直径1㎝ほどのカラフルでコロンとした球体。これ実は400年前から伝わるお菓子で、その名も「おいり」。繊細な薄さの皮の中は空洞で、口に入れるとたちまち溶けて優しい甘みが広がります。
香川県の中でも坂出市、丸亀市、観音寺市、三豊市と西部を中心に婚礼の際の引き菓子として古くから用いられていました。最近ではカラフルなパステルカラーが「ユメカワイイ」「SNS映えする」と若い人たちを中心に人気急上昇中。世界へも広がりを見せています。
香川県の人に広く親しまれ、知らない人はいないほど有名な「おいり」ですが、どのようにして作られているのかは意外と知られていません。ふんわりまるいお菓子に込められた知られざる歴史と職人のこだわりをレポートしてきました。
讃岐の「おいり」は姫君の婚礼菓子がルーツだった
「おいり」の始まりは、初代讃岐国領主として武将・生駒親正(いこま ちかまさ)が任命された1587(天正15)年のこと。領民に親しまれ良き統治を行っていた親正公の姫君のお輿入れが決まりました。その際に領内の農民がお祝いにと、5色の煎りもののあられを献上したことがはじまりと言われています。
殿の覚えもめでたく“おめでたい”“いりもの”を略し「おいり」と呼ばれ、一般に知れ渡るようになったそう。それ以来、香川県の西讃地区(香川県の西部地域。三豊市、観音寺市、善通寺市、丸亀市、坂出市)の婚儀には欠かすことができないおめでたいお菓子として多くの人に配られ、受け継がれてきました。
おいりがきれいだと花嫁もきれい
現代でも讃岐では「おいり」にまつわる風習がみられます。とある大安吉日の朝。ご近所の人たちが三々五々集まってくると、程なく支度を終えたお嫁さんが姿を現します。「まあ、きれいにお支度できて」とお祝いと見送りに集まった人たちが声を挙げます。集まった人たちに花嫁の家族から「おいり」配られます。そして花嫁は「おいり」を携え、嫁ぎ先へと向かうのです。
「おいり」には花嫁の「心を丸くしてまめまめしく働きます」という気持ちが込められているそうです。さらに「おいりがきれいだと花嫁もきれい」とも言われるため職人は責任重大。美しい「おいり」を作るため時間と手間を惜しみません。
おいり専門店として唯一残る老舗「山下おいり本舗」
最盛期には多くの和菓子屋さんで「おいり」が作られていましたが、現在では県内に数件を残すのみとなりました。中でも「おいり」専門店として製造しているのは「山下おいり本舗」さんのみです。江戸後期に創業し、明治以降に代々菓子の製造販売を手掛けてきた同店ですが6代目の山下光信さんが「全国でどこにもない香川県ならではのおいりを広く知らせたい」という思いからおいりのみを製造することになりました。そしてそれまで5色が一般的だったものにオリジナルの2色を加え、7色の「おいり」が誕生しました。
気が遠くなるほどの細やかな作業と工程に唖然
こんなきれいで可愛いお菓子がどのように作られているのかどうしても知りたくて製造現場におじゃまさせていただきました。おいりの原料はもち米。前日から水に浸したもち米を蒸し、石臼でついていきます。
長年使われている特注の石臼は、現在では動かないようしっかりと固定されています。杵は機械で動かしていますが、生地を返したり、出来上がりの様子を見極めたりするのは人の手と目です。
「基本に忠実に作っていても、気温や湿度など微妙な条件の変化で1回として同じものができたことがない。毎回ゼロから始まります」と山下さん。「よく職人の勘ですか?と聞かれますが勘ほど不確かな事はない。大事なのは研究を怠らないこととひらめき」だといいます。
つき上がった柔らかい生地は米ぬかを広げた台の上で複数の麺棒を使って丁寧に伸ばし、4㎜ほどの厚みに整えられます。
厚みが均等になるよう細心の注意を払って伸ばされた生地は屋上に運ばれ、網の上に広げ天日干しに。気候や天候によっては屋内に移動させたりとひと時も目が離せません。
こうして乾燥した生地を約5㎜角の賽の目切りにします。これがおいりの原型となります。この状態で再度天日干しに。出来上がりまでにはまだまだ時間がかかりそうです。
「さあ、煎っていこうか」という山下さん。煎る前に天日干しした後の生地を見せてもらうと、どれも均等に大きさが揃っていることに驚きます。
実はこれ再度干した後に山下さんがご自身の目で「おいりに適する大きさのものだけより分けた」からだそう。
この細かな粒を全部??全部?目だけで??職人のこだわり恐るべし。
賽の目の生地を釜に入れて煎りはじめるとあっという間に角型の生地がまんまるに膨らんで純白のおいりが完成します。“角が取れて丸くなる”ことで幸せになるとされ「幸せのお菓子」といわれるゆえんです。真っ白な出来立ての「おいり」を特別に味見させていただきました。温かくて優しい甘さ、煎りたての香ばしさが口の中でふわりと溶けていきます。ああ幸せ。
季節を感じる職人の遊び心
煎り上がった「おいり」は機械で回転させながら7色に色付け。この色合いの調合も山下さんが研鑽を重ねた末のもの。山下さんはそれまで5色だった「おいり」に青と黄緑を加え7色にしました。ちなみに「各色の比率は同じですか?」と伺うと「同じやと思います?」と山下さんが悪戯っぽく笑います。実は桜の花が咲く春はピンク、新緑の眩しい初夏は黄緑を多めになど季節によって微妙に変え、季節感を出しているそうです。
山下さんは更に「味も全部同じやと思います?」とにっこり。職人のあくなきこだわりにただただ驚くばかりです。仕込みから出来上がりまでは約2週間ほど。出来上がった「おいり」は欠けたり焦げたりしているものはないかと厳しい目でチェックされ、箱や可愛いパッケージに入れて花嫁の元や店頭に届けられます。
最近ではブライダル以外でも出産やひな祭りなどお祝い菓子として幅広く用いられています。
1990年頃にメディアで取り上げられたことをきっかけに県外はもちろん、海外からもカラフルで繊細なジャパニーズ・スイーツとして知られるようになりました。さらに「おいり」の存在を知り、パフェやソフトクリームなどのトッピングとして取り入れる店も増えているそうです。
人々の幸せと共にある縁起の良いお菓子「おいり」。お気に入りのお茶を添えて幸せなひと時を過ごしてみてはいかがでしょう。
山下おいり本舗 基本情報
香川県三豊市高瀬町新名字天古1018-20
0875-72-5438
営業時間:10:00~18:00
不定休
山下おいり本舗HP