Culture
2019.08.16

大日本プロレスのデスマッチから見る「日本文化としてのプロレス」

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日本人は、この惑星で最もプロレスが大好きな民族だ。

これは決して筆者の個人的な見解ではなく、「プロレスの鉄人」ルー・テーズが言ったことである。

欧米のカーニバルレスリングから始まったプロフェッショナルレスリングは、日本に輸入されて「プロレス」となり独自の進化を遂げた。海外では「puroresu」という発音で十分通じる。

野球とベースボールは別競技と言われることがあるが、プロレスとプロフェッショナルレスリングであれば尚更大きな落差がある。組織体系もレスラーも、そして観客の観戦態度も。

元プロ野球選手のウォーレン・クロマティは『さらばサムライ野球』という著書の中で、日米の野球観のズレを指摘した。それと同様のことがプロレスにもあるはずで、根本には日本人のアイデンティティーがあるのではというのが筆者澤田真一の思惑である。

大日本プロレスと鉄檻

そんな中、クラウドファンディングMakuakeから連絡が届いた。

大日本プロレスがクラウドファンディングで資金調達を始めるという旨だ。

大日本プロレスといえば、過激かつ独自性の高いデスマッチで知られる団体。此度は試合で使用されてきた鉄檻を新調するためにキャンペーンを実施するという。以前から気になっていた団体だ。激しい中にもどこか手作りの雰囲気が漂う大日本プロレスのスタイルは、世界のどこにも例がない。

「あの鉄檻は、FMWという団体から引き継いだものです。ここ20年、ワイヤーを巻いたり溶接したりで補修してきました」

そう語るのは、大日本プロレス代表取締役の登坂栄児氏である。

「地方への興行にも、当然あの鉄檻を輸送します。重さですか? そうですねぇ、全重量を計ったことはないのですが……上部の鉄板だけなら5~60kgはありますよ」

そんな鉄の塊をトラックで運ぶだけでも一苦労のはずだが、これがなければ大日本プロレスの持ち味が失われてしまうのも確か。鉄檻ひとつ取っても、そこに大日本プロレス独自の伝統や歴史が見えてくる。

何十本もの蛍光灯が弾け飛び、筋肉の鎧を着た男たちが血まみれになって闘う。デスマッチの試合は、敢えて悪く言えば「キワモノ」である。かつてジャイアント馬場が目指したような「王道のプロレス」とは寸分の接点もない。

が、実はこのあたりに日本のプロレスの独自性を探るヒントが隠されている。

日本人レスラーの姿勢

登坂氏曰く、プロレスラーは「穏やかで純粋」だという。

彼らの持つ純粋さが探求心や冒険心となって新しい形式の試合を始める原動力ともなるが、一方で内に秘めたこだわりを掘り下げるためのエネルギーにも使われる。大日本プロレスの場合は、後者のほうが多いとのこと。

いずれにせよ、そこには単なるビジネスを越えた何かが存在する。

筆者がアメリカのWWEを見てたまに感じるのは、アメリカ人レスラーの大半は極めてビジネスライクだということだ。それは表情で分かる。あらゆる場面の喜怒哀楽が、どこか人工的でドライな印象である。

しかし同じWWEのリングに上がっている日本人レスラーは、明らかに戦うこと自体を楽しんでいる。ビジネスを越えたものを体現している、と言うべきか。

もちろんそれは、ギャラの額にこだわらないという意味ではない。プロである以上、取るものは当然取る。だが一方で、どんなに金を積まれても自分のスタイルにそぐわない興行であれば、断固として応じないのも日本人レスラーの特徴だそうだ。

日本にはジャイアント馬場のプロレスがあり、アントニオ猪木のプロレスがあり、前田日明のプロレスがあり、大仁田厚のプロレスがある。それぞれがまるでモノづくりの職人のように、己の探求心に合致したものを作り出して提供する。それを高額のギャラで無理やり掻き混ぜたりはしない。

観客も戦うプロレス

プロレスはエンターテイメントである。ファンの受けさえよければ、あらゆるタイプのレスラーを集めて多様な取組を作ることがプロモーターの仕事だ。しかしそれは、プロレスをアトラクション施設のように考えている欧米の発想でもある。

大ジョッキのビールを飲みながら罵声を飛ばし、その日のストレス発散の手段としてプロレスを観戦するアメリカの観客が相手ならば、先述のようなやり方でも構わないだろう。だが、日本の観客は違う。野次を飛ばしたり大爆笑したりしながらも、自分自身とリング上のレスラーを同一視している。己の魂をレスラーに憑依させている、と表現するべきか。

日本のプロレスは、観客も戦っているのだ。

日本人にとっての英雄とは、単に強大な権力を持つ執政者や広い領土を獲得した君主ではない。むしろ、その権力者に負けた側の人間を英雄として取り上げようとする。日本初の武家政権を構築した源頼朝ではなく、彼に殺された源義経が歌舞伎演目の主役になったのと同じように。

江戸時代、芝居小屋を訪れる観客は自らの日々の苦労を壇上の源義経に重ね合わせていた。それは皇帝や国王の壮大な栄光を描く西洋の戯曲とは、まるで方向性が異なるシナリオだ。

江戸の芝居小屋の観客は、ただ単に壇上を見つめていたわけではない。奥州に落ち延びた義経や武蔵坊弁慶と共に戦っている。そういう意味で、日本では壇上と客席の距離が非常に近いのだ。

夢と熱意が詰まった鉄檻


「新しい鉄檻の費用を工面するとしたら、企業スポンサーに頼ることももちろんできます。しかし、大日本プロレスは“みんなのプロレス”です」

登坂氏が強調するのは、クラウドファンディングで資金を集めることの意義である。

資金力を持った企業を探すことは、決して困難ではないだろう。昔ながらのタニマチにこの話を持っていくことも不可能ではないはずだ。が、それでは観客がプロレスに参加する余地がなくなる。新しい鉄檻も「みんなの鉄檻」でなければならない。

新しい鉄檻のデビュー戦は、今年12月18日を予定している。

この鉄檻は、ただの道具ではない。ファンの夢と熱意が詰まった大日本プロレスの象徴であり、「みんなのプロレス」を実現させるためには欠かせないものだ。そしてこの鉄檻の中にこそ、独自の進化を遂げた「日本文化としてのプロレス」が詰められている。

【参考】
20年以上の激闘を支えたデスマッチアイテム「鉄檻」を新しく作りたい!-Makuake