「すべて地元産の原材料で造ったビールが、小豆島で誕生した!」
初夏のはじめ。ビール好きの胸を高鳴らせるこんな情報が飛び込んできました。ビールの主な原材料は麦芽、ホップ、酵母に水。麦芽やホップは日本各地で栽培されてはいるものの、現在ビールに使われている大部分は海外からの輸入品。「いつかはすべて地元産の原材料での地ビールを造りたい」と多くのクラフトビール醸造所が目標を掲げる中、瀬戸内海の離島小豆島でALL小豆島産のビールができたのです。
そのビールの名前は「SHODOSHIMA100」。小豆島にあるまめまめびーるというブルワリーが醸造するビールです。ラベルには小豆島と小豆島の特産品であるオリーブの花。そしてすべて地元素材であることを示す大きな100の文字。
グラスに注ぐと美しい黄金色で、一口含むと麦の香りやあまみがすうっと口の中に広がります。それに続くのは柔らかな苦みとコク。とにかくおいしいビールなのですが、何よりも印象的だったのは、口に含んで一拍後に感じた花のような味わいでした。
「んん?!これは花を使って仕込んだビールなのか?」
驚いてラベルを見ると、原材料に「オリーブ花酵母」という表記。
「ああ、これはオリーブの花の味ね!」
一瞬納得しかけたものの、次第にむくむくと沸き上がってくる疑問。オリーブの花から採取された酵母だからオリーブ花酵母なのだろうけれど、どうしてオリーブ花酵母を使用すると花の味になるのだろう。酵母がオリーブの花を食べたから?それともこの酵母はオリーブの花の中から生まれたということなのだろうか?……そもそも酵母ってなんなんだっけ!?
そこで「一体どうしてオリーブ花酵母を使用すると花のような味にあるのか」その疑問を解決すべく、酵母のプロである香川県産業技術センター発酵食品研究所の大西 茂彦さん(以下大西さん)に「酵母とはなにか」というところからありったけの疑問をぶつけさせていただきました。
酵母ってなんだ?
––まず初めに酵母とはなにかについて教えていただけますでしょうか
大西さん:一言でいえば、酵母は糖分をアルコールと二酸化炭素に分解する微生物です。
––お酒もパンも酵母で発酵させると思うのですが、パンを作る際にもアルコールが出てしまうということでしょうか
大西さん:一口に酵母と言っても様々な種類がいて、それぞれが特色をもっています。パンをつくった際にアルコールが香るようだとマイナスの評価を受けてしまうので、パン作りの際にはなるべくアルコールを作らない性質の、でもパンを膨らませるために二酸化炭素を多く出す酵母が用いられます。逆にお酒造りの際にはアルコールをつくる能力が高い酵母を使いますね。
––酵母によってその働き方が違うとは知りませんでした! お酒をつくる酵母とパンをつくる酵母はまったく別物ということですね
大西さん:実はお酒をつくる酵母もパンをつくる酵母も同じ「サッカロマイセス・セレビシエ」という種類の酵母です。でも同じサッカロマイセス・セレビジエの中でもその役割によってさらにタイプが別れているんです。
––混乱してきました……
大西さん:例えば「酵母」というくくりが「哺乳類」だとすれば、猫が「サッカロマイセス・セレビジエ」というようなイメージです。猫にも様々な種類がいるように、酵母もその特徴によってさらに細分化されていくという感じですね。
「何をつくりたいか」によってサッカロマイセス・セレビジエの中の種類を使い分ける形になります。同じお酒の中でも、ビールをつくるのか、ワインをつくるのか、日本酒をつくるのかでも違うタイプのサッカロマイセス・セレビジエを使用するんですよ。
––様々な種類の酵母がいるのですね!酵母は一体何種類ぐらいいるのでしょうか
大西さん:何種類の酵母が存在しているのか、実はその総数は誰にもわからないんです。企業などが独自の酵母を発見し、保有しているので全体把握ができていないんです。
––企業が独自に酵母の研究を行っているのですね
大西さん:そうですね。有名なところだと、アサヒビールのアサヒスーパードライに使われている酵母があります。スーパードライの酵母はサッカロマイセス・セレビジエの中の「318号酵母」というものなのですが、この酵母は麦汁の中の糖を分解する力がとても高いのが特徴です。この酵母を使用することで、超スッキリ、辛口のスーパードライができあがるわけです。ビール会社などではたくさんの酵母のストックを持っていて、どのようなビールを造りたいかによって酵母を使いわけているのです。
また日本酒業界でいえば、日本醸造協会が優秀な酒蔵のよりよい酵母を集め「きょうかい酵母」として全国の酒蔵に提供していたりします。
日本酒に使用するサッカロマイセス・セレビジエは他のお酒に使用するものとかなり違うもので、日本酒特有の吟醸感や、アルコール度数が高くなるものが選び抜かれて使用されます。その中でもどの酵母を使用するかによって日本酒の香りが変わってくるので、各酒蔵は自分たちが造りたい日本酒に合わせてどの酵母を使用するのかを決めていくのです。
酵母によって変わる味わい
––酵母が香りを生み出すとは知りませんでした!
大西さん:酵母は糖をアルコールと二酸化炭素に分解するのですが、分解する際に酸素が取り込める状況だと酢酸やクエン酸といった酸なども一緒につくり出します。この酸とアルコールが反応することで香味成分(エステル)が生まれるのです。
––「酸素を取りこめる状態だと」ということは、必ずしも香り成分をつくるわけではないのでしょうか
大西さん:そうですね。例えばビールでいえば、上面発酵酵母で造る華やかな香りのエールビールと、下面発酵酵母で造るすっきりとしたピルスナータイプ(スーパードライや一番搾りといった大手のビールなど)がありますよね。上面発酵酵母は液体の表面付近で働くため、酸素を取り込みやすく、先ほどもいったように分解の際に酸を一緒に作り出すので、その酸とアルコールが反応し華やかな香りが生まれます。しかし下面発酵酵母は下の方に沈み、酸素が届かない場所で黙々と分解を行うため、アルコールと二酸化炭素以外はつくりません。それ故、スッキリとした香りのビールになるわけです。
空気中を旅する酵母
––今回「SHODOSHIMA100」を飲んだ時、花の香りがしたのですがそれもオリーブ花酵母由来のものだということでしょうか
大西さん:ビールの香りは、麦の香り、ホップの香り、そして酵母の生み出す香によって形成されています。その組み合わせによって各自がもつ香りが変化したりするので、必ずしも感じた香りがオリーブ花酵母由来のものではないと思います。
「SHODOSHIMA100」について調べたわけではないので詳しいことはわかりませんが、オリーブ花酵母に香りをつくる能力があり、それがホップの香りなどと反応することで偶然花の香りになったのだと思われます。
––オリーブ花酵母だからといって、花の香りになるというわけではないのですね
大西さん:そうですね。オリーブ花酵母とはオリーブの花で採取された酵母のこと。オリーブの花で採取されたからといって、オリーブが酵母になにか影響を及ぼすということはありません。
––そもそもの話なのですが……オリーブの花から採取された酵母は、一体どこからどのようにしてやってくるのでしょうか
大西さん:酵母はほこりや砂粒にくっつき空気中を漂ったり、風に乗って運ばれ移動していきます。酵母は自分の食べ物である糖があるところを好むので、フルーツの表面だったり、蜜のある花などに酵母がたくさん存在しているのですが、今回のオリーブ花酵母は、たまたまオリーブの花に着地していたころを採取されたものです。
––ということは別の花に着地していたら、「オリーブ花酵母」といま呼ばれている酵母は別の名前がついていたかもしれないということなのですね
大西さん:そういうことになります。
––酵母は空気中を漂っているということでしたが、わたしたちの身の回りにもたくさんの酵母がいるということでしょうか
大西さん:その通りです。例えばたくさんの花を摘んできて、ビールの麦汁のような糖のあるところに入れておく。仮にその花の中に1つでも酵母がいれば、分裂、発酵がはじまりその存在を認識することができるかと思います。
酵母の採取をしたい場合、寒天培地の上に酵母を広げて置いておくと酵母は分裂を繰り返すことで塊になり、そのうち目でも見えるようになります。今回オリーブ花酵母を見つけたのは小豆島のヤマヒサ醤油さんなのですが、長年に渡り自身でこの作業を行い、オリーブの花からお酒をつくることができる「サッカロマイセス・セレビジエ」を発見しました。
偶然が重なりオリーブの花の香りになった「SHODOSHIMA100」
聞けばこのヤマヒサ醤油さん、お醤油をつくるのに必要な酵母「ジゴサッカロマイセス・ロキシー」を4年という年月をかけオリーブ花から発見。その後さらに年月を重ね、お酒をつくることができる酵母「サッカロマイセス・セレビジエ」をオリーブ花から見つけるべく研究を重ねていたといいます。
ヤマヒサ醤油さんがオリーブ花から「サッカロマイセス・セレビジエ」を発見したのは2020年。それはまめまめびーるさんが「ALL小豆島産」でビールを造ろうと試行錯誤しはじめてから4年目のことで、小豆島産の麦と小豆島産のホップがやっとのことで出来上がり、後はホップさえあればビールが醸造できる! というタイミングでした。偶然にもビールに必要な原材料が同じタイミングで出そろったのです。
香りをつくる能力が高い酵母が、偶然オリーブ花に着地。そして小豆島産の麦やホップの香りと組み合わさることで、偶然にもほんのりとあまいオリーブ花のような香り出した。
ヤマヒサ醤油さんによるオリーブ花酵母の発見がもう少し遅かったのならば……ひょっとしたらまめまめびーるさんは違う酵母を使用し、「SHODOSHIMA100」は全く違う味わいになっていたかもしれません。いくつものの偶然が重なって生まれた花のような味わいのビールは、「偶然が生んだ小豆島の恵み」であり、その味わいでも小豆島をイメージできる、特別なものになったのです。
まめまめびーるの「SHODOSHIMA100」は酵母が生きた状態で瓶に詰められています。酵母はある程度糖をアルコールと二酸化炭素に分解すると、その動きが低下。そのタイミングを見計らい温度をぐぐっと下げてやることで、眠った状態になり生きたままで瓶詰めすることができます。
一度眠った酵母が再び目を覚ますのは、その温度が上がったとき。つまり瓶の栓を抜き、飲み進めていくうちに小豆島からやってきた酵母たちはグラスの中で動き出すのです。
風にのって小豆島を旅していた酵母が、ビールという船にのり自宅までやってくる。小さな酵母の大きな旅路の話を舌で聞くことができるのは、クラフトビールの大きな魅力のひとつであるともいえるでしょう。