東京の「重文橋」は歴史的エピソードの宝庫。11のトリビアに注目!
日本橋をはじめとした東京の中心街にある橋の歴史は、江戸時代にさかのぼります。
大河ドラマ「べらぼう!」でも、蔦屋重三郎が進出した日本橋通油町界隈のシーンには必ず橋が登場。
その風情は残念ながら失われてしまいましたが、東京の「重文橋」は近代になってめきめき発展し、その過程や足跡が今も見られるのです。
ただ渡るだけでなく、水上から見上げたり、くぐったり、立ち止まってディテールを観察したり。
橋にまつわる「へーっ!」な豆知識は、東京の橋巡りをぐっと楽しくしてくれること間違いなし。いざ、橋散歩へ。
トリビア1
日本橋麒麟像、実は阿吽の対って知ってた?

東野圭吾の小説『麒麟(きりん)の翼』でおなじみ、橋中央に鎮座する麒麟像。中国の伝説上の動物で、泰平(たいへい)の世に現れるとされ、東京の繁栄を祝福する意味がある。よく見ると阿吽(あうん)の対になっていて、2体が背中合わせに橋を守っている。翼のような背びれは、五街道の起点ゆえ、翔ける=〝旅立ち〟をイメージしているとか。
トリビア2
これ、書いたのは徳川慶喜

日本橋親柱には、「日本橋」「にほんはし」と刻まれた銘板が。これは15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が書いたもので、維新の際、戦火を免れたのは慶喜の決断のおかげだと、旧幕臣の技師から頼まれたとか。ちなみに、橋上の首都高の題字「日本橋」は、佐藤栄作(さとうえいさく)の筆。半紙に書かれた原本は東京都公文書館に保管されています!
トリビア3
日本橋に獅子は何頭?

正解は32頭。親柱(おやばしら)に東京市の紋章を抱えた4頭、親柱と中央、計6つの橋灯の東西南北に4頭、橋上からは見えない二連アーチ部分(写真)に4頭。橋(8×4)にちなんでいるとか。モデルは、奈良の手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)や薬師寺(やくしじ)の狛犬(こまいぬ)で、百獣の王として東京市を守っている。
トリビア4
日本橋のど真ん中にある日本国道路元標って?

橋のど真ん中、道路に埋め込まれた50㎝四方の「日本国道路元標(にほんこくどうろげんぴょう)」(写真右)。その上、高速道路につながれている柱には「道路元標地点」と鋳印されている(写真左)。ここは、徳川幕府が定めた五街道(東海道、中山道(なかせんどう)、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点を明治政府が踏襲したもの。ちなみに「日本国道路元標」を書いたのは、時の総理大臣・佐藤栄作。
トリビア5
かつては橋には設計者の名前が刻まれていた!

日本橋の橋台にひっそり取り付けられたプレートには、橋の建設に関わった設計者や関係者の名前が記されている。かつてはこうしていたが、震災復興以降、分業化もあって、橋の建設には多くの人が関わるようになり、名前入りのプレート設置は禁止となった。
トリビア6
くぐるとわかる焼け跡の正体は?

現在の日本橋は、外部は石造だが、内部はレンガとコンクリート造り。そのため、関東大震災では木造の橋のような火災の被害を受けることはなかった。しかし、焼けた船が橋下を通った際、アーチ裏側の石に接触しケロイド状に変形。火災の凄さを物語っている。
トリビア7
こんなところに菊の御紋?

国内初の鉄橋である八幡橋は、官営工場のひとつ、港区の工部省(こうぶしょう)赤羽(あかばね)製作所でつくられた。橋の側面、ピンの接合部に施された菊の御紋の飾りは、官営工場で製作されたという証。ぜひ探してみて!
トリビア8
職人の手技、リベットは芸術だ!

永代橋の無骨さ、マッチョさを際立たせているものとして、丸い頭のリベット(鋲=びょう)が生み出す陰影があげられる。薄い鋼板を何枚も重ね、穴をあけて熱い鉄を流し込んで留めるリベットは、手間暇かかるが、当時のその技術は、まさに芸術。さらに、溶接と違って、疲労亀裂がなく、最強の技術といえる。
トリビア9
勝鬨橋、実は内部に潜入できます!

勝鬨橋の真ん中の橋上に立つ4つの建屋、気になりません? 開橋していた当時は、それぞれ運転室、見張り室、倉庫、宿直室でしたが、なんと、その運転室や橋脚内部の機械室などをプロの解説つきで見学できるツアーがあるのですが、令和7年9月より塗装工事のため残念ながら休止中です。詳細は https://www.tmpc.or.jp/06_info/kachidoki.html
トリビア10
見上げると焼夷弾(しょういだん)の跡

永代橋の中央付近、アーチの頂上を、目を凝らして見てみてください。ちょっと凹んでいる部分、それはなんと、東京大空襲時の被弾の跡。震災復興の橋担当者は、耐震性や耐久性に加え、空爆に対する危機感ももっていたとか。被弾したにもかかわらず、ちょっと曲がっただけ。堅牢なアーチ橋はビクともしなかった!
トリビア11
清洲橋と永代橋、合体させてみたら…?

こうなった!

架橋された当時、永代橋と清洲橋は隣り合っており(現在は間に隅田川大橋がある)、重厚なフォルムの永代橋は男性的、優美なラインの清洲橋は女性的と、ペアの橋として計画された。そのせいか、下のように永代橋をくるりとひっくり返して清洲橋に近づけてみると…、そのアーチは見事に一致! なんと大胆! 設計者の遊び心(!?)に脱帽!
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日本橋、清洲橋、永代橋… 東京・隅田川は重要文化財の宝庫だった!【重要文化財の名橋めぐり①】
撮影/尾嶝 太 構成/田中美保
※本記事は雑誌『和樂(2023年8・9月号)』の再編集による転載です。

