元人気アイドルグループ「スマップ」の草彅剛主演の映画、『ミッドナイトスワン』が話題です。新宿のショーパブで働く孤独なトランスジェンダーの凪沙(なぎさ・草彅剛)と、母親に育児放棄された女子中学生の一果(いちか)との交流を描いた物語です。舞台となっている新宿の猥雑さが、きれい事ではないリアルさを与えていて胸に迫ります。この町が「新宿」と名付けられたのには、実は深い歴史があるのをご存知でしょうか?
元々は新宿じゃなかった?
国内で有数の繁華街として知られている新宿ですが、以前の名前は「内藤新宿」でした。江戸時代に整備された五街道の1つに、日本橋から甲州に至る甲州街道がありました。日本橋から1つ目の宿場、高井戸までの距離が長くて不便だったためにその中間の宿場として、内藤新宿が設置されたのです。
宿場のできた敷地が、徳川家康の家臣だった内藤清成(ないとうきよなり)が幕府に返上した土地だったことと、新しい宿という意味から、内藤新宿と名付けられました。地名から四谷新宿と呼ぶこともあったようです。
繁華街となったいきさつ
内藤新宿には多くの人が集まり、岡場所(非公認の遊郭)も繁盛します。当時の宿場は客に給仕をする飯盛女が、遊女として接待するのを黙認されていたのです。内藤新宿は、飯盛女を150人も抱える江戸でも有数の岡場所として知られるようになっていきます。
江戸時代に『四谷新宿 馬糞(まぐそ)の中で あやめ咲くとはしおらしい』という歌がはやりました。道に散らばる馬糞を男たち、あやめを飯盛女にたとえています。この歌をイメージしたのか、歌川広重が描いた『名所江戸百景 四谷内藤新宿』の浮世絵には、馬糞もしっかり描かれています。
幕府の風紀取り締まりで一時廃止されるも復活を遂げて、現在の新宿の歓楽街へと繋がっている訳です。
映画で描かれる新宿
『ミッドナイトスワン』で凪沙と一果が初めて出会うのは、新宿駅東口です。この駅から徒歩約10分ほどの場所に、日本最大級のLGBTタウン新宿2丁目があります。広島の家族にカミングアウトすることなく上京した凪沙は、この町で生活している設定です。
一果はバレエの魅力に目覚めて才能を発揮することで、希望を見いだしていきます。一果の夢を後押しするうちに、母親のような母性を感じ始める凪沙。この2人を温かく応援するバレエの先生が魅力的です。新宿2丁目が世界でも例を見ないLGBTタウンとして発展したのは、元々の住民のおうような対応があったからだと言われています。
映画を観劇してから新宿の町を歩いたら、凪沙と一果に遭遇しそうな気分になるかも。ちなみに新宿御苑は、内藤清成の子孫が所有していた土地と屋敷があった場所なんだそうです。
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