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Culture
2021.08.01

宮中でのお盆行事を通じて感じた、お盆に伝えたい思い【彬子女王殿下と知る日本文化入門】

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8月の行事といえばお盆。亡くなった方やご先祖様を偲ぶ仏教行事です。連載「年中行事で知る日本文化」では、彬子女王殿下が宮中で行われていたお盆行事についてご寄稿くださいました。

近代の宮廷文化の研究をする過程でわかった、御所でのお盆行事

文・彬子女王
神道の家で生まれたこともあり、お盆行事とは無縁で育った。お盆だからと帰省する場所もなければ、お墓参りをすることもない。お盆休みは何をすると話す友人たちの話を、どこか他人事のように聞いていたと思う。

でも、近代の宮廷文化の研究をするようになり、明治のころは御所でもお盆行事をされていたことを知ったのである。7月13日から15日の間、生御霊(いきみたま)の御祝というのが行われていたのだそうだ。皇太子同妃両殿下を始め、皇族方、両親が揃っている臣下からも提灯を献上し、それを縁側に吊るし、毎晩灯をともす。中には、毎年有栖川宮家から献上される「お化け」と言われる4尺(約1.2m)くらいの大きな岐阜提灯があり、両陛下がどこに配置されるか差配されることもあったという。興味深いのは、灯をともすのに決まりがあること。13日は、両親が揃って健在の者が、14日は片親の者が、15日は両親を失った者が火を入れる役を仰せつかるのだそうだ。(14日あるいは15日に両親が揃っている者が火を入れるという記録もある)

この三日間は、お上がお休みになるまで灯を絶やさず、その夜の灯ともし役が奉仕する。お盆が終わると、提灯を献上した女官には、ご褒美として御所人形と御袖入れ(緋色の塩瀬に刺繍の入った紙入れ)をひとつずつ、そして京都風のお鮨や鯛めんといった、たくさんのご馳走を賜る。そのご馳走は、女官たちの夜食のときに皆にお福分けされたのだという。

民間の文化を取り入れ、根付かせてきた宮中

この行事は、室町時代の初めころから始まったものと言われ、古代の朝廷の行事にはなく、民間の行事を取り入れたものであるらしい。盂蘭盆会は、現在の父母と過去の父母に敬意を払うのが本義であるが、健在の父母を亡くなった人たちと同じように扱うことはよくないということで、お盆の前に両親が揃っていることを祝い、生御霊の祝としたのだそうだ。平均寿命が延びた今ではあまりない感覚かもしれないが、昔は両親が揃っているということはとてもありがたく、めでたいことであったのだろう。

国立国会図書館デジタルコレクション

宮中の行事が民間に広まっていくのはよくあることだけれど、逆もまたしかり。決まり事も多く、保守的なイメージの強い宮中であるが、よいものであれば、民間の文化であっても取り入れ、根付かせていくというおおらかさも持ち合わせていたということになる。それはまさに、お上はいつも「民と共にある」という御心の表れであるのかもしれない。

提灯を飾ることに込める思い

そこでふと思い出した。父が亡くなられた後、初盆に御所や東宮御所、各宮家からお心入りの提灯を頂いたことを。宮号の由来となった奈良の三笠山や、父のお印だった柏の模様などが描かれた美しい提灯が、御霊舎を華やかに彩った。こうしてお心にかけていただけるのはありがたいことだと思いながら、しばし御霊舎でぼんやりと提灯を眺め、父を偲んだ。

明治時代、御所の縁側に飾られた提灯も、絵柄や形がそれぞれ異なるお心づくしのものであったという。明治になり、儀式は神道に統一されたけれど、明治天皇のお父宮である孝明天皇の山陵が泉涌寺にあることからもわかるとおり、歴代天皇の多くは仏教を信仰されている。表向きは神道になっても、内内でこうして仏式の行事が続けられていたことは、とても自然なことなのだろう。三笠宮妃殿下も、貞明皇后からのお教えで、お盆の時期は軒先に提灯を吊るしておられたという。風に吹かれて提灯が燃えてしまったことがあり、いつの頃からかやらなくなってしまったけれど、きれいなものだったのよ、と。

今も、お盆の時期には御霊舎に提灯を飾っている。本来の意味は失われてしまっているかもしれないけれど、形だけでもその文化が残っているというのはありがたいことであり、それをまた次世代にきちんと伝えていかなければならないと思っている。

「伝統」は「伝燈」

ある友人に、「伝統」という言葉の由来を教えてもらったことがある。「伝統」は、元々「伝燈」であったのだと。伝燈というのは、仏教の言葉で、師匠から弟子に仏法を伝えていくことを言う。統と言う字は、血統とか正統という言葉からもわかる通り、家系、集団などが一続きになっているという意味だ。師匠から弟子に、その弟子に、そのまた弟子にと教えを伝えていくことで、それが一本の糸のようになり、紡がれていったと言うことから、糸偏の統の字を使い、伝統という字を使うようになったのではないか、と。

比叡山延暦寺には、開祖である最澄が御本尊の前に灯して以来、1200年絶やされることなく、守られてきた「不滅の法灯」がある。1200年と言う長い間、毎日欠かすことなく菜種油を継ぎ足し続け、灯されてきた灯である。驚くべきことは、決められた法灯の係がいるわけではないこと。法灯の近くにいる人が、気になったときに油を足したり、灯芯を交換したりして、守られてきたのである。油断大敵という言葉は、毎日当たり前のように行う油の継ぎ足しを怠ることで、法灯の火が消えるという大変なことが起こるというのが語源であるという説もあるそうだ。

最澄は、「明らけくのちの仏の御世までも光りつたえよ法(のり)のともしび」という歌を残している。御霊舎のやわらかな提灯の光を見ながら、文化と言うのは灯なのだと改めて思った。元は一つの小さな灯でも、それを一人一人に分かっていくことで、大きな火にもなり、辺りを広く照らしたりもする。一方、息を吹きかければ、あっという間に消えてしまう儚いものでもある。

お盆には、多くのご家庭でたくさんの灯が灯されるだろう。それが、灯を今までつないできてくれた、多くの人たちに思いを寄せるひとときになることを願って。

※アイキャッチは国立国会図書館デジタルコレクションより

書いた人

1981年12月20日寛仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。