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愚かな連中は、迷いにとらわれ、悪の種をまけば悪の報いがあり、善の種をまけば善の報いがあるという原理を信用しない。(日本霊異記)
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Culture
2020.07.17

日本人が「宇宙からの侵略者」に熱狂した日。コンピューターを長足進化させた「スペースインベーダー」

この記事を書いた人

1978年から79年にかけて、日本ではとある製品の一大ブームが発生していた。

スペースインベーダーである。

日本の太東貿易(現・タイトー)が開発したこのアーケードゲームを、全国の喫茶店が競うように導入した。あまりの大人気に、本業の飲食物提供よりもスペースインベーダーの売上が上回ってしまう店舗が続出。日本で100円玉不足が発生したというエピソードすらある。

「スペースインベーダーのある喫茶店」は、70年代の終わりを代表する光景になった。

コンピューターゲームは「超高級品」だった

かつてのコンピューターゲームは、工科大学に通う学生が楽しむためだけのものだった。

学生たちが研究室のコンピューターで、余暇を投じて自作したプログラムのゲームに興じる。そこにビジネス要素はまったくなかった。プレイヤーはコンピューターに精通した学生もしくはエンジニアだから、操作は複雑でも構わない。

世界初のコンピューターゲームは、マサチューセッツ工科大学の学生だったスティーブ・ラッセルが開発した『スペースウォー!』である。これは宇宙戦争をモチーフにした内容で、太陽周辺に働く重力を想定した物理演算を導入していた。

スペースウォー! の公開は1962年。価格は12万ドルである。1ドル=360円の時代だったから、日本円にすると4320万円だ。62年の巨人軍長嶋茂雄の年俸は1000万円である。大学が研究費を計上しない限り、スペースウォー! を購入することはまず不可能だった。

が、このスペースウォー! にコンピューターゲームの将来を見出していたノーラン・ブッシュネルという男がいた。

「このゲーム機を何とか小さくして、誰にでもプレイできるようするべきだ」

ブッシュネルはそう考えた。

ゲーム市場を作った「ポン」

Atariという会社の創業者として知られるブッシュネルは、1972年に『ポン』というアーケードゲームを開発した。

これは「コンピューターでやる卓球」である。画面の両側にひとつずつパドルがあり、それを上下に動かしてボールを打ち返す2人対戦型ゲームだ。同様のコンセプトのゲームは既に存在していたが、Atariは「打ち返したボールの角度が変化する」「ボールがパドルや壁に当たった時に音が出る」というちょっとした工夫をポンに付け加えた。

操作自体も簡単にした。バーでウイスキーをあおる酔っ払いでもプレイできるように。1972年9月、ブッシュネルはAtari本社の近所にあるバーでポンのロケテストを実施した。プレイ料金は1ゲーム25セント。すると筐体内部のコイン受入箱が25セント硬貨で溢れるほどの人気を集めてしまった。

ブッシュネルはポンの量産に踏み切った。とはいっても、当時のAtariの生産能力では1日5台の筐体が精一杯である。製造コストは400ドル。ブッシュネルはカネと部品をかき集めながら、幾度も製造工場を移転させた。この時のポンは4日で製造コストを取り戻せるほどの人気を博していた。

工場を拡大すると、人手が足りなくなる。ブッシュネルは職業安定所に行き、適当な人物を捕まえて次々と社員にしてしまった。服装規定は設けない。Tシャツにジーパンのヒッピーが大音量の音楽を流しながらポンを製造する、という光景が工場内で繰り広げられた。そのせいで近隣住民からは、Atariがライブハウスだと思われてしまった。ちなみに、この時代のAtariで働いていた者の中にApple創業者のスティーブ・ジョブズもいる。

ポンの勢いは留まるところを知らない。1976年には「ポンをひとりでできるようにする」というコンセプトで開発された『ブレイクアウト』が登場。日本では「ブロック崩し」と呼ばれているゲームである。

このブレイクアウトは、とある技術者にさらなるインスピレーションを創造することになる。

宇宙人は日本生まれ

日本でAtariのアーケードゲームの輸入を手がけていたのはタイトーである。

このタイトーの子会社の社員、西角友宏はブレイクアウトを研究した。なぜ、このゲームは面白いのか? 思考した末、「ブロックを全て消した時の満足感」が面白さを生み出しているという結論に至った。

この当時、巷では映画『スターウォーズ』が話題を呼んでいた。そこで「地球に宇宙人が襲ってくる」という内容のシューティングゲームを作ることにした。ゲームの中でも人間を射殺するのは良くないから宇宙人、という理由もある。

この宇宙人は、上から下へ隊列を組んで降ってくる。プレイヤーはそれを、左右に動く砲台で迎撃する。宇宙人は、ただ地球へ降下するだけではない。彼らもこちらを砲撃してくるのだ。

「敵も攻撃してくるゲーム」ということは、「人間VS人工知能の戦い」という意味合いを持つ。時間制限はない。砲台がやられるまで、できるだけ多くのインベーダーを撃ち落として点数を稼ぐ。スペースインベーダーは、コンピューターが人類に対して叩きつけた最初の挑戦状だったのだ。

日本独自の「テーブル筐体」

78年から79年にかけて、日本の造幣局は100円玉の大量製造に追われた。

スペースインベーダーの大人気が100円玉を町から消した、と表現しても過言ではない。タイトー本社には100円玉で過積載になったトラックが往来していたという。ところで、スペースインベーダーといえばコーヒーテーブル兼用の筐体を思い浮かべる人が多いだろう。このテーブル筐体はタイトー独自の工夫で、言い換えれば日本発祥のもの。アメリカではプレイヤーが立脚した状態でゲームをするアップライト筐体が主流だ。タイトーはもともとジュークボックスの輸入販売を取り扱っていたから、喫茶店にとってどのような形状の筐体がより便利かを心得ていたのだ。ちなみに、アメリカから輸入したブレイクアウトもテーブル筐体に移植されていた。

日本中を大興奮の渦に巻き込んだスペースインベーダーは、インスピレーションの源になったAtariにも多大な影響を与えた。Atariが販売する家庭用ゲーム機『Atari 2600』のソフトとしてスペースインベーダーの移植版が発表されると、Atari 2600の在庫は短期間のうちに消えてしまった。スペースインベーダー目当ての消費者が、Atari 2600を取り扱う小売店に殺到したのだ。

それは、人類がコンピューターゲームに明るい未来を見出した瞬間でもあった。

書いた人

ノンフィクションライター、グラップリング選手、刀剣評論家。各メディアでテクノロジー、ガジェット、ライフハック、ナイフ評論、スタートアップビジネス等の記事を手がける。