「今週はどんなストーリーでしょうか?」
「今日もおもしろかったですね!」
金曜の夜、わくわくしながらテレビの前に座り、観終わったら詳細な感想をツイートする能楽師、続出。
それが、2021年春に放送された宮藤官九郎脚本・長瀬智也主演のテレビドラマ『俺の家の話』(TBS、全10話)です。
ええ! 能楽師のかたたちってテレビも観ないし漫画も読まないし、みたいな、とっても厳格そうなイメージがありませんか?(※人物像は個人のイメージです)
それに、ここが違う、そこも違う、みたいに、プロだからこそ分かってしまう違和感とかでドラマも楽しめないんじゃないかな、なんて勝手に想像していたのですが。ちょっとどころではなく、びっくりしました! 能楽師って、いったいどんな人たちなんだろう?
ということで、観山(みやま)流ならぬ宝生(ほうしょう)流の能楽師に突撃インタビュー!
お世話になるのは、クラブDJの音楽で舞ったり、本物の刀を能に使ったりと、他ジャンルとの斬新なコラボアイディアを出し続けている小林晋也(こばやし しんや)師(※「師[し]」は能楽師への敬称)。
ご自身の家の話、お家元のもとで内弟子修業を重ねたときの話など、「リアルな能の家の話」をお聞きしました!
小林晋也師プロフィール
能楽シテ方宝生流職分。昭和49年小林家4代目として生まれ、5歳より稽古開始、6歳で第18世宝生宗家入門。鞍馬天狗の花見稚児にて初舞台。初シテ「加茂」「千歳」「石橋」「道成寺」「乱」を披(ひら)く(※披く:特別な伝授を得ないと演じられない演目を初めて演じること)。関東中心に海外公演にも出演、劇団公演やクラブDJなど他ジャンルとのコラボにも精力的に取り組む。市民講座・学校授業講師・大学サークル指導・能楽ゆかりの地ツアーなど、能楽の普及にも力を入れている。また、高齢者向けに能の謡(うたい)や動きを取り入れた介護予防健康体操なども行っている。重要無形文化財保持者総合認定、日本能楽会会員、能楽協会会員。
能の家ってどんな世界?
— 能楽師のかたが大勢視聴していたというドラマ『俺の家の話』、小林先生はご覧になりましたか?
小林晋也師(以降、小林):はい。『俺の家の話』は、能楽師の間でもけっこう盛り上がっていましたね。プロの能楽師が協力していたこともあってか、ああ分かる、という箇所がいくつもあって。
— そうなのですか! どのようなところでしょうか?
小林:父親にふだんはあまり遊んでもらえないとか、あるあるですよね。土日祝日は父が舞台があることが多いですし、平日もお弟子さんのお稽古時間が5時以降とかですから、生活リズムが家族とずれるんです。朝、家族が起きる時刻にはまだ寝ていて、夜は仕事で子どもが寝る頃に帰ってくる。我が家では学校に事情を話して、ごくたまに学校を休んで親と遊んでもらったこともありましたが、それも数えるほどです。でも、そういうものだと思っていました。
— そうした、世間一般とは少し違うと感じるようなことはよくあったのでしょうか?
小林:小学校低学年くらいまでは特に何も思わなかったのですが、高学年になると、あれ、何か違うぞ、と思い始めました。
— 具体的には、どういったことだったのでしょう?
小林:若宗家が子方(こかた。子どもが演じる役)にお稽古をつけてくれる時間が水曜日にあったのですが、最後まで授業を受けていては開始時刻に間に合わなかったんです。それで、毎週水曜日は給食を食べたらすぐ下校していました。同級生にはいいなあ、なんて言われて、へへ~いいだろう、なんて答えていたんですけれどね(笑)。結局、卒業まで水曜日午後の授業を受けたことはなかったと思います。
能楽師であり続けること
— ドラマの主人公は一度能楽師を辞めていますが、そうしたことについて、能の家に生まれた小林先生が感じられたことはありましたでしょうか?
小林:ああいう様に辞めてまた戻ってこられる……。自分も子供の頃は父に言われてやっていただけだし、好きではなかったのですが、高校卒業時には“この仕事も好いかなァ“と思い始めて今まで続けています。昔は否応なく絶対に継いでいったみたいですが、現代では中学に入り子方を卒業するような頃のタイミングで辞める人もわりと多く、20歳くらいになってから辞める人もいます。
— それはどういった理由なのでしょうか?
小林:人それぞれだと思います。子供の頃は先生たる父親に言われてしていたのが、中学生くらいになり自分の意思も持ってやりたくなくて辞めたり、何かやりたいことが見つかったり。某有名ロックバンドのドラマーの方で能楽師の家の人もいるのですが、その方は「能の世界ではどんなに頑張っても宗家には自分はなれない。だから自分はミュージシャンで1番になる」とか。また20歳くらいですとか、職業として考える年頃になってくれば経済的な要因もあるかと……。
— 経済的な要因ですか。
小林:我々能楽師は個人事業主なんです。流儀の職分(プロ)を名乗ることは許されても、会社のようなシステムではないので、それぞれが自分の手で収入を得ていかないといけない。それは宗家にしても同じことなんです。
— そうした事情というのは、今も昔も変わらないのでしょうか?
小林:能が今の形に定まってきた室町時代の頃、世阿弥などは足利将軍の庇護を受けるようになり、その後だんだんとパトロン文化となっていき、江戸時代には猿楽能(江戸時代までの能楽の名称)は武家式楽(儀礼楽)となりました。能役者は士分となり徳川将軍をはじめ大名家などのお抱えとなります。パトロン文化となったことで芸道精進に集中して、よほどのことがない限りは安定して食べていくことはできたみたいです。
— 現代では、食べていくのも……
小林:かなり大変です。舞台の出演料とお弟子さんのお月謝が収入源なのです(ドラマでの寿限無のバイトシーンもあながち……)が、明治時代にはパトロン文化ではなくなって消滅した流派がいくつかあったのですが、このままではいずれ(能の歴史が今まで600年。この先ずっと何百年と考えて)また消滅する流派が出てくるのではないかと、個人的に危惧しています。ただ単純にプロを増やせばいいかというとそういう問題でもなくて、パトロン文化でなくなった現代では我々の生活収入を支えてくださる一般市民の方々に、能のおもしろさや魅力をしっかりと伝えて能楽ファン、愛好家を一人でも多く増やしていかないといけないのだと思います。
宗家ならではの苦悩を目の当たりに
— 小林先生は宗家の内弟子修業をされたと伺いましたが、宗家ならではの苦労といったことを感じられたことはありましたか?
小林:先代宗家は御苦労を表に出されない先生でしたので、当時はあまり気づかなかったのですが今思えばありました。高校卒業から10年間、先々代、先代宗家のもとで内弟子修行したのですが、やはり大変な重責を背負っておられていたのだな、と感じられることが多々あります。別流派ですが、とある宗家はあまりの重圧に「本気で出家しようと思った」とまで本に書いておられます。
— 出家、ですか。
小林:宗家は流儀の代表です。周囲から認められる必要がありますし、流儀を統括していかなければいけません。宗家も人間ですから様々な感情があるでしょうが、まとめ役として感情を押し殺す場面も出てきます。内弟子時代には、宗家が悩んでいる姿を目の当たりにすることもありました。
— トップの苦悩、ですね。
小林:それに、宗家といえども経済的余裕がものすごくあるかというと……。流儀のトップだからといって実力主義から逃れられるわけではないですし、本当に想像を絶するような苦労を重ねておられたのだろうと感じます。
クラブDJとコラボ!? 六本木でバンドと舞う!?
— 小林先生は、他ジャンルとのコラボにも精力的に挑戦しておられますが、これまでどんなことをされてきたのでしょうか?
小林:時代劇、クラブDJのパフォーマンスや六本木でバンドの歌・ピアノの即興演奏に合わせて舞う、若手刀匠が作った現代の刀を使って能を舞うなどです。
— クラブDJやバンドの歌と能、というのはちょっと想像がつかないのですが……。
小林:実はけっこうできるんですよ。日本の音楽は2拍子系で、能は8拍子が基本です。これに合う音楽なら、西洋音楽でもその他のどこの音楽でも、舞うことができます。初めて挑戦したときには私もびっくりしました。
— 能は8ビートなんですね! コラボを始めたきっかけというのは何だったのでしょうか?
小林:とある大看板の落語家の師匠と父が仲が良いのですが、師匠に「若い者たちでなにかやってみたら?」と言われて、バレリーナ・落語家・講談師・ミュージシャン・能楽師・劇団で時代劇『道成寺(どうじょうじ)』公演を行ったのが最初です。
— 様々な分野のプロが集まった公演、なにかがぶつかり合って新たなものが生まれそうです。
小林:そうですね。私にとってはあの江戸東京博物館のホールがコラボ活動の始まりでした。けっこう人気のある劇団だったこともあって、出演者それぞれに出待ちとかもあったんですが、なぜか私には誰1人気づいてくれなくて。あれ、どうしてだろう、と思ったんですが、あ、そうだ舞台では面(おもて)をかけて(=能面をつけて)いたんだ、と(笑)
— たしかに、それだと素顔は見えませんね(笑)
コラボと伝統のはざまで
小林:私が尊敬する先人の言葉に「乱れて盛んになるより、むしろ硬く守って滅びよ」というものがあります。大好きな言葉なのですが、これって「能楽だけをやれ、それ以外は何もするな」という意味ではないと思うんです。
— 時々こうした議論を耳にすることがあるので、プロの演者の見解にとても興味があります。
小林:この言葉の意図するところは、本質を見失ってはならない、本質を揺るがせてはいけない、ということだと思います。新しい取り組みは、この世界を知ってもらうための入り口であって、それ自体が本質ではない。そこの入れ替えは決してしてはいけないものなんです。他ジャンルとのコラボやアレンジなどはあくまで能が残っていくため・衰退させないためで、本質を生き延びさせるための手段だと思っています。「旧態依然」を続けていて盛り上がるなら本当はそれでいいわけですが、現代社会にはたくさんの娯楽があって、「なにかあれ面白そう!」と思ってもらえるように存在を積極的にアピールしていかないといけない。「傲慢」も「迎合」もいけない、と日々自分に言い聞かせています。芸や自分自身の生き残りをかけた必死の戦いですね。
不要不急、ではない
— 新型コロナウイルスの影響で、舞台公演の中止などが相次ぎました。やはり能楽も?
小林:そうですね。軒並み公演中止に追い込まれました。でも、文化って「不要不急」なのかな、と思うんです。衣食住のような物質的なことと同時に、心のほうも満たしていかないと、人間はどんどん荒れていく。心がすさんでいけば無用な争いも起きる。こういう時にこそ、心の栄養が重要になってくるように思います。
— 文化とはなにか、文化財とはなにか、といった議論がネット上で盛んに見られたことがありました。もう一度、深く考えてみたいです。
大切なのは「全集中」!
— 最後に、能のお稽古について伺っていきたいと思います。小林先生は子ども時代どんなお稽古をされたのでしょうか?
小林:はじめはちゃんと正座してご挨拶、というところから始まります。普段の父は優しいのですが、稽古の時はスパルタ方式で同じ失敗を3回繰り返したら、手が飛んできました。今の子たちはそうでもないようですが、30年くらい前までは全体的にそんな感じでしたね。
小林:今、自分が教える側に回って思っているのは、そうした厳しい指導なしでもどうにかなる、ということです。自分の時、「怒られて怖いから」びくびく緊張してものすごく集中したんです。まさに全集中ですよ(笑)
— 全集中(笑)
小林:でも、厳しくする目的は、集中すること、緊張感を持つこと。技術の習得のために必要だからですが、だったら、集中力や緊張感をどうやって引き出すか、というのを昔ながらのスパルタ方式でなくとも、教える先生が工夫すればよいと思っています。
能で健康エクササイズ&オンライン用ボイトレ!?
— 能のお稽古にちょっと興味がある、だけど一歩が踏み出せない。そんな人にひと言お願いいたします。
小林:お稽古、楽しいですよ。西洋音楽と違い音階が絶対ではないですし、いくつであっても自分の出せる声でよくて、お年を召してもずっと一生続けられるんです。50年70年の同好の士というのもよく聞きますね。
また、アメリカの研究で、能の動きがインナーマッスルに有効だと証明されました。お稽古で自然に鍛えられるので、健康エクササイズとしてもおすすめしたいです。私のご高齢のお弟子さんたちも、みなさんとてもお若くて元気です。適度な緊張が脳の活性化にもとてもいいと聞きます。
— 能でエクササイズですか!
小林:緊張といえば、江戸幕府お抱え剣術家の柳生但馬守が、「舞台上の観世宗家に斬りかかったとしたら、おそらく私が返り討ちにされるだろう」と語ったというエピソードがあります。実際にどうなのかはともかくとして、そう思わせるような気迫と動きを能役者がしていたということですね。能の動き身体の使い方は武術に通じて、昔の武士が能を習っていた理由の1つには鍛錬の為もあったそうです。
— 剣の名手が、負ける、と感じるほどの気迫。きっと皆が見惚れたのでしょうね。
小林:それと、腹式呼吸で体を管楽器のように使って発声するので、周りがざわざわとしていても、それほど大きくない声量でクリアに相手に伝わるんですよ。
— 今、オンライン会議のためにボイストレーニングに通う人が増えているといいます。能もその選択肢に入れたいですね!
小林:能はいかに省略し、謡(歌とセリフ)だけで表現するか、そこに絵本や紙芝居の挿絵の様に役者などが姿を現す芸能です(謡はさしずめ小説でしょうか)。想像の世界に存分に浸る、「余白の芸能」をぜひ気軽に楽しんでいただけたらと思います。
宝生流シテ方 小林晋也師情報
Facebook:kobayashi.shinya.737
Twitter:@shinya1121
問い合わせメール(宝生流):office159hongo@hosho.or.jp
稽古場:【埼玉県】浦和、狭山、東村山、新座 【東京都】田端 【神奈川県】藤沢 【長崎県】長崎市、諫早市
記事中画像:小林晋也師・提供