東京23区内で城めぐり!歴史ロマンあふれる7つの城跡を徹底紹介

東京23区内で城めぐり!歴史ロマンあふれる7つの城跡を徹底紹介

目次

東京23区内にお城はいくつある? 「皇居の江戸城以外に、城なんてあった?」と思う人も多いはず。実は23区内に約100、東京都全体だと200を超す城跡があるのです。今回はその中でも面影をよく残すおすすめの7城を、背景の歴史とともに紹介。キーマンは、名将・太田道灌です。

東京23区内で城めぐり! 歴史ロマンあふれる7つの城跡を徹底紹介

主君と補佐役の対立が関東に戦乱をもたらした

お城といえばイコール天守閣と思う人も多いでしょう。しかし天守はあくまでもシンボルで(ちなみに天守閣という言い方は明治時代以降の俗称で、正しくは天守です)、都内に天守のあるお城はありません。城という字が「土で成る」と書くように、外敵の攻撃を防ぐべく、土を掘って堀を作り、掘った土で土塁を築いた、戦うための防御施設が城なのです。そうした中世の城跡が都内にも数多くあり、究極的な姿が近世城郭の江戸城といえるでしょう。今回は7つの城を取り上げますが、それぞれの特徴だけでなく、その城にどんな背景があったのか、歴史上の流れの中で紹介します。さまざまなドラマがそこにはありました。

現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部はかつて、武蔵国(むさしのくに)と呼ばれていました。平安時代後期頃、武蔵国に武蔵七党と呼ばれる武士団が興ります。その流れをくむ豊島氏(秩父平氏)、足立氏(藤原氏)、葛西氏(豊島氏の同族)、江戸氏(秩父平氏)らは源平合戦の折、源頼朝(みなもとのよりとも)を支えて活躍しました。

室町時代に入ると、足利(あしかが)将軍は京都にあり、関東は足利将軍の一族が鎌倉公方(くぼう)となって治めます。鎌倉公方の補佐役は関東管領(かんれい)と呼ばれる職で、代々上杉氏が務めました。上杉氏は関東管領職をほぼ世襲する山内(やまのうち)上杉家と、扇谷(おうぎがやつ)上杉家の二つに大きく分かれます。

やがて鎌倉公方と関東管領はたびたび対立するようになり、これに京都の将軍がくちばしを挟んで関東は大いに乱れました。特に享徳(きょうとく)の乱(1454~83)は28年間も断続的に続き、あの戦国時代の幕開けと呼ばれる京都の応仁(おうにん)の乱(1467~77)が始まる前に関東ではすでに戦いが始まっていて、応仁の乱が終息しても、まだ戦いが続いていました。

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太田道灌像(千代田区丸の内3丁目、東京国際フォーラム内)

戦国時代初期の名将・太田道灌の登場

そこで頭角をあらわすのが、扇谷上杉家の家宰(かさい)・太田道灌(おおたどうかん)でした。家宰とは家政をとりしきる役職で、筆頭重臣が任じられます。道灌は公方(当時、鎌倉から下総〈しもうさ、現、千葉県北部・茨城県西部〉の古河に移り、古河公方と呼ばれる)に味方する下総の千葉氏を抑えるべく、利根川下流域に築城します。それが康正2年(1456)頃、江戸氏の旧領地に築いた「江戸城」でした。また江戸城と岩槻(いわつき)城(現、埼玉県)を結ぶ城として、「稲付城」も築きます。

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稲付城跡碑と急こう配の石段

おすすめの城1

「稲付(いねつけ)城」

(北区赤羽西1丁目)
「いなつけ」「いねつき」とも読みます。赤羽台地の先端に位置し、JR赤羽駅西口もしくは南口からすぐの、静勝寺(じょうしょうじ)境内から南側の台地が城跡。静勝寺の建つ平坦部分が主郭と見られ、山門へと上る北側が急な崖、東西も崖となっています。南側からは空堀が検出され、南に続く平坦面と城を遮断するものでした。東に岩槻街道が走ります。地形に面影を残す稲付城は太田道灌の築造とされ、静勝寺は太田氏の菩提寺です。
アクセス:JR「赤羽」下車 徒歩約5分

やがて、山内上杉氏の重臣・長尾景春が家宰職の継承をめぐって主君の上杉家に不満を抱き反逆、古河公方と結びます(文明5年〈1473〉、長尾景春の乱)。これも主君と補佐役の対立でした。しかも長尾景春に、武蔵国で最大勢力を誇る「石神井城」の豊島氏が呼応します。古河公方、長尾景春、豊島氏の連携を前に、山内・扇谷両上杉家は苦境に立たされました。道灌は和解の周旋に努めますが、決裂。

「それならば」と戦(いくさ)上手の道灌は、各個撃破をねらいました。江戸城の留守を「世田谷城」の主・吉良成高(きらなりたか)らに託すと、文明9年(1477)3月、まず長尾景春方の相模(現、神奈川県)の城を二つ落とします。次に勢力が江戸城に近い豊島氏を4月13日に江古田・沼袋の戦い(中野区)で破り、間髪入れずに石神井城を同28日に陥落させて、豊島氏の勢力を追い払いました。

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石神井城址碑と三宝寺池

おすすめの城2

「石神井(しゃくじい)城」

(練馬区石神井台1丁目)
東京23区は中世の頃、大半は豊島氏の支配下にあり、点在する熊野神社や氷川神社がその名ごりだといいます。一族には葛西氏、板橋氏、志村氏、赤塚氏などがいました。石神井城は豊島氏の本拠で、石神井川に水を供する三宝寺池に臨む台地に築かれています。豊島氏が長尾景春と古河公方に味方すると、敵対する太田道灌は豊島氏の練馬城を挑発し、追ってきた豊島泰経・泰明兄弟と江古田・沼袋で戦って泰明を討ち取りました。敗れた泰経は石神井城に籠るも、道灌の攻撃に城を捨てて落ちのびます。一方で落城の際、泰経が白馬に黄金の鞍をつけて三宝寺池に入水、父の跡を追って娘の照姫も身を投げたという伝説も残ります。城跡は主郭の堀や土塁の保存状態が良好。隣接する氷川神社も城域でした。なお、豊島氏の支城に練馬城(練馬区のとしま園内)、平塚城(豊島城とも、北区)などがあります。
アクセス:西武池袋線「石神井公園」下車 徒歩約20分

次に同年5月14日、道灌は長尾景春をおびき出して用土原(ようどはら)の戦い(現、埼玉県)で破ると、景春の諸城も落として勢力を一掃。さらに翌文明10年(1478)12月、古河公方を支える千葉孝胤(のりたね)を境根原(さかいねはら)の戦い(現、千葉県)で破り、文明11年(1479)7月には堅城・臼井(うすい)城(現、千葉県)をも攻略しました。

この情勢に、同族によって不当に下総を追われ、扇谷上杉家に庇護されていた千葉氏当主の千葉自胤(これたね)が下総に返り咲こうとしますが、千葉孝胤の巻き返しにあい、失敗。やむなく引き上げてきた自胤らを、道灌は「赤塚城」「志村城」に迎え入れています。

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赤塚城跡碑と本丸

おすすめの城3

「赤塚城」

(板橋区赤塚5丁目)
板橋区高島平の北西に、地下水が溜池となった池があります。この池を見下ろす丘に築かれたのが赤塚城ですが、築城時期や築城者などはわかりません。中世には豊島氏の支配下にあり、豊島氏の一族赤塚氏の城であった可能性が高いでしょう。城の北に荒川の早瀬の渡しがあり、また武蔵国の南北を結ぶ鎌倉道を押さえた、水陸交通の要衝でした。太田道灌は赤塚城に、下総から逃れてきた千葉自胤を入れます。城跡は本丸跡の碑が建つ一の曲輪、現在、梅林になっている二の曲輪、その西側に三の曲輪という構成であったと推定されますが、詳細は不明です。アクセス:都営三田線「西高島平」下車 徒歩約15分

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熊野神社境内に建つ志村城跡碑

おすすめの城4

「志村城」

(板橋区志村2丁目)
城跡に建つ熊野神社社伝には、長久3年(1042)に志村将鑑が熊野より勧請(かんじょう)したとありますが、築城に関しては不明。豊島氏の一族志村氏が築いた可能性が高いでしょう。城は荒川を北に望み、西・南側に荒川の支流・出井(でい)川が回り込む東西に長い台地上に築かれています。推定される城域は南北200m、東西450m。城内は2つの堀切によって3つの曲輪に分かれ、熊野神社の西に空堀と土塁が残ります。太田道灌によって赤塚城に千葉自胤が入った際、志村城にも千葉一族が入り、赤塚城の支城になったともいわれます。その後、赤塚城、志村城の千葉氏は小田原北条氏に従いました。なお千葉氏が拠った城には、石浜城(台東区)もあります。アクセス:都営三田線「志村三丁目」下車 徒歩約5分

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徳川家の葵紋

道灌から小田原北条氏100年、そして徳川氏の江戸260年へ

文明12年(1480)、長尾景春が再び挙兵し、古河公方がこれを後押ししますが、道灌は景春が本拠とする日野要害(現、埼玉県)を攻略。古河公方はさらなる継戦を断念し、文明14年(1483)に和議が結ばれ、28年続いた享徳の乱がようやく終わります。その功績が八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をした太田道灌にあることは、誰の目にも明らかでした。

しかし、家臣の声望があまりに大きくなると、主君があらぬ疑念やねたみを抱くのは世の常です。文明18年(1486)7月、道灌の主・扇谷上杉定正(さだまさ)は、道灌を本拠の糟谷(かすや)館に招いて暗殺。死ぬ間際、道灌は「当方滅亡」と口にしたといいますが、その言葉通り、扇谷上杉家は滅亡への道をたどりました。

両上杉氏の勢力に代わって戦国時代の関東を席捲(せっけん)したのが、小田原北条氏でした。北条氏2代氏綱(うじつな)は、道灌が築いた「江戸城」を確保。また氏綱は娘を世田谷城の吉良頼康(よりやす)に嫁がせ、足利一門である吉良氏を傘下に収めています。頼康は、道灌に協力して江戸城の留守をあずかった成高の息子でした。赤塚城、志村城の千葉氏も、北条氏の家臣となります。

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世田谷城跡土塁

おすすめの城5

「世田谷城」

(世田谷区豪徳寺2丁目)
世田谷区役所の近くにある古刹(こさつ)・豪徳寺。招き猫伝説や、彦根藩井伊家の菩提寺として知られますが、寺に隣接するのが世田谷城跡です。足利氏一門の吉良氏によって応永年間(1394~1426)頃に居館が築かれ、吉良成高が城郭として修築、「世田谷御所」と呼ばれました。妻が扇谷上杉家の出身ということもあり、成高は一貫して太田道灌に協力します。城は南に突き出た舌状(ぜつじょう)台地上に築かれ、三方を烏山(からすやま)川が洗い、天然の濠としていました。現在、豪徳寺参道に沿って土塁と空堀が残り、隣接する小高い丘が世田谷城址公園となっています。主郭は豪徳寺にあったと考えられ、寺と城址公園一帯が城域だったでしょう。なお世田谷城の支城に、大平出羽守が拠った奥沢城(世田谷区奥沢、九品仏浄真寺)がありました。
アクセス:東急世田谷線「宮の坂」下車 徒歩約5分

初代の伊勢宗瑞(いせそうずい、北条早雲)以来、5代約100年にわたって関東に君臨した北条氏ですが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めによって滅びました。代わって関東に入ったのが徳川家康です。家康は道灌が築き、北条氏も拠点とした「江戸城」を近世城郭へと大改修し、日本最大の城に生まれ変わらせて、徳川260年の牙城としました。

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江戸城富士見櫓

おすすめの城6

「江戸城」

(千代田区千代田)
現在、皇居となっている江戸城は、徳川家康、秀忠、家光の3代にわたって築かれたもの。本丸、二の丸、三の丸、西の丸、北の丸、吹上曲輪(ふきあげぐるわ)を外曲輪が囲み、今日の千代田区全域と中央区の大半、港区の一部を含む、世界でもまれな大城郭です。かつては家康、秀忠、家光がそれぞれ新たな天守をあげていましたが、4代将軍家綱の時の明暦の大火で焼失し、以後、再建されていません。なお、太田道灌が築いた最初の江戸城は、現在の本丸部分にあたるといわれます。
アクセス:地下鉄各線「大手町」下車 C13a出口より大手門まで約5分

そして時代は幕末へ。嘉永6年(1853)、アメリカ艦隊を率いるペリー来航に、徳川幕府は江戸湾の防備を固めるため、「品川台場」を築きました。台場とは「砲台場」のことです。これもまた東京都内に残る城郭の一つです。

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第三台場

おすすめの城7

「第三台場」

(港区台場1)
嘉永6年のペリー来航後、幕府は江戸湾防備の強化に乗り出します。そして勘定吟味役格の江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもんひでたつ)らの進言もあり、西洋式の海上砲台「御台場」築造が決まりました。台場は石垣で囲まれた四角形や五画形で、大きさは現存する第三台場を例にすると、1辺が160m~180mほど。石垣の上に土塁が築かれ、そこに18ポンドカノン砲が設置されました。第三台場の場合、南東と南西に5門ずつ、北東と北西に4門ずつが配備されています。こうした台場を南品川猟師町(品川洲崎)から深川洲崎の海上に11基築造する計画でした。さらに途中で、陸続きの御殿山下台場も加えます。このうち第一、第二、第三台場は翌年7月に、第五、第六、御殿山下台場は同12月に竣工。第四、第七は着工するも途中で中止。第八以降は未着工に終わります。ペリーの再来航は2月に早まったので、結果的に間に合わなかったのですが、築造途上の台場を見て、ペリーは江戸湾に入らなかったともいいます。台場は敵艦に十字砲火を浴びせることのできる配置でしたが、実際に火を噴くことはありませんでした。現存するのは第三、第六台場で、第三台場は自由に見学できます。
アクセス:ゆりかもめ 「お台場海浜公園」下車 徒歩約15分

簡単にお城めぐりの「はしご」ができる

いかがでしたでしょうか。今回、取り上げた7城は、第三台場を除いて、すべて太田道灌が関わる城でした。訪れると、地形などから当時の雰囲気と、城にまつわる人々の息づかいを感じることができるでしょう。太平の世が続いた江戸時代のイメージで、一般に23区内は合戦とは無縁と思われがちですが、室町時代後期から戦国時代にかけて、実は激しい戦乱の舞台でもありました。

また東京近郊に暮らしながら、江戸城をじっくり見学したことがないという人も意外に多いものですが、非常にもったいないことです。徳川幕府による日本最大にして最強の城は、現在皇居として、ある意味現役であり、一般公開されている皇居東御苑(本丸、二の丸、三の丸)を歩くだけでもその威容に目を見張るはずです。そして東京湾に面する観光スポットお台場は、幕末の危機感から生まれたもう一つの城でした。

これらの城の見学が、鉄道で1日に複数「はしご」できるのも交通至便の都内ならでは。天気の良い日を選んで、ぶらりと都内のお城めぐりに出かけてみてはいかがでしょうか。東京の風景が、それまでとはまた、違って見えてくるかもしれません。

参考文献:黒田基樹『図説 太田道灌』、東京都教育委員会編『東京都の中世城館』(以上、戎光祥出版) 他

文/辻 明人

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