わざと人と違う意見を言ったり、ひねくれた態度をとってしまう「あまのじゃく」な人、あなたの周りにいませんか?
「あまのじゃく(天邪鬼)」はもともと、人の心を読んでいたずらをする鬼、あるいは妖怪です。NHK BSプレミアムで放送されたドラマ「大江戸もののけ物語」にも、本郷奏多さん演じるあまのじゃくが登場します。そんなあまのじゃくのルーツが、実は「古事記」「日本書紀」に登場する女神だということはあまり知られていません。なぜ女神が妖怪になったのか、民話や文学の中に登場するあまのじゃくの姿を紹介しながら、探っていきましょう。
民話「うりこひめとあまのじゃく」
あまのじゃくの伝説は日本各地に残されていますが、中でも多くの人が知っているのは「うりこひめとあまのじゃく」の民話ではないでしょうか。
むかしむかし、子どものいないおじいさんとおばあさんの家に、瓜から生まれた小さな女の子「うりこひめ」がやってきました。
うりひこめは機織りの上手な女の子に成長します。
おじいさんとおばあさんが仕事に出かけている間に、あまのじゃくという悪い鬼がやってきて、うりこひめは家の戸を開けてしまいます。
あまのじゃくにだまされたうりこひめは、着物を脱がされ柿の木に縛り付けられてしまいました。織物上手を見込まれ、殿様のお屋敷に召されることになったうりこひめ。
うりこひめの着物を着て、うりひこめになりすましたあまのじゃくですが、殿様の家へ向かう途中で正体が明らかになり、侍たちに捕まえられてしまいました。
地域によって細部の設定に差はありますが、この物語であまのじゃくは、子供のような姿をした鬼として描かれることが多いようです。
夏目漱石『夢十夜』に登場するあまのじゃく
明治の文豪、夏目漱石の『夢十夜』のうち「第五夜」の物語にもあまのじゃくが登場します。
神代の昔、戦に負けた主人公は、敵の大将に捕えられます。
「死ぬ前に一目恋する女に逢いたい」と願った主人公に対し、大将は「夜が明けて鶏が鳴くまでなら待つ」と答えます。
女は馬を駆って主人公の元へ向かいます。
そのとき、暗闇の中で「こけこっこう」と鶏の鳴く声が聞こえました。
驚いた女が手綱を引いた拍子に馬がつんのめり、女は谷底へ落ちて死んでしまいました。
このとき「鶏の鳴く真似をしたものは天探女(あまのじゃく)である」と物語は結ばれています。
あまのじゃくが鶏の鳴き真似をして人間の仕事を邪魔したり、困らせたりする物語は、漱石以前にも、各地に民話として伝わっています。
『夢十夜』の中で、漱石は「あまのじゃく」に「天探女」という漢字をあてています。この漢字表記に、実はあまのじゃくのルーツを探る大きなヒントが隠されています。
古事記・日本書紀に登場する「天探女(あまのさぐめ)」
「天探女」の登場は、日本最古の物語として知られる『古事記』『日本書紀』にまでさかのぼります。
天若日子(あめのわかひこ)という神様は、葦原中国(あしはらのなかつくに)の乱暴な神々を説得するという役割を与えられて、天から地上に降りてきます。
ところが天若日子は、大国主神(おほくにぬし)の娘、下照比売(したてるひめ)と結婚して葦原中国を支配しようとし、8年もの間、天の神々に連絡をしませんでした。
しびれを切らした神々は、「鳴女(なきめ)」という雉(きじ)を、使者として下界の天若日子のもとへ行かせます。
そこにあらわれるのが天探女(あまのさぐめ)という女神です。
古事記では「天佐具売」、日本書紀には「天探女」と表記されていますが、同じ女神です。
天探女は雉の鳴女の声を聞き、こう言って天若日子をそそのかします。
「嫌な声。あの雉を弓矢で射殺してしまってはいかがですか?」
天若日子は、天探女に言われるがまま、天の神々から授かった大切な弓と矢で、雉の鳴女を射殺してしまいました。
その矢は雉の鳴女の身体を貫き、天の神様、高木神(たかぎのかみ)のところまで飛んでいきます。
「もし天若日子が、邪な心を持ってこの矢を射たのなら、天若日子に当たるように」と言って、高木神が地上に向かって矢を投げ返すと、その矢は天若日子に当たり、天若日子は亡くなってしまいました。
「探る女」という漢字の通り、神話に登場する天探女は、人の心を読み、表面には表れていない意味を探ることに長けた女神だったようです。もともと悪い神様ではなかったのかもしれませんが、この神話に描かれているように、物事の裏を読みいたずらをして、天の神様の邪魔をするようになったため、「天の邪魔をする鬼(=天邪鬼)」と呼ばれるようになってしまいました。
そこからさらに転じて、へそ曲がりの人や、ひねくれた人物を「あまのじゃく」と呼ぶようになったと考えられます。
神様に踏まれて耐えるあまのじゃく
あまのじゃくは悪さをして神様を困らせますが、童話の挿絵が子供の姿で描かれていることからもわかる通り、「ラスボス」級の強い敵ではありません。ゲームで言えば、序盤に登場して主人公にあっけなく倒されてしまう、ある意味可笑しみや哀しみを感じさせる存在です。
仏教の世界では、守護神である四天王に踏みつけられる悪い鬼(邪鬼)も「あまのじゃく」と呼ばれることがあります。仏像が好きな方なら、きっとどこかで見たことがあるのではないでしょうか。
こちらは平安時代に作られた重要文化財、増長天立像です。迫力満点の神様の足元をよくご覧ください。
いました。あまのじゃくです。顔の形が変わるほどむぎゅっと踏みつけられ、憂うつそうに頬杖をついています。
続いてこちらも重要文化財。日本画家、川端龍子が所蔵していた平安時代の毘沙門天立像です。色鮮やかな衣をまとったこの神様の足元にもあまのじゃく。
このギョロ目のあまのじゃくには、小さな角が二本生えています。むっちりした、子供のような体つきのあまのじゃくです。
この毘沙門天は、何と二人のあまのじゃくを一度に踏みつけています。
二人とも愛嬌があって、何だか憎めない表情をしていると思いませんか?
向かって右側のあまのじゃくは大きく口を開けて、笑っているようにも見えます。私のお気に入りのあまのじゃくです。
四天王像の多くは、勇ましい表情で世界を守っていますが、足元で踏まれているあまのじゃくたちの表情は千差万別で、とてもユーモラスです。今度、四天王像を見る機会には、ぜひ足元のあまのじゃくにも注目してみてはいかがでしょうか?
人の心を読んでいたずらをしかけ、天の神様を困らせるあまのじゃくですが、どこか憎めない、人間にとっては親しみを感じる妖怪でもあります。「あまのじゃく」はもしかすると、私たちの中に眠っていて、ふとした拍子に顔を出す、ひねくれた心や意地悪な心を目に見える形にした存在なのかもしれないですね。