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2021.08.17

え、そんな裁判した覚えないけど?愛溢れる仕事ぶりで庶民に大人気の「大岡越前」。伝説の真相に迫る!

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昨今は、著名人の書籍をライターが執筆する「ブックライティング」の仕事も当たり前になりました。そんな時代だからでしょうか。筆者はとある出版社から「江戸幕府8代将軍・徳川吉宗のある側近について取材し、彼の活躍をまとめた本を書いてほしい」と依頼されました。

その人物とは、「大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)」の名で有名な幕府の行政官「大岡忠相(おおおかただすけ)」。恥ずかしながら筆者は彼のことをよく知らなかったのですが、出版社いわく「“大岡裁き”と呼ばれる数々の伝説を残してきた人物」とのことです。

大岡忠相、私もよく知らなかったのですが、今年の元旦に東山紀之さんがスペシャルドラマで演じていたよと祖母が言っていました!

取材の基本は、下調べとインタビュー。事前に「大岡裁き」の伝説について調査し、本人へインタビューすることに成功したのですが、そこで彼は何故か「大岡裁き……?」と不審そうな顔をしていたではありませんか!

江戸時代の人物に取材アポ取りしちゃうなんて、さすがとーじんさん!

「自分の人生について聞いただけなのに、どうしてそのリアクション?」と不思議に思いましたが、インタビューを進めていくとその理由が見えてきました。そこで、今回は「大岡裁き」の伝説に関する調査結果と、大岡へのインタビューをまとめてみました。

(言うまでもありませんが、このインタビューは「妄想」です! また、文中には適宜筆者注が入っています)

1分でわかる「大岡越前」

延宝5(1677)年、旗本(江戸幕府に仕える武士の役職)の家系に生まれた大岡忠相は、まず書院番(将軍に仕えて警備や雑用などをこなす役職)・徒頭(かちがしら:将軍警固役の徒士たちを統率する役職)・目付(政務全般を監視する役職)などを歴任して信頼を勝ちとります。吉宗が将軍に就任して「享保の改革」が始まると、江戸の町奉行・寺社奉行を務め、最終的には顕著な功績を残して大名にまで上りつめました。

徳川吉宗(出典:写真AC)

……と、確かに十分な実績を残した人物なのですが、大岡が現代まで語り継がれる背景は別にあります。彼は幕府で出世しながら威張らず、法を重んじつつも人情も忘れない公正明大な人物だったのです。

仕事もできて性格も◎。なんてナイスガイなんだ……!

彼は評定所(ひょうじょうしょ:訴訟を扱う機関。今でいう裁判所)の一員として、特に裁判では明晰な頭脳・機転を利かせる柔軟さ・弱者の立場に立った人情あふれる判決などを兼ね備えた「大岡裁き」を披露。大岡の裁判に関する16編のエピソードが『大岡政談』という形でまとめられて後世へ語り継がれました。

博文館編輯局校訂版『大岡政談』(出典:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1882609)

大岡は現代でも愛されており、時代劇ファンの方なら、「大岡越前」シリーズはお馴染みでしょう。ちなみに、彼が「越前」と呼ばれる理由は、史実で「越前守」という官職名を与えられていたためです。

以上で大岡越前の概要を把握できたところで、いよいよ本人のインタビューをお届けします!

「大岡裁き」はよく分からない

――大岡さん、本日はよろしくお願いします。さっそく「大岡裁き」についてお伺いしたいのですが……

大岡忠相(以下、大岡):大岡裁き……? それはなんのことだ?

――えっ。それはもちろん、大岡さんが裁いてきた数々の名裁判ですよ!

大岡:確かに、評定所の一員としていろいろな事件を裁いたことはあるが、「大岡裁き」と呼ばれた記憶はないぞ。

――なるほど。では、具体的な裁判例を挙げていきます! まず、「実母継母詮議の事」について、人情味あふれる決断の背景にあった葛藤を……

大岡:「実母継母詮議の事」とはいったい何の話だ? そんな裁判は知らんぞ。

――いやいや! 器量よしに育った娘をめぐって実の母と継母が親権を争い、大岡さんは「娘の手を引っ張り合って、勝ったほうが本当の母親だ」と言ったうえで、腕を引かれて娘が泣くのを見て手を放した母親を「本当の母親なら子の涙を見て手を放すものだ」と認めたあの裁判ですよ!

大岡:すまんが、そんな裁きをした経験はない。

――!? では、「三方一両損(注1)」の裁判は? 「石地蔵吟味の事(注2)」の裁判は?

大岡:必死なところ悪いが、やはり全部知らぬ裁判だ。間違いない。
一両小判

出典:写真AC

(注1)ある人物が3両を拾い、落とし主に届けたが「いったん落とした金はオレの金ではない」と受け取りを拒否。どちらも金を受け取らないと譲らず喧嘩になったため大岡が間に入ったが、二人の金に執着しない姿勢に感心する。そこで、自ら1両を差し出して合計の4両から両者に2両ずつ与え、「二人とも3両もらえるはずが2両になったので1両損をした。そして私は1両損をした。これを三方一両損という」と説得して事態を解決した話。

(注2)ある人物が輸送中の反物を積んだまま地蔵の前で休憩していたところ、つい居眠りしてしまった。すると、その間に反物が盗まれてしまう。多額の弁償を求められ藁にもすがる思いで大岡のもとへ駆け込むと、彼は「居眠りしたお前も悪いが、盗みを見逃す地蔵も悪い」と地蔵をお縄にかけ、奉行所へ引き出してしまう。騒ぎを聞きつけて野次馬たちが集まってきたが、当然地蔵は何も吐かない。そこで、彼は無断で奉行所へ集まった者たちを「不届き者」と糾弾し、罰金として盗まれた反物と同じ素材の反物を納めさせた。その中から盗まれた反物が見つかり、事態が無事解決した話。

大岡裁きは「ほぼ創作」

大岡:オレから一つ聞いてもよいか?

――はい、何でしょう?

大岡:いや、さっきからお前が言っている「大岡裁き」とやら、よく考えれば聞き覚えのある話が多い。例えば、「実母継母詮議の事」は中国・宋の裁判実話集『棠陰比事(とういんひじ)』で、「石地蔵吟味の事」は中国・明の『包公案(ほうこうあん)』で読んだぞ。

――ええっ、そうなんですか! では、他に定型として伝わっている16のエピソードも……

大岡:うむ、普通に考えればそうであろうな。どれ、試しにお前が知っているだけ「大岡裁き」について教えてみろ。真偽の判断をしてみせよう。

(筆者が16編のエピソードについて伝える)

大岡:ううむ、これは何とも……。まず、16のうち実際に見聞きした裁判は3つしかない。しかも、その3つのうち2つは同僚たちが裁いたもので、オレは関与しておらぬ。実際に担当したのは「白子屋お熊(注3)」の一件だけだ。

――つまり、「大岡裁き」は創作?

大岡:そうなるであろうな。

(注3)江戸の商家・白子屋にて、養子の又七が下女(雑用係)のきくにカミソリで切りかかられる事件が発生。白子屋は又七の実家に示談を持ちかけるも、又七とその妻・熊の不仲を耳にしていた実家は怪しみ、大岡のもとへ捜査を依頼した。大岡は熊とその母・つねを問い詰めると、これが周到に計画された又七暗殺計画だったことが発覚し、犯人たちが処罰された話。なお、熊は又七の金目当てで結婚したため愛がなく、下女のひさときくの斡旋で手代(使用人)の忠八と不倫関係にあった。

「大岡裁き」は大岡が人気すぎて生まれた?

――しかし、どうして「大岡裁き」は創作され、社会に根付いたのでしょうね?

大岡の家臣:それは、家臣たるわたくしめがお答えします! 殿が、とにかく庶民に人気があったからではないでしょうか?

――なるほど! 具体的に教えてください

大岡の家臣:はい! 殿は享保の改革期に在任した各奉行の中で、最も長く町奉行を務めて改革を推進しました。火消組合の組織・延焼を防ぐための家屋改造・小石川診療所の設立に着手した「江戸の都市改造者」、江戸近郊の治水や農政に貢献した「地方創生の旗振り役」、数々の法令や公文書を整備した「官僚」としての顔もあるんです。

広く事業に関わったので多くの人に名前を知られていて、各地で優秀な人だと評判なんですよ。

――確かに、人気があるから話があの手この手で盛られたというのはあり得そうですね

大岡:オホン。オレが人気かどうかはいったん置いておくとして、ただ人気があるだけで生まれてきた話とも思えんな。あくまでこれは想像なんだが、もしかすると「幕府への不満」が隠れているのではないかね?

――「幕府への不満」ですか

大岡:うむ。オレは庶民のためを思って政治に取り組み、時には同僚たちとも対立しながら世の中を改革してきた。もし庶民がオレを評価してくれているのなら、それが創作に繋がるのは「幕府に不満を抱いたから」だと思う。つまり、政治や裁判が道理を欠いたものだと認識したとき、彼らは「政治家は大岡のようにあるべきだ」「大岡ならきっとこう裁いただろう」と、期待や願いを込めたのだろう。

大岡の家臣:つまり、殿は庶民のアイドルだったんですね!

大岡:せっかく上手く締めたのに、余計なことは言わんでいい!(笑)

庶民の、大岡忠相への愛と幕府への思いから「大岡裁き」は生まれたのですね!

大岡の死後に広まった「大岡裁き」

大岡は生前から高く評価されていましたが、彼の評価が確立されたのは死後のこと。大岡の死から約17年後の明和6(1769)年にはすでに「大岡政談」を描いた書籍が出ていたものの、まだ内容は短く史実も盛り込まれていませんでした。

これが19世紀に入ると、庶民文化の発展とともに大岡の伝説が現代に近い形になっていくのです。特に、庶民の娯楽の中心だった講釈(講談)の世界で広い支持を集めました。庶民に愛された大岡らしい流行りかたですね。

現代でもドラマや講談の題材として愛され続けていますが、意外なところでは大岡裁きの様子を収録した「大岡政談」が「裁判の様子を描いた作品」として日本でトップクラスに有名になったことから、法律学の教材として「大岡裁きを現代法学の観点から検証する」といった試みも多くなされています。

ここまで「大岡裁き」の虚実を検証してきましたが、もちろんフィクションとして楽しむことはなんの問題もありません。しかし、史実では享保の改革を推進した有能な官僚だったことも、同時に押さえてもらえればと思います。

【参考文献】
大石学『大岡忠相』吉川弘文館、2006年
同著『新しい江戸時代が見えてくる:「平和」と「文明化」の265年』吉川弘文館、2014年
岸本雄次郎『大岡裁きの法律学』日本評論社、2011年

書いた人

学生時代から活動しているフリーライター。大学で歴史学を専攻していたため、歴史には強い。おカタい雰囲気の卒論が多い中、テーマに「野球の歴史」を取り上げ、やや悪目立ちしながらもなんとか試験に合格した。その経験から、野球記事にも挑戦している。もちろん野球観戦も好きで、DeNAファンとしてハマスタにも出没!?

この記事に合いの手する人

1994年生まれのさそり座の女。地元・北千住を愛す。大学在学中、和樂編集部で3年間アルバイトをする。就活に挫折していたところ、編集長に捕獲される。好きになるものの偏りが激しいことが悩み。最近心に響いたコトバは「お酒は嗜好品ではなく必需品」。アルコールは正義だと思っている