尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。
すき焼きにはまり、日帰りで京都のお店に通った10代
給湯流茶道(以下、給湯流):年末の独演会「風姿花伝」で、すき焼きがお好きだとおっしゃっていました。はまったきっかけが、何かあったのでしょうか?
阿部顕嵐(以下、阿部):小さいころから、実家でもすき焼きは食べていました。実家でつくるすき焼きは、関東風のしょっぱい味付けでしたね。
給湯流:地域によって味付けが違いますよね。
阿部:10代の頃仕事で大阪に行ったのですが、現地ですき焼きを食べたら、すごく甘くて驚いた記憶があります。まずお肉を焼いて、砂糖を入れて……という流れに感動して、はまりました。
給湯流:それから関西に日帰りで、すき焼きを食べに行くようになったと伺いましたが?
阿部:時間が空いたら、1ヶ月に1回は京都に行くようにしていましたね。
給湯流:月に1回! 熱意がすごい!
阿部:夕方に仕事が終わったら、京都に行く。京都ですき焼きを食べて、終電で帰る。
給湯流:ちなみに一人で食べることもあったのですか?
阿部:一人ですき焼きを食べることはよくあります。ですが、お店によっては一人だと断られることもあって(笑)。
給湯流:10代の少年がたった一人で訪ねてきたら、お店の方はびっくりするかもしれませんね。
仏教の影響で肉食がタブーだった昔の日本……はウソ?
「日本では仏教が伝来してから、肉食を避けてきた。明治時代に開国して肉を食べるようになり、すき焼きも流行った」とイメージする読者の方もいらっしゃるだろう。しかし、「すき焼き」という言葉は、江戸時代などに農具の鋤(すき)で肉を焼いたのが語源という説もある。意外にも日本では、明治時代以前に様々な肉食の文化があったようだ。
たとえば考古学などで、奈良時代のヤマトでブタを飼育していた説があるらしい。広島にある中世の港町「草戸千軒(くさどせんげん)」遺跡からは、なんと犬の肉を食べていた跡が発見されている。
織田信長は鹿を狩ることが好きだったらしい。1572年には岐阜で78頭も鹿をとった記録が残っている。さらに江戸時代初期の彦根藩では、牛肉のみそ漬けを大名や将軍にプレゼントしていた。滋養のために肉を食べることを「薬喰い(くすりぐい)」といっていたようだ。
昔から、いろいろな肉を食べていた日本。1853年に黒船がやってくると各地の港が開かれた。横浜などで牛鍋の店ができ、たちまち庶民の間でも人気になった。牛鍋は今のすき焼きのルーツだという。
わざわざ京都を訪れ、すき焼きを食べる理由
給湯流:京都のすき焼きにはどんな魅力があるか、詳しく教えてください。
阿部:何よりも、京都のお店は風情があるところが好きですね。数寄屋造りの、歴史ある建物のお店があったり。舞妓さんや芸者さんが踊っていた茶屋を店舗にしている所もあるみたいです。
給湯流:お肉の味だけではなく、建物の雰囲気も大事にされているのですね。
阿部:鴨川沿いにある、川床ですき焼きを頂けるお店も好きです。10代の頃から通っていて、顔なじみのお店もあります。
給湯流:それはすごい。
好きな具材は、やわらかく煮込んだネギ
給湯流:すき焼きと言えばお肉が主役ですが、ほかに好きな具材はありますか?
阿部:ネギですね。ネギは、お店によって切り方や大きさがそれぞれ異なるので、10代の頃は特にネギに注目して食べていました。
給湯流:マニアックな10代だったのですね! どんなネギがお好みですか?
阿部:ネギは大きい方が好きです。さらに、くたくたに煮て味がしみ込んでいる状態がベストです。
給湯流:ネギをずっと入れておくと、お肉のうまみも吸って美味しくなりますよね。ちなみに、ご自宅ですき焼きを作ることもありますか?
阿部:家では作らないですね。名古屋かどこかで、自分で作るスタイルのお店に入ったことがありました。そのとき、肉を焦がしてしまって。それがトラウマです(笑)。
給湯流:それは大変! いつか自分も、京都ですき焼きを食べてみたいです。今日はありがとうございました。
インタビュー・本文/給湯流茶道 写真/笹原清明
参考文献/中澤克昭「肉食の社会史」、阿古真理「和食って何?」、向笠千恵子+すきや連「すき焼き」
阿部顕嵐 お知らせ
舞台『桃源暗鬼』
主演・一ノ瀬四季役
東京公演 / 2024年2月17日(土)~25日(日) 天王洲 銀河劇場
大阪公演 / 2024年2月29日(木)~3月3日(日) 梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ