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2022.03.05

厳冬北海道自転車キャンプ旅!日本最北限のクリスマス 北端のお正月 前編

この記事を書いた人

年末の礼文島と利尻島、お正月の宗谷岬。
2003年から2004年けにかけ、厳冬の北海道で過ごしたキャンプ旅のクリスマス編。

僕のソロキャン物語VOL.11
厳冬北海道自転車キャンプ旅2003-2004

厳冬北海道自転車キャンプ旅

「なんでわざわざ氷点下の極寒の北海道に? しかも自転車? え?? キャンプぅ??」
「馬鹿」「正気の沙汰ではない」「何が楽しいのかわからない」
だいたいこんな事を言われ続けてきた。

別に否定する気はないのだが、うまく答えられない時もある。

確かに一歩間違うと命を落としかねない危険な行為ではある。
それに、地元の人からしたら迷惑行為にもなるので、そこは十分に気を使わねばならないし、謙虚な行動は必須であり、通常の旅より心労も激しい。

昔から、厳冬北海道を自転車で旅した人がいないわけではないが、やはりリスクが伴うため、実行した人間は極端に少ない。

昔は、大学の探検部などがたまに実行するか、あるいはよほどの変わり者だけと言われていた。

自分は今まで、1998年末に最初に実行して以来、2022年時点で計五回の厳冬北海道長期キャンプ旅を経験している。

それでも、まだ行きたいのである。
毎年行ってもいいぐらいだ。

最初の冬の北海道自転車旅は、映画「白THEWHITE」(1999年)の撮影だった。地元の浜松から1998年12月に出発し、翌年にかけて本州と北海道を縦断し、礼文島のスコトン岬に到達するまでを描いた、世界初の単独撮影による映画。2000年ベルリン映画祭招待、山形ドキュメンタリー映画祭にて、ネットパック賞を受賞した

自転車で旅をする、と考えた場合、北海道という土地は、いろんな意味でとてもやさしい。
たぶん、自分は北海道に恋しているのだと思う。
そうだ、これは恋なのだ。
随分長い間、恋したままなのである。

なので、自分の中では、北海道という土地ならば、夏も冬も関係ない。

恋した相手ならば、都合のいい部分だけでなく凶暴な面も体験してみたい、それらをひっくるめて、全部を愛したいのだ。
なんだかよくわからない理屈だろうけど、かいつまんで言うと、そんな気分なのである。
毒を食らわば皿まで。
じゃあ、北海道に住んじゃえば(結婚しちゃえば)いいじゃん、とも思うのだが、結婚はタイミングだ。
まだオレには、そのタイミングは無いようなのだ。

いつか北海道に住むような事になるのだろうか?とも考える
しかし、住むとなると話はまた別な気もする。

恋愛と結婚は違うような気がするので、たぶん、このまま恋愛でいたい気もする。

そんなわけで、2003年のクリスマスイヴの日、三回目の冬北海道旅として
稚内空港に到着したのだった。

「UNDER COVER JAPAN」

当時の「UNDER COVER JAPAN」のフライヤー。AVなのにAVの要素はほとんど無い

この旅は、カンパニー松尾率いる、AV制作メーカー、ハマジム(HMJM)の撮影がメインだった。
当時、立ち上げたばかりのハマジムが最初の頃にリリースした作品群のひとつ。

オムニバスで、2003年の12月24日クリスマスイヴから2004年の正月まで、北海道、東京、沖縄で同時進行でカメラを回したものをまとめたドキュメンタリーだった。

東京編は、カンパニー松尾が担当(一応、AVゆえ、カラミシーンはカンパニー松尾が一人で担当)、沖縄編は、実家が沖縄の真喜屋力が担当、そして、北海道編を今回の記事の筆者が担当した。

他パートなどの詳しい内容は映像をご覧いただきたく思う。

「UNDER COVER JAPAN」パッケージ
まだ、ハマジムにて入手可能

こうして、オレは、バラした自転車と、ビデオカメラと写真用のカメラと、キャンプ道具と防寒装備を携え、単身、クリスマスイブの午後、稚内空港に降り立った。

空港の外は氷点下8度ぐらいだろうか?
空港の台車に乗せた荷物をいったん外に出し、ゆっくりと自転車を組み立てる事にする。
寒いので、少し作業しては空港に入り暖まって、再び作業をして、の繰り返し。
クリスマスイブなので、サンタに変身して自転車を組み立てたが、誰からも声はかけられなかった。
別に声をかけられたいわけではないのだが、ヤバい奴に見られてるのだろうか?
と、思いながら作業を黙々と進める。

作業がようやく終わり、走り始める頃には陽が沈んでいた。
なるべく夜間走行は避けたかったが、これはやむをえないだろう。

今日は稚内フェリーターミナルの隣、稚内ドーム防波堤にテントを張って寝るだけで、走行距離は15キロ程度なので、まだ気は楽だった。

ヘッドランプを付け、暗くなった雪道をサンタのまま走る。

途中、食料調達にサンタのまま、コンビニにも寄ったが、何も言われず無視された。
サンタさんもさみしいもんだと思った。
全世界のサンタさんもこんな感じだろうか?

ほどなく無事に到着した稚内ドーム防波堤には、当たり前だが誰もいなかった。
防波堤なので、下はコンクリートだが、雪や風の心配はない。
しかしながら、クリスマスイブの夜にこんなところにテントを張って寝るのも、なんだか、もの悲しい気分にもなるが、こんな事は自分には日常茶飯事なので慣れている。
慣れというのは恐ろしいもんだ、とか何とか思いながら、テントの中でのんびりしながら、翌日に備える。
ここにテントを張るのは、翌日に礼文島に渡りたいからで、ロスが少ないためだった。

真冬の礼文島

翌朝の25日、フェリーにサンタのまま乗り込み、礼文島に渡る。
真冬の礼文島は海上から見ると、まるで白と黒、グレーの色しかない巨大な水墨画で描かれた氷山のようだ。


この時期のフェリー客は非常に少ない。
冬の礼文島は観光地ではないのだ。店などは軒並み閉鎖していて、地元の人の多くは出稼ぎに出ているものと思われる。

着岸し、自転車を出すため車両甲板に移動、出ようとしたら作業員にこう言われた。

「おまえ、何しに来た?」
「あ……いや、ちょっとツーリングに……」

長い自転車旅でも「何しに来た?」と言われたのは初めてである。
まあ、無理はない。
冬の礼文島は、そのぐらい何もない上、夏には見られる百花繚乱の花や珍しい高山植物なども雪に埋もれてしまっている。
西側の有名なハイキングコースも、雪に埋もれていて行く事はできないだろう。

この日、日本最北限(日本最北端は、宗谷岬なのである)と呼ばれる、島の最北、スコトン岬を目指して、サンタのまま自転車を走らせた。


厳冬の北海道自転車旅には自転車用スパイクタイヤが必需品である。大きな道路は 除雪が行き届いているが、小さな道は圧雪アイスバーンが普通である

途中、島の人に「サンタさん、どこ行くのー?」と通りすがりに言われた。
オレは「ホホホー」とだけ言い、自転車を走らせた。

よく考えたら、サンタの恰好はしているものの、プレゼントを忘れてきた。

サンタ失格ではないか。

真冬のスコトン岬

スコトン岬の向こうに見える島は、日本最北の無人島、トド島である

プレゼントを忘れたせいだろうか?
スコトン岬に着いた時、海は荒れ、風は強まっていた。

オレはサンタのまま、スコトン岬に自転車と共に立ち、三脚にビデオカメラと写真機を交互に乗せ、いつものように自撮り写真を撮影した。


一通りの撮影が終わった頃、風は強まり、吹雪になりつつあった。

実はこの日、クリスマススペシャルとして(?)スコトン岬にテントを張って一晩過ごそうと思っていた。

今までスコトン岬には何度も来た事があり、夏はお土産屋さんが開いていて、キャンプをするという雰囲気ではなかった。
しかし、冬はお土産屋さんも閉鎖しているため、テントぐらいは張れるだろうと思った。
深く考えずキャンプしようと思っていたのだ。

お土産屋さんの小屋を、ふと見ると、電気が付いている。
誰かが中にいるようだった。
(もしかしたら、この時中に人がいたから、この日、命を救われる事になったんだと思う)

オレはヘラヘラしながら、サンタの恰好のまま、ここにテント設営の許諾を取ろうと、この小屋を訪ねた。
小屋の中ではお正月のおせちを作っている作業場になっていて、数人の人が作業をしている真っ最中だった。

サンタの恰好をした、わけのわからない男の突然の訪問に人々の作業の手は止まった。

これこれしかじかと、事情(?)を説明し、テント設営の許可を取ろうとしたが、即座にとんでもない、という返事が返ってきた。

今夜は嵐が近づいていて、天気が大荒れだという事もあったが、そうじゃなくても、スコトン岬は風が強く非常に危険なため、夏でもテント設営は禁止されているという。

「どんな事があっても、テント設営の許可はできない」

少し粘ったが、ここまで言われたら仕方がない。

クリスマスに島の最北限で過ごす、という夢は捨てざるをえなかった。
残念な気持ちで、すごすごと小屋を出た。
海を見ると、さっきよりさらに暴風が増している。

さて、今夜はどうしよう? と、とりあえず自転車でスコトン岬から降りたところの船泊という街に向かった。
すでに吹雪が激しく、16時の時点で暗く夜になっていた。体と自転車は雪まみれだ。

6年に一度の礼文島大暴風

船泊の街の中をテント設営できる場所を探した。
夏に開いているキャンプ場も大半が雪に埋もれており、暴風の風を避けれそうなところもなかなか見つからなかった。
しかし、ちょっとした小さな家々があり、その隅に良さそうな場所を発見した。

家の人を訪ね、テント設営許可を求めた。
一応OKは取れたが、かなり心配された。
どうやら、今回の嵐は、礼文島でも近来まれに見る暴風らしい。
波が6メートルという事で、6年に一度あるかないか、という荒れ方らしい。
そんな時に、サンタでヘラヘラして、テントを立てたいなどと寝言を言っているのだ。
地元の人からしたらいい迷惑だろう。
しかし、家の人の好意で、後ろの物置小屋は鍵がかかっていないから、ヤバくなったら使っていいと言われた。

とてもありがたい話なので、喜んでお礼を言った。

しかし、ここなら建物に囲まれているし物置小屋の世話になる事もないだろうと思った。

ありがたくテントを設営し、中で暖を取りゆっくりした。

テント内。なぜかキビ団子をくわえて、ご機嫌な様子。

しかし、以前の台風ツーリングの時もそうだが、どうしてオレが動くとデカい嵐がいつも来るのだろう?

今回はサンタに変身したが、プレゼントを忘れてきたせいで神様がお怒りになられたのだろうか?
でも、怖いけど、嬉しい気持ちもあるのは確かだ。
自然現象だけは自分のコントロールが効かないので、来るなら来るで可能な限り体験してみたいし、この目で見てみたい。
そんな事を考えているうちに、いつのまにか寝袋の中でウトウトしていた。

夜遅く1時頃、異変を感じて起きる。

テントが左右から圧迫されている。
よく見ると、雪がテントの半分以上を覆っているようだ。
さっき、ウトウトと目を覚ました感じでは、ここまで雪は積もっていなかった。

「これ……ヤバくないか?」

寝袋から這い出し、テントの入口から外を見た。

見た瞬間、恐怖が全身を走った。

雪が凄いスピードで積もりテントを圧迫しているのもあったが、夜の空を一目見た時、暴風の様子がただごとではないと感じたのだ。

怖すぎて、言葉にならなかった。
慌てて、物置小屋に避難しようと即断した。
濡れないように、スタッフサックに次々と荷物を放り込み、物置小屋に移していった。

この様子はビデオカメラには写し出されていない。ビデオカメラを回し始めたのは、物置小屋に避難して、少し心が落ち着いてからだった。
写真撮影など、まったくできなかった。ビデオを回すのが精一杯だったのだ。
そのぐらい怖くて冷静さを失っていた。今から考えるとビデオ撮影も写真撮影も、ある程度は可能だったはずである。
心がパニックになっていたのだ。

こんな夜にスコトン岬にテントなど張ろうものなら、確実に吹き飛ばされて死んでいただろう。
そう思わせるには十分な夜の空の暴風の様子だった。
地元の人の正しさを思い知らされた。

「わたしが悪うございました、テントなど、とんでもない話です、神様、お許しください、ふざけてすみません、未熟なわたしをお許しください」

心の中でこう叫びながら、テントはそのままに情けない姿で物置小屋に避難した。
冒険家? としては、まだまだ未熟である。と思った。
物置小屋が無かったらどうなっていたのか?

危険で怖い体験をすると、頼もしくなる、と思う人も多いかもしれない。
しかし、実は逆で、どんどん臆病で気弱になるものだ。
その恐ろしさを、よく知っているから、それらや、自分の気持ちを克服しようとして、逃げずに、でも、さらに慎重になって、次なる冒険に出るのだと思う。

魚くさい物置小屋で、ひとしきりビデオカメラで撮影した後、マットと寝袋を敷いて、
外の暴風の音におびえながら、深夜、やっと眠りについた。

続く。

書いた人

映画監督  1964年生 16歳『ある事件簿』でマンガ家デビュー。『ゲバルト人魚』でヤングマガジンちばてつや賞佳作に入選。18歳より映画作家に転身、1985年PFFにて『狂った触角』を皮切りに3年連続入選。90年からAV監督としても活動。『水戸拷悶』など抜けないAV代表選手。2000年からは自転車旅作家としても活動。主な劇場公開映画は『監督失格』『青春100キロ』など。最新作は8㎜無声映画『銀河自転車の夜2019最終章』(2020)Twitterはこちら

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