいわと思って。できたら、軽くて、いいねって。でも、すぐにダイオキシンが社会問題になって。2、3年しか続かなかった」

またしても、絵馬は失敗。
しかし、改良を重ねて。三度目の正直として出来上がったのが、現在の絵馬である。
「だるまのような紙粘土で、肌がごつごつして。軽くて接着剤もくっついてくれるし。これがいいって」

現在も、絵馬に祈願を書き入れる人は多い。
今度こそ、乳房は落ちず。
人々の祈りは、こうして、しっかりと絵馬に込められるのであった。

時代の流れの波は「願い」にも押し寄せる?

とにかく、ご住職との話は爆笑の連続。
味のある語り口に、ついつい引き込まれてしまう。もちろん、ナイーブな話題でも、ご住職の人柄で話しやすい雰囲気に。その飾り気のない言葉が、妙に胸にグッとくる。

「目くじら立てて、どうやってこの子を育てたらいいのって思っちゃうんだけれども。やはり日々の営みがあって、時に子どもが泣いたらどうするかってことで、間々観音さんに来たんだよ、昔の人は。今みたいに、車で来れる感じじゃないからね。気持ちが随分と重い」

境内にある線香立て

「今の時代の人たちと違って、昔の人は気持ちが通じあうものがあったよなあって。分かりやすい単純な気持ちっていうの。今は、複雑すぎて、駆け引きやら、違った気持ちってやつがあって。なんか違うんだよ。余分な何かがある、見え隠れする」

そんな時代の変遷を反映するかのように、祈願内容にも変化が起こっているのだという。

「(乳といっても)『母乳』がちょっと薄れて来て。『乳腺炎』になって、それが、今度は『乳がん』になって。そいで、乳がんから今度は『複製』になって。乳がんで乳房を切除した人が、元のようなお乳になるようにって。そういう人やら業者が来て。初めての新しい手術だから成功するようにとかねえ」

境内に置かれている乳型

「乳がん」を患っている方が、1人、2人…10人と増えていくと同時に、今度は、授乳祈願の方が、反対に10人、5人…と減っていく。そういう時代の流れを感じるのだと、ご住職は話される。加えて、子育てについての祈願内容にも変化が。

「ここは、安産、子授け。子どもが元気になるようにだとか。普通の状態になってほしいっていう人も来る。昨日までは元気だったのに、今日から物思いにふけるようになっちゃったって人も。色んな現象の人が来る。最近特に多いのは、精神的にちょっと元気がないような人。非常に増えてきちゃって。まあ、これも社会現象かなって思ってね」

左から「授乳守」「成長守」各500円(2021年2月現在)

確かに、そうだ。
当初は、授乳できない人が、藁にもすがる思いでお参りしたのだろう。ただ、時代の流れに伴って、育児方法の選択肢は大いに広がった。昔と異なり、母乳で育てないという人も。

一方で、子育てに関する悩みにも、変化が訪れる。
健康といっても、一概に肉体的な面だけではなく、精神的な面も含めることが多くなった。体は丈夫でも、心が病む。そんなケースもあるのだ。

ただ、残念ながら、人の悩みはそうそう消えるものではない。
単に、形が変わっただけ。
そんな人々に、どう接するか。どのような存在で、寄り添うのか。
これが、現在、寺に対して問われているコトなのかもしれない。

ご住職は、現在の状況を真正面から受け止める。
「御祈願とはそういうもんかって。今年から『身体健全』で行きますよって、寺から宣言するじゃなしに。皆さんの方から『願い』が来る。皆さんの方から教えられてくるようなことばっかり。こういうことだがや」

取材の日に、珍しく雪が降った。
ご住職がこの寺に来られた日を思い出すような非常に寒い日。
そんな昔に思いを馳せながら、無事に取材を終えた。

それにしても、なんとも不思議な魅力のご住職だった。
「まあ、やる時にはやる、やらん時にはやらん。酒飲むときには大いに笑うとか。そういう感じでいけばいいじゃないって。四六時中、張り詰めるとパンクしちゃうから。メリハリ付ければいいって。なんかそんな人生になってきた感じかねえ」

全てを。
良いも悪いも、その人のありのままを。
包み込んでくれるような、そんな感覚がした。

これでないとけいない。そんな1つの答えを導き出すのではなく。
今のままでいいのかも。話をすることで、そう思えてくるから、本当に不思議である。

それでは。
ホントの最後の最後。
ご住職の言葉で締めくくろう。

「奇跡、不思議な現象ってある。日常茶飯事とはいえんけども、そういうふうなお願いをする人がみえたときに、対応出来うるだけの容量をこっちが持ってんとあかんなと。『(この願い)はどうでしょうかねえ?』って言われて。『それはねえ…(難しい)』じゃあかんなと思って。ホントに一生懸命な人には、一生懸命に対応できるだけのこちらの腹積もりがある。そういうお坊さんでいたい」

基本情報

名称:小牧山 間々観音
住所:愛知県小牧市間々本町152
公式webサイト:安産/お乳/成長のご利益 |小牧山 間々観音| 公式ホームページ (wixsite.com)

書いた人

日本各地を移住するフリーライター。教育業界から一転、ライターの道へ。生まれ育った京都を飛び出し、北海道(札幌から車で4時間、冬は-20度)で優游涵泳の境地を楽しむ。その後は富山県、愛知県へと流れつき、馬車馬の如く執筆する日々。戦国史、社寺参詣、職人インタビューが得意。