芸の世界は勝負の世界。昔から落語や寄席の楽屋には、さまざまな験担ぎ(ゲンかつぎ)や符丁(ふちょう)、習わしがあります。高座返しに落語の根多(ネタ)、噺家のちょっと変わった話し方や行動など、落語の沼にハマり始めると生まれる「?」に答える楽屋の裏話です。
落語「泥棒」ネタは縁起が良い?楽屋の験担ぎ
落語の根多は、季節ごとにかける演目が変わります。季節に関係なくかけられるものもありますが、その中に縁起を担いだ根多もあります。
例えば、「泥棒」の噺は「客の懐を盗る」という意味で、たくさんの客に来てもらい、ついでにご祝儀もいただけますように、という意味。
「狸札(たぬさつ)」「王子の狐」などのキツネやタヌキが「化ける」噺は、大化けすること、つまり人気上昇や芸の上達を願います。
「金の大黒」や「ぞろぞろ」「高砂屋(たかさごや)」はめでたしめでたしで終わる縁起の良いストーリーなので、おめでたい時や正月などに、「徂徠豆腐(そらいどうふ)」「八五郎出世」「佐々木政談」は出世噺として、やはり縁起の良い噺として知られています。
また、気分を盛り上げる江戸文字「寄席文字」にも縁起が考えられています。寄席文字の元祖は江戸時代の「ビラ字」。噺家であった橘右近(たちばな うこん)が、昭和40年代に現在の書体に改良し、「橘流」として継承され、現在に至っています。
「客数が右肩上がりで大入りとなるように」と縁起を込めた右上がりの書体となっており、文字間隔を詰めて書くのが特徴です。
噺家にとって落語の座布団と履物は特別
噺家が座る高座の座布団にも意味があります。前座は高座返しの際、必ず座布団の縫い目をお客様から見て後ろにして、縫い目のない方をお客様に向けなければなりません。布が輪になっている方をお客様に向けることで、切れ目のないお付き合いを願っています。
独演会などの会場で、噺家が最初にチェックするのも座布団の向きと高座の高さ。それだけお客様との縁は、噺家にとって大切なものです。
また、その昔、まだ履物が草履だった頃、間違えて人の履物で帰ってしまうなんてことが多かったのですが、噺家は自分の履物が誰かに履いて帰られてしまうことをとても嫌がったといいます。これは、「履物(足)がなくなる」つまり「お足=お金」でお金がなくなると考えられていたからです。
昔の寄席ではお客様や噺家の履物を管理する人がおり「下足番(げそくばん)」といいました。履物を次々と素早く持ち主の足元にピタリとセットする様は、まさに職人技だったそうです。
下足番は寄席の「呼び込み」も兼務していましたが、その呼び込みも今では浅草演芸ホールだけとなってしまいました。
個人事業主・噺家の収入の仕組みとは?
世間では芸人の闇営業が話題ですが、落語家・噺家は個人事業主ですので闇営業という考え方はありません。事務所に所属している場合は事務所を通す場合もありますが、基本的には噺家は客先から直接仕事を請けます。
寄席に出演した際に受け取る給金を「割(わり)」といいます。割は、寄席など入場料「木戸銭(きどせん)」×入場数から歩合が引かれたもので、昔は席亭(せきてい・寄席を仕切り番組を作る人)から配られました。現在は、協会の事務員などが割を計算し、2日毎に現金で支払われます。主任(トリをとる演者)は倍の額をもらえますが、前座の小遣いや食事代などを置いていくため、下手すると主任なのに割が少ないということもあったようです。(「割に合わない」の語源ともいわれます)
寄席が満員御礼となった時には「大入袋(おおいりぶくろ)」がでます。これは、出演者全員に配られるもので、寄席によって金額が異なります。「大入袋が出た」といい、トリの噺家にとって名誉なことです。
寄席だけではない噺家の収入源
寄席がたくさんあった頃は、割で生計を立てることができましたが、現在の噺家の主な収入源は、独演会やお座敷、メディア出演です。
「お座敷」とは、噺家を呼んで自分のために高座をかけてもらうことをいいます。お大尽が料亭などのお座敷に自分の客と芸者衆を呼んで、そこで噺家に一席かけてもらい酒やご飯を振る舞うという粋な遊びです。最近ではそんな大人の遊びを嗜む方も少なくなりましたが、現在では落語好きな何人かでお金を出し合って行う落語会や、会社の研修等の余興を噺家に依頼などが「お座敷」にあたるでしょうか。
メディア出演では、テレビやラジオにパーソナリティや役者として出演する他、映画やドラマ、アニメの監修や指導を行うこともあります。落語をかける仕事としては、演芸番組が減っていることもあり笑点やNHKなど一部の番組のみになってしまいました。
落語ギョーカイ用語「符丁」のいろいろ
落語界にはいわゆる業界用語「符丁(ふちょう)」があります。とはいえ、落語界だけではなく他の芸能にも使われているものもありますし、江戸時代や明治時代には普通に使われていた言葉が、未だ楽屋には残っているというものもあります。
例えば、今ではあまり使われませんが、丁半(ちょうはん)などの博打(ばくち)・賭け事のことを「モートル」といいます。お金を掛ける博打は違法なのですが、「モートル」と言えば賭け事とはわからないわけです。昭和の名人古今亭志ん生のおかみさんはこの符丁がわからなかったため、志ん生が「モートル行ってくる」と言うと志ん生にお金を持たせ三つ指ついて送り出したという逸話が残っています。
ちなみに、「女郎買い(じょろうかい)」今でいう「風俗に行く」ことは「チョウマイ・帳前」といったそうです。
興行で使われるのが「顎足(あごあし)」「箱代(はこだい)」「バラし」です。「顎足」は口と移動を意味していて「食事・交通費」のことをいいます。ここに宿泊費がつくと「顎足枕(あごあしまくら)」です。
「箱代」は、会場費のこと。「バラし」は会場を撤収することで、「今日のバラしは何時?」と使います。
噺家は落語に出てくる言葉を使うべし?
符丁とは違いますが、江戸落語の噺家は高座で現代の言葉が出てしまわないように、普段もできるだけ落語で使われる言葉や江戸弁で話すように師匠から教わります。
例えば、現在で使われる「便利」という言葉。これは落語の中では使われず「重宝(ちょうほう)」となります。「かっこいい」「イケメン」は「様子が良い」、「気恥ずかしい」は「決まりが悪い」、「トイレ・お手洗い」は「はばかり」などです。
常に江戸弁を意識しているので、とある大師匠がいわゆるAVのことを「活動春画(かつどうしゅんが)」と言い出し、「そこまでしなくてはならないのか」と若手が困惑したという話もあります。さらには噺家という職業を隠してキャバクラに繰り出しても、「まっつぐ(まっすぐ)」「するってえと(それなら・すると)」などが口をついてしまうため、すぐにバレてしまうという寸法です。
粋な通称 土地の名前で呼ばれる大師匠
ちなみに、歌舞伎では「中村屋」「成田屋」など役者を屋号で呼びますが、噺家の場合は住んでいる土地の名前で呼んでいました。
有名なところでは…
■八代目桂文楽(かつらぶんらく)→「黒門町」
■林家彦六(はやしやひころく)→「稲荷町」
■六代目三遊亭圓生(さんゆうていえんしょう)→「柏木」
■先代の林家三平(はやしやさんぺい)→「根岸」
■古今亭志ん朝(ここんていしんちょう)→「矢来町」
■五代目三遊亭圓楽(さんゆうていえんらく)→「竹の塚」
…という具合です。
お客は文楽に「いよっ、黒門町!」と声を掛け、楽屋では「黒門町の師匠」と呼ばれます。当代の三遊亭円楽は六代目ですが、「竹の塚の師匠」となれば五代目の圓楽というわけです。(五代目円楽一門会の中では、五代目圓楽を「大将」と呼ぶ噺家もいます)
しかし、最近では土地の名前は○区○丁目と変わってしまい、土地の名前で呼ぶことはめっきり少なくなりました。「よっ!〇〇団地前!」では、何とも締まらないというものです。
噺家の楽屋には、江戸から明治・大正の落語の世界が未だ息づいています。時代遅れと言われてもなくならないのは、芸にまつわる縁起や伊達があるからなのでしょう。
寄席に行ったならばそんなところも意識してみると、また面白いところでございます。
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