Culture
2020.07.05

7月5日はビキニの日!その理由は?日本の水着の歴史とともに紹介

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7月5日は「ビキニの日」。今や海やプールの定番となったビキニですが、かつてはとんでもなく衝撃的な水着でした。

今回はビキニの日にちなんで、日本の水着の歴史をご紹介します!

「シマウマ」と呼ばれたかつての水着

日本初の海水浴場と言われる「大磯海水浴場」を描いた錦絵に、水着を着た女性がいます。それがこちら。

1893(明治26)年に出版されたこの絵から、当時の海水浴スタイルを窺い知ることができます。女性が着ている縞々模様の水着は、まるで洋服のよう。

こちらの背景には、短パン姿や裸の男性も。

裸で泳いでいる女性もいます。

もともと海水浴は健康増進・病気回復を目的に行われていたため、ファッション性はあまり重視されていなかったのでしょう。ワンピースタイプの縞模様の水着は「シマウマ」と呼ばれ、大正時代にブームを迎えました。

画像:「大礒海水浴 富士遠景図」著者:小国政 国立国会デジタルコレクションより

戦後おしゃれになった水着

戦時中や終戦直後は海水浴を楽しむ余裕がなく、水着に大きな変化はありませんでしたが、1951(昭和26)年に署名された「サンフランシスコ講和条約」を機に、日本でファッションが開花し始めます。1952(昭和27)年、『君の名は』というラジオドラマが流行。翌年映画化され、ヒロインがしていた頭にストールを巻いたスタイル「真知子巻き」が流行しました。

女性がこのような新しいファッションに目覚める中、水着もこれまでの「シマウマ」ではなく、ファッション性の高いワンピース水着が販売されるように。また、映画『狂った果実』などの影響で水着人気に火が付き、大胆なセパレート水着の販売も始まりました。

「ビキニ」登場

1946(昭和21)年7月5日、フランスのデザイナー、ルイ・レアールが露出度の高い「ビキニスタイル」の水着を発表。ビキニという名前は、この4日前にビキニ環礁で行われた核実験が由来とされています。

その後、日本にビキニが登場したのは1960年代頃。あまりの露出度に日本ではなかなか受け入れられなかったようです。

自分らしさを表現する水着

ビキニが日本で流行した後、再びワンピース水着も流行。素材やデザインが毎年アップデートされ、今ではブラジリアンビキニ・タンキニ(タンクトップビキニ)・バンドゥビキニなどさまざまなビキニスタイルのほか、ワンピース水着も定番となりました。

毎年流行の変化はあるものの、夏のファッションのひとつとして、自分らしさを表現するアイテムとなった水着。流行は繰り返すものとも言うので、そのうち「シマウマ」が再度流行する夏が来る……かも知れません。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。