フランスに住み始めて、「日本人だったら、絶対に行くべき!」とか「行ったら日本人としてどう感じるかを聞かせてほしい」と、フランス人の友人たちに度々、勧められてきた場所があります。近年、漫画や、アニメなどの日本文化がフランスでウケていますが、実は、明治時代にも日本に注目した人がいました。それがアルベール・カーンです。
カーンが愛した日本庭園の秘密
彼の名前を冠したアルベール・カーン美術館は、パリの西側、ブーローニュ=ビアンクール市にあり、2014年5月からの長い改修期間を経て、2022年4月2日よりリニューアルオープンしました。アルベール・カーン(1860-1940年)は銀行家で、19世紀後半当時、世界有数の資産家でした。当時のフランス人としては珍しく、日露戦争の際、日本国債を購入し、生涯で3回も日本を訪れた根っからの日本贔屓。4ヘクタールを誇る自宅の敷地に日本庭園を設け、日本から大工を呼び寄せて日本家屋まで造らせました。庭園を流れる小川には錦鯉が泳ぎ、太鼓橋が2つかかる本格的なもの。紅葉や椿などの植栽も気を配られています。
世界の文化記録と世界一周のための助成金
その後、カーンは「プラネットアーカイブ(Les Archives de la Planète )」を計画。この計画の目的は、失われていく世界中の文化を、記録映像・写真にしていくことでした。その上、アルベール・カーン財団として、世界一周をする旅行助成金「世界一周(Autour du Monde)」も設立。若者たちに海外経験の機会を与えるために、1909年から1931年までこの活動は行われました。これによって若手カメラマンたちが世界中に送られ、当時の最新技術であったカラー写真7万枚、モノクロ写真4千枚、映像100時間、訪れた国は50ヵ国以上になったそう。1908年に自らも世界一周をした際は、3回目の日本滞在になりました。
100年以上前の世界一周旅行
美術館リニューアル後、初の企画展のテーマは「世界一周」。カーンが自ら行った世界一周旅行を中心に、助成金で派遣した若者たちが見たもの、表現したものも展示されています。カーンの世界一周旅行は、1908年11月13日から1909年3月11日までの4ヶ月間の旅で、パリを出発後、北米を経由し、横浜へ到着したのは1908年12月18日のことでした。日本国内は横浜、東京、日光、神戸、京都、長崎と周遊しました。
日本からでも楽しめる当時の記録写真
こちらで展示されていた写真のいくつかは、「プラネットアーカイブ」のオープンデータとして、オー=ド=セーヌ県のサイトで閲覧、ダウンロードが可能。地図上に表示させることもできるし、キーワード検索をすることもできます。例えば、「Japon」という言葉で検索すると、3000件を越える写真がヒットします。
カーンがみた景色をなぞる
今回のリニューアルで、最も注目すべきは常設展の空間。薄暗い中、色とりどりの光の粒が目に飛び込んできました。よく見ると、そのひとつひとつが小さな写真で、後ろからの柔らかな光が画像を鮮やかに浮かび上がらせます。異国の風景、エスニックな衣装、これらは、カーンが見てきた世界。そこにとっぷりと浸かり、彼の外国文化への衝撃と羨望をなぞることができる空間です。彼は自らが立ち上げた「プラネットアーカイブ」に、世界平和の願いを込めていたといいます。1930年の世界恐慌をきっかけに、財産を失い活動停止を余儀なくされたカーンですが、その後の第二次世界大戦で消えてしまった風景のいくつかは、ここに残されています。
隈研吾氏の設計で蘇る美術館
さて今回のリニューアルに際して、新しく建てられた美術館ですが、日本人建築家の隈研吾氏による設計です。建物の外と中、共に折り紙のような直線基調の造りが特徴的。
美術館の2階部分には、家族連れ向けのコーナーがあり、そこで日本文化を説明する本を読んでいた親子に話を聞いてみました。小さな女の子は「ふね」、「サムライ」と知っている日本語を可愛らしく披露してくれました。女の子のお母さんにリニューアルされた美術館の感想を聞くと、「まずはこの建築ね。隈研吾氏は知らなかったけれど、この建物はすごく素敵。直線的なモチーフは、この博物館の主題でもある、過去から未来に流れていくイメージに合っているし、繋がっていく感覚や、道というキーワードも感じられるわね」と言います。展示自体も「アルベール・カーンの視点にたって、彼の感覚を疑似体験したわ。鑑賞しているとき、彼と共に旅をしている気分になれたの。あと、世界各国の衣装がとてもユニークなのに、それが日常の普段着だったのも驚きだわ」と。
フランス人の友人たちが、私にこの美術館を勧めた理由は、単なる日本庭園だけではなかったと気づきました。様々な国の文化に敬意を持ち、記録したカーンの偉業も、フランス人にとって誇り。多様性の尊重は平和に繋がる、というフランス人の思想も感じました。彼が写真に託したメッセージは、いつの時代も彼のように平和を望む人たちの心に響き続けるものでしょう。