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Culture
2020.12.11

蒙古襲来の復讐譚『百合若大臣』と古代ギリシア叙事詩『オデュッセイア』の奇妙な共通点

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『百合若大臣』は江戸時代に浄瑠璃の題目にもなった、大分県などに伝わる伝説です。蒙古襲来において活躍したにも関わらず、部下の裏切りにあった英雄の復讐譚ですが、これと類似した物語が遥か西洋にも存在します。

それが、古代ギリシア叙事詩『オデュッセイア』です。二つの伝承の共通点から、明治の文学博士である坪内逍遥は「『百合若大臣』とは古代に日本へと伝わった『オデュッセイア』である」という説を唱えます。

果たして、それは本当でしょうか? 本記事では、その信憑性を検討していきます。

日本古来の復讐譚『百合若大臣』とは? 

『百合若大臣』は、現在では知る人も少なくなった幸若舞(こうわかまい:室町時代に流行した曲舞)の『百合若大臣』のあらすじはこのようなものです。

九州は豊後(大分県)の右大臣である百合若は弓の達人で、鉄でできた弓であっても引けるほどの腕前の持ち主でした。彼は美しい妻とともに、穏やかな毎日を送っていました。

そんな折、蒙古(モンゴル軍)が日本の博多に攻めてきたとの連絡を受けます。そして、蒙古撃退の命が朝廷から百合若へ下るのでした。

百合若は自らの弓の才を駆使し、そこに神風も手伝って、蒙古を撃退することに成功します。とは言え、その激戦に疲れ果ててしまった百合若は、玄海島という無人島で丸3日間の深い眠りに落ちてしまいました。

「百合若軍法鎧櫻 6卷」志滿山人(1819年)国立国会図書館

その間、家来である別府兄弟は島に百合若を置き去りにし、朝廷に戦の勝利を報告、百合若は戦死したことにしました。百合若を裏切り、その戦果を全て自分たちの物としたのです。

別府兄弟は百合若の地位を奪い、兄の別府太郎は百合若の美しい妻にも手を伸ばします。百合若が帰らなければ自害すると決めていた妻は、身の回りの物を整理し、最後に百合若の愛鷹“緑丸”を逃がすのでした。

しかし緑丸は主人の居どころを察知し、百合若のいる玄海ヶ島まで到着します。百合若は玄海ヶ島で生き延びていたのでした。百合若は柏の葉に血で文字を書くと、緑丸にその手紙を妻の元へ届けさせます。

その知らせを受け取った妻は墨や硯、紙などを緑丸に託しますが、その重すぎる荷物により緑丸は、玄海ヶ島に辿り着いた頃には事切れてしまっていました。妻との唯一の連絡手段さえも消えてしまったのです。

一向になびかない百合若の妻に対し、別府太郎は苛立ちを募らせていました。身代わりとして、親しい知人の娘が変わりに斬られたりもしていました。

正月となり、別府兄弟の屋敷では宇佐八幡宮への奉納の弓始めが行われます。そこに、「苔丸」と名乗る異様な風貌の男が現れました。その男は、百合若以来誰も引くことのできなかった鉄の弓を掴み、引き絞ると大声で叫びます。

「我こそは百合若なり。裏切り者どもよ、思い知るがよい」

かつて、緑丸が島に漂着した原因となった海流は、地元の漁師の船も玄海ヶ島へと導きました。その漁師に助けられ百合若は島を脱出、復讐の機会を虎視眈々と待っていたのです。

百合若は復讐を遂げ、命の恩人である漁師には対馬と壱岐を授けます。妻の身代わりとなった娘の家族には筑紫(福岡県西部)の重役の職を用意し、自らは京に昇って日ノ本一の将軍の座を手にしたのでした。

古代ギリシア叙事詩『オデュッセイア』とは?

『百合若大臣』に対して『オデュッセイア』は、古代ギリシアはイタケ島の王であるオデュッセウスの物語です。

オデュッセウスは愛妻ペネロペを故郷に残し、トロイ戦争で十年間にも及ぶ戦いに勝利、帰途に着きます。

書籍『百合若伝説の本源』によると、その道中で海の妖怪に襲われ続け、何とか辿り着いたトリナキエ島でオデュッセウスは眠り込んでしまいます。その間に部下たちは、海神ポセイドンの使いである牛を殺して食べてしまい、島には神の怒りが降り注ぐのでした。部下は皆殺しとなり、牛を食べなかったオデュッセウスも海神ポセイドンの怒りに触れ、船が難破し、漂流してしまいます。

「ペネロペとオデュッセウス」(1520–27年)メトロポリタン美術館

さらに10年の月日が経ち、オデュッセウスを哀れに感じた女神アテナは、オデュッセウスを島へと返してやるのでした。

一方、故郷のイタケ島では妻ペネロペに対する貴族たちの求婚が後を絶ちませんでした。まだ夫は生きているかもしれない中、貴族たちは傍若無人に結婚を申し出ます。

何とかかわしていたペネロペもいよいよ断ることができず、夫の弓で一列に並べた複数の斧の柄の穴を通すことができた者と結婚すると約束します。その弓はとても引けるものではありませんでしたが、一人のぼろ布を纏った男が野次馬の中から挑戦を申し出ました。

その男は弓を引くと、夫のいる妻を誘惑した貴族たちを一網打尽にしました。その男こそが、オデュッセウスだったのです。

文学博士、坪内逍遥の説とは?

この二つの話はとても筋書きが似通っていますが、坪内逍遥が唱えた「百合若大臣=オデュッセイア説」の根拠はそれだけではありません。

例えば『百合若』という名前について。『オデュッセウス』はギリシア語ですが、英語読みすると『ユリシーズ』なのです。また、女神アテナのラテン名は『ミネルヴァ』。どことなく『緑丸』と似ていないでしょうか。

しかも、女神アテナの象徴は猛禽類のフクロウか、もしくは海の鷲という、鷹に近い存在なのです。

当時の文学界に衝撃を与えた同一説

この二つの物語はとても似通っています。坪内逍遥が唱えた説は、当時の明治の世にセンセーションを巻き起こしました。

他にも東洋と西洋で似通った説話があることは見受けられますが、いくつかのモチーフが段ごとに連綿と似通っているのは、この『百合若大臣』と『オデュッセイア』を置いて他にないとされています。

また、面白いことに源義経が主人公である『御曹司島渡』と『百合若大臣』の類似も、日本の神話学者である松村一男氏によって指摘されています。源義経と言えば良くも悪くも根強く『義経=チンギスハン』説が取り沙汰される人物です。

かつて日本を襲った蒙古のトップであるかもしれない人物と、その蒙古から日本を守った人物の英雄譚が似通っているというのも、ただの偶然なのでしょうか?

書いた人

讃岐うどんと瀬戸内国際芸術祭が有名な香川出身の物書き。うどんを自分で打つこともできるが、自宅でやると家中粉まみれになるのでなかなか作らせてもらえない。幼少期から茶道や琴など嗜んでいるいまどき珍しい和風っ子。しかし、甘露は和菓子よりもケーキなどのスイーツが大好きな和洋折衷な人間。