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2021.01.03

日本刀剣の材料「玉鋼」って?謎に満ちた七色の鉄の波乱万丈な歴史が泣ける

この記事を書いた人

鉄ちゃんである。しかし、乗ったり撮影したりして楽しむタイプではない。
いや、食べ鉄でも音鉄でも押し鉄でもない。というか、むしろ乗ったり食べたりしたらコワイ鉄が好みである(別に食べ鉄も鉄道を食べるわけじゃあないが)。

そう、元素記号Feのファンである。鉄道ファンにも様々な分類があるようだが、鉄の中でも特に、刀剣のファンである。あ、鉄分自体は食べられるのか。貧血に効く、あれか。失敬。

さて、たまさか耳にした「玉鋼(たまはがね)ってどこで採れるの?」の言葉。これに反応して、今回記事を1本書いてしまおう、というわけである。通りがかりの御方、今日の糧をありがとう。

確かに玉鋼って、宝石みたいにいろいろな色に輝いて美しいよなあ(アイキャッチ画像参照)。

玉鋼は採れない!?

さて、早々に夢のないことを言ってしまうが、「玉鋼は採れない」。世界中、どこを探しても、玉鋼という鉱物は自然下に眠っていないのである。

つまり、玉鋼は人工物である。
夢のないこと、と言ったのとは矛盾するが、しかしこの玉鋼をめぐる物語には、夢やロマンがぎっしりとたっぷりと、ねり羊羹のように詰まっている。美味。

玉鋼とは何ぞや?

そもそも玉鋼なる鋼とは、いったいどのようなものなのだろう。日本刀剣の材料であることは明白なのだが。

ジブリ映画『もののけ姫』に、これに連なるものを生産するシーンが出てくる。
そう、たたら製鉄である。近年では『たたら侍』という映画も話題になった、あれである。

引用元画像リンク

あれらの作品で描かれているのが、まさに玉鋼生産の風景である。
しかし、正確に言うと、たたら製鉄で生み出された鋼=玉鋼、ではない。

「玉鋼」の名称が生まれたのは明治時代の末~大正時代初期とされる。もとは島根県安来製鋼所の商品名で、たたら製鉄による鋼を総称して「玉鋼」と呼ぶようになってきたのは、戦後のことのようだ。

が、そこを突っ込んでいって記事にするのもなかなか難易度が高いし、読者は求めていなかろう(この記事だって求められているかどうか自信ないが)。ので、ここではたたら製鉄による鋼全般について扱っていくことにする。そんなわけで、以降、基本的に「たたら鋼・たたら鉄」として記載していくのでよろしゅうに。

たたら製鉄の仕組み

たたら製鉄は、たたら炉による製鉄法である。
ただ、時代や種類によって構造がまちまちであるため、ごくごく基本的な仕組みのみに触れていくことにする。

非常にざっくりとした説明になるが、以下の材料・設備が必須となる。

・木炭(たたら炭)
・粘土で作った炉
・砂鉄など鉄原料
・送風装置
・除湿のための地下構造(初期はごく小規模)

これらがだいたい共通する機構だ。近世以降には、大規模で複雑な地下構造が出現する。

たたら製鉄は、燃え盛る粘土の炉に木炭と砂鉄を投入し、風を炉内に送って鉄を完成させる。

— 酷い。我ながら酷い説明だとは思うが、これが大まかな(大まかに過ぎるが)たたら炉の仕組みである。興味のあるかたは、いろいろよい解説書が出版されているから、ぜひ調べてみていただきたい。おもしろいぞ。

ところで、今もって解明されていない謎が、たたら炉にはある。
木炭と砂鉄に加え、たたら鉄は粘土の炉の壁も食いながら成長するのだという。逆に言えば、粘土の炉がなければたたら鉄はできない。しかしそのメカニズムも比率も、いまだに詳細不明なのだそうだ。毎回バラバラなデータの中に、ただ「そうであるからそうなのだ」ということだけが、確かな証拠として存在している。浪漫である。と同時に、人間何ほどのものか、といった一種爽快な感覚も湧き上がってくる。

たたら製鉄は祈りなのである。たたら製鉄を目のあたりにしたとき、ふとそんな言葉が脳裏に浮かんできた。それが正しいのかどうかは浅学にして判断がつかないのだが、修験者の護摩行の光景と重なって見えたのである。2、3階分はあろうかという高い天井にまで火の粉の舞い上がる火焔、規則的なふいごの音は真言にも聞こえ、炉から流れ出す鉄滓(てっさい)はオロチのごとくにのたうつ。

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たたら炉から生み出される和鋼(わこう)は、驚くほど純度の高い鋼となるのだという。いずれそのメカニズムは解明されるのかもしれないが、人知を超えた何者かの存在、といったものに思いを馳せたくなってしまう光景だった。

たたら製鉄の歴史

さて、そんなたたら製鉄とはどんな歴史を辿ってきたのか。
しかし意気込んで言っておきながら、これを詳述するのは実はかなり困難である。というのは、いまだ決着を見ない分野だからである。
近年では、弥生時代あたりまで国内生産の発端が遡れるのでは、とする説が有力らしいが、これも今後の研究いかんで変わってくるかもしれない。

とはいえ、わっかんな~い、ゴメンね! で終わらせてしまっては、書く書く詐欺罪で担当さん(もの静かで愛らしいけれど、怒らせたらコワイ。たぶん)に逮捕されちゃうので、一応の流れを追っていくことにしよう。

黎明期

なんかさっきもうフライングして書いてしまったが、実はこの時期からしてちょっとよく分からない。完全に「諸説あり」なところだから、できれば見なかったフリして華麗にスルーしたいのだが、まあ。

ヤマタノオロチ伝説をご存知のかたは多いだろう。って、いきなり話が明後日の方向へ飛んで行ったようで申し訳ないのだが、しかしこれ、まさにたたら製鉄に連なる逸話と考えられている。
こちら、その記事。
クイズ!鬼、ヤマタノオロチ、日本刀剣。この3つに関わる身近な素材ってなーんだ?

まあこれも諸説ありの類いではあるのだが、いずれにしても、出雲は古くより鉄とゆかりの深い地である。
記紀における出雲の記述にも、恐らく製鉄にまつわるものであろう箇所が散見される。

引用元画像リンク

たたら製鉄自体は、日本発祥ではない。「たたら」の語源については諸説あって定かではないが、一説にトルコ系民族の「タタール人」ではないかという。その他の説としては、朝鮮半島・多大浦(タテーポー・タデポ)の地名由来、猛火や熱を示す外来語由来、という説もある。

じゃあ発祥はどこなのか。
ヒッタイト! ……ではないかもしれないらしい。いや、ン十年前の学校授業では、たしかヒッタイトって~……。
研究が進めば、どんどん定説も変わっていくのである。ま、それが歴史研究の醍醐味でもあるのだろうが。

気を取り直して。
発祥はどこか。2017年、ヒッタイトの中心部にあたるアナトリアの遺跡で、ヒッタイトより1000年ほど遡る地層から人工鉄が発見された。その成分や遺構から考えると別の土地の民族が発祥「である可能性が出てきたらしい」。
いつまで「らしい」「諸説あり」が続くんだ! と思ってしまうが、まあ古代史研究とはこうしたものなのだろう。そして、2020年12月現在、この民族の特定は恐らくなされていない(研究者の中では見当がついているのかもしれないが)。

さて、国内でたたら製鉄が開始されたのは、恐らく弥生時代後期あたり(古墳時代まで下るという説もあり)であろうと見られている。「野だたら」と言われるような小規模なそれらは、朝鮮半島由来の構造を持つものも多く、日本における製鉄史の発端には、この地の人々が深く関わったと考えていいようだ。鉄製品の出現自体はこれより少し早く、輸入鉄を加工する形で存在しただろうと考えられている。

ちなみに、たたら製鉄とは別系統の製鉄法として、褐鉄鋼(かってっこう/針鉄鉱とも)という種類の鉄原料によって、伝来以前に国内生産されていたとする説も唱えられている。褐鉄鋼はその他の鋼より残りづらいといい、発掘されていないからといってこの可能性を排除するのは危険なのだ、といった主張もなされている(反論もある)。

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はぁ~ややこしい。実にややこしい。が、こういうワケワカラン事象にこそ浪漫は詰まっている気もする。

中世のたたら製鉄……と見せかけて刀剣の鉄

そんなこんなで平安時代末期ごろ(だいぶ時代をすっ飛ばしたが)、日本独自の刀剣の姿が成立したといわれる。あ、あきみずが鉄関連記事書いたら、なんやかんやで刀剣に寄っていかないわけないので、すんません。

中世、日本の時代区分でいうとおおよそ平安時代~安土桃山時代くらいが該当するが、刀剣の材料ともなる鋼の製鉄がさかんに行われる。

たたら製鉄には「鉧押し(けらおし)」「銑押し(ずくおし)」の2種類があり、刀剣など鍛錬する鋼用には「鉧押し」が用いられる。「鉧押し」は鎌倉時代ごろに成立した(戦国時代と見る研究家もいる)日本独自のものだといい、刀剣の量産に大いに貢献した。なお、「銑押し」のほうは、鋳物などに適した鉄が得られる。

また、野外に単独に作られた野だたらが、この時期には定着たたら作業場となり、規模も大きくなった。

ただ、やはりここにも不明点は存在する。

・使った原料鉄はなんだったのか
・たたら炉の規模はどのくらいだったのか
・たたら炉の種類(構造)はどんなものだったのか

規模については、現在、奥出雲町で操業されているような、大規模なものではなかったであろうと言われているが、それ以前より格段に生産量は上がったと見られる。
そこにも繋がるが、たたら炉の種類・構造も、現在見られるようなものとは異なっており、同時代でも数種あったとされる。また、中世、と一括りに言っても、相当な時代の開きがある。
これまでの説をひっくり返すような新発見があれば、これもまた変わってくる可能性もないこともないが、まあ恐らくそうなのであろうと思われる。が、分からない。婉曲表現でうねうねしちゃうくらいには分からない。

どうしてここまで不明点が多いのか、という点については、鈴木卓夫『作刀の伝統技法』に詳しい。いわく、たたら炉の特性上、都度炉を壊して完成品を取り出すからなのだという。
この工程は現在のたたら製鉄においても変わらず、丹念に作られた炉は、鉄の完成とともにその命を終える。感傷的に過ぎるかもしれないが、そんなところにも何かぐっとくるものがある。

最大の疑問は、原料鉄だろうか。
現在、奥出雲町の日刀保(にっとうほ)たたらで使用されているのは、砂鉄、その中でも山陰の真砂(まさ)砂鉄である(※奥出雲町日刀保たたらは、観光目的の操業ではないため、関係者以外の見学は許可されていないので注意)。

しかし、すべてのたたら炉=真砂砂鉄使用ではなく、砂鉄だけでもなく、鉄鉱石なども恐らくは使用されたであろうと言われている。鉄鉱石の産地として特に有名なのは岩手県南東部・釜石(かまいし)だが、東北は古くからの刀剣の産地で、鉄鉱石も砂鉄も採取できる。いずれも優れた資材となりうるのだが、国内においては意図的に砂鉄を選び取って製鉄していたとする説もある。

ちなみに、砂鉄と鉄鉱石と、どちらが優れているか、というような議論もあるが、「優れている」の判断基準をどこに置くかによっても変わってこようし、その時代や地域の技術とか価値観などによっても大きく変わってくるんじゃなかろうかとも思う。それは、同じ道具を使っていながら、人によって「あ゛~使いにくいっ 怒」といったり「お、最高!」といったり、評価が正反対になるケースがままあることにも似ているんじゃなかろか。早い話が、簡単に断定できるようなもんじゃあないかもしれん、というようなことを、まあ考えるのである。

あ、脇道で道草食ってしまった。本題に戻ろう。

んべぇえええ~~~
引用元画像リンク

刀剣は、作者の銘を見ずとも、時代・国・流派まである程度判断できる(鑑定はとてつもなく難しいが)のだが、原料鉄の違いが、そうした異なる鉄肌を刀剣にもたらした一因となっているのでは、と考えられている(刀工の流派による特色など、その他の要因もわんさかある)。そして、その原料は砂鉄か鉄鉱石か、砂鉄の中でも真砂砂鉄か赤目(あこめ)砂鉄か、砂鉄の採取場所は山か川か海岸か、などといった風に、どんどん細分化されていく――んじゃないかとも言われている。
さっきからうねうねワカメみたいな表現ばかりで、書き手としても若干気持ち悪いのだが、だって、分からないんだもんさ。絶対こうだ! という明確な研究結果が出ていれば、安心して断言できるけれども。

現代の刀匠の中にも、これらの研究のために自家製鉄を行っている人たちがいる。数年前には神奈川県立鎌倉高校科学研究会が由比ヶ浜の砂鉄から鋼を完成させ、それを県内の刀匠が短刀にしたと話題になった。展示を見に行ったのだが、見れば見るほど、なかなかに興味深いものだった。鎌倉の砂鉄はたたら製鉄に不向きとされているのだが、実際にどんな問題に直面し、そこをどう乗り越えたのか、刀匠本人からお話を伺ったりもでき、いろいろ考えさせられた。

今後の研究がとてもとても楽しみである。

近世のたたら製鉄……が、また刀剣の話になっちゃうんだな

江戸時代の初めごろ、もっと正確に言うと戦国時代の終わりごろから江戸初期にかけて、製鉄に画期的な変革があったと見られている。それが刀剣の鉄質として明確に表れているのだが、主なポイントは以下である。

・大規模で安定した操業が可能なたたら炉の建設が開始されたのではないか
・砂鉄採取の大規模化が起こったのではないか
・海外からの鉄、すなわち洋鉄が大量に流入してきたのではないか
・全国に鉄を流通させる手段およびルートが確立されたのではないか
・(たたら鋼から刀剣を鍛えていく段階の話だが)新しい鉄の鍛錬法が広まっていったためではないか

無論、これだけではないと考えられるが、上記の理由によって国内の鉄事情に多大な影響が出たのは確かだろう。
この時期の刀剣の銘にも、「以南蛮鉄(なんばんてつをもって)」「阿蘭陀鍛(オランダぎたえ)」といったものが散見される。有名どころとしては、将軍家御用鍛冶・初代越前康継(えちぜんやすつぐ)の作、鍋島藩の御抱え鍛冶たちによる美しい肥前刀などだろうか。また、明記はされていないものの、洋鉄を併用したと見られるものは他にも多数ある。

近代以降のたたら製鉄

明治期、急激な西洋化によって、国内の製鉄にも激震が走る。
軍事・効率化に適した西洋式溶鉱炉に押されて、たたら製鉄は急速に衰退していったのである(技術自体は幕末に入ってきたとされる)。

明治21(1888)年までは国内生産の9割を占めていたたたら製鉄であったが、明治27(1895)年には5割、明治43(1910)年にはついに1パーセントを切るまでとなる。

成果物が画一的ではなく、操業のたびに炉を壊すたたら製鉄は、「時代遅れ」で「非効率」なものとして、時代から消え行かんとしていた。

ただ、日本美術刀剣保存協会たたら課長・黒滝哲哉氏は、著書『美鋼変幻 たたら製鉄と日本人』において、明治期のたたら製鉄の衰退は単純な淘汰ではない、としている。画一性、つまり学校教育と同様「みんな同じ、みんな仲良し」的な発想のもとに行われた明治政府の政策に呑み込まれたのであろう、という。

明治期に生まれた新しい価値観が、日本古来のものであるような顔をしているケースも多々ある。確かに、根底に流れる「明治的なもの」の存在を、ここにも感じざるを得ない。

歌川広重『東京市中馬車往来之図』国立国会図書館デジタルコレクションより

軍需と大きく関わっていた製鉄は、戦争に運命を握られる。銑鉄でかろうじて息を繋いでいたたたら製鉄は、戸畑鋳物株式会社(現・日立金属株式会社)の創業者である鮎川義介(あゆかわよしすけ)氏の支援を受けたものの、瀕死の状態は続いていた。

そして大正15(1926)年ごろ、ついにたたら製鉄の火が消える。たたら製鉄は、ロストテクノロジーになろうとしていた。

たたらの火よ、もう一度

軍事重視によって潰えたたたら製鉄は、皮肉にも軍事によって眠りから呼び覚まされる。……このあたりの時代はちゃんと記録が残っているので、安心して断言するとしよう。

昭和8(1933)年、陸軍の監督下において財団法人日本刀鍛錬会が組織される。これは、将校クラスの軍人に上質な刀を提供すると同時に、刀匠の保護・技術奨励をも目的とするものだった。
刀匠を保護し、その技術を継承するためには、材料の確保が急務であった。そのため、日本刀鍛錬会は奥出雲の株式会社安来製鋼所にたたら製鉄施設造設を依頼する。それが「靖国たたら」である。

たたら再興には、ひとかたならぬ苦労があったと見られる。山陰4大鉄師(てつし)と称された大地主たちのたたら場は、すでに3カ所までが途絶えていた。
また、たたら製鉄の技術は口伝であったが、その技を余すところなく知る「村下(むらげ)」の地位にある人々はみな高齢であり、早急に後継者を育成する必要も生じていた。
――このあたりは、現在の各職職人(刀剣のみならず)においても同様の課題を抱えている。完全に途絶えてからでは、遅すぎる。

近世たたら製鉄における肝ともいえる、大規模かつ精緻な地下構造も、この「靖国たたら」において復興された。そしてこれが後に、たたら製鉄の命運を左右する、重要なカギとなる。

不死鳥よ、永遠に

たたら製鉄存亡の危機は、一度のみではない。

太平洋戦争の終焉とともに、靖国たたらも終わりの時を迎えた。GHQにより刀鍛冶は作刀を禁じられ、それに伴って靖国たたらも操業停止とせざるを得なくなった。

昭和28(1953)年に作刀再開の許可が文化財保護委員会(現・文化庁)から下りたものの、途絶えてしまったたたら製鉄の再開は容易ではない。刀鍛冶らは手元に残っていた僅かなたたら鋼・古釘・古鉄などを使用、あるいは自家製鋼するほかなかった。

時は流れ、ようやくたたら復活が叶ったのは、靖国たたらが途絶えて30年以上経過してからのことである。しかし復活を計画した際、地下構造の再現が技術的にも金銭的にもあまりに困難に過ぎ、新設は断念となった。

この危機にあってたたら製鉄の命を繋いだのが、他でもない「靖国たたら」である。

引用元画像リンク

昭和52(1977)年、財団法人(現・公益財団法人)日本美術刀剣保存協会は、日立金属株式会社の技術援助を得てたたら製鉄を復活させた。この「日刀保(にっとうほ)たたら」は、靖国たたらの地下遺構を復元利用することで実現が叶った施設である。

復活と同時に選定保存技術にも認定された「日刀保たたら」は「旧靖国たたら」とともに生き、今なおその火を、刀剣の命の炎を繋ぎ続けている。

手元にある、ごく小さな玉鋼のかけら。
宝石のようなこの一塊に受け継がれた歴史を思うとき、同時にまだ見ぬ未来へも思いを巡らせるのである。

主要参考文献:
・黒滝哲哉『美鋼変幻 たたら製鉄と日本人』
・鈴木卓夫『作刀の伝統技法』理工学社
・長谷川熊彦『わが国古代製鉄と日本刀』技術書院
・窪田蔵郎『鉄から読む日本の歴史』講談社学術文庫
・真弓常忠『古代の鉄と神々』ちくま学芸文庫
・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣
・渡邉妙子・住麻紀『日本刀の教科書』東京堂出版
・丸本浩『「たたら製鉄法」の基礎研究と定量実験としての教材化』広島大学学術情報リポジトリ
・日立金属公式サイト(https://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp01.htm
・インターメディアテク展示キャプションより
※その他、筆者による独自取材を含む

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書いた人

人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。

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