Culture
2021.12.07

大晦日とは?歴史や由来を3分で解説!

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まだ先だと思っているうちにやってくるのが大晦日(おおみそか)。「あれもこれも年内にやっておきたいのに!」と焦っていませんか?

やりたいことが多すぎて、結局何もできずに終わります!

これから「大晦日とは?」といったことについて3分(目標)で簡単にご説明しますので、深呼吸しながら読んでみてください。ひとまず、気持ちが落ち着くかもしれません。

大晦日と大つごもり

大晦日の「みそか」は、「三十日」が由来となっています。
現代の大晦日は12月31日ですが、太陰太陽暦の時代は12月30日でした。
この暦は今と同じ12カ月でも「大の月」と「小の月」があり、大の月は30日、小の月は29日まででした。12月(師走)は大の月です。
晦日は月の末日を意味するので、小の月では29日でも晦日と言います。そして、1年の締めくくりである12月の末日は大晦日と呼ばれていました。

「大」がつくことで1年の集大成という感じがしますね!

大晦日には、大つごもり、年越し、大年(おおとし)といった別名があります。
大つごもりの「つごもり」は「みそか」と同じく「晦日」と書き、月籠(つきこもり/月隠りとも)から来ているとされます。新月になる朔日(さくじつ)の直前、月が見えにくくなっている状態を表した言葉です。

今昔大晦日ばなし

江戸時代の大晦日の過ごし方は?

現代での大晦日らしい風景と言えば、除夜の鐘を聞きながら年越し蕎麦を食べることでしょうか。年末恒例のテレビ番組やイベントも多いですよね。
一方、江戸時代の人々はどんなふうに大晦日を過ごしていたと思いますか?

大晦日は本来、歳神(としがみ/毎年正月に各家にやってくる来訪神)を迎えて祀る準備を済ませ、忌籠(いごもり/けがれに触れないように家にこもること)をする日でした。また、お盆と同様、大晦日には先祖の霊が訪れると信じられていました。

お盆だけかと思ってた!

年末に向けて、12月8日や13日に「煤(すす)払い」を行い、大掃除で1年の穢れをあらかじめ落とします。

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また、末広がりの「八」がつく28日までに、正月に飾る鏡餅用の餅をつきました。

29日は「二十九=二重苦(にじゅうく)」となることから縁起が悪いとされました。大晦日ぎりぎりに餅をつくのも、「一夜飾り」と言われて避けられていました。(画像出典:国立国会図書館デジタルコレクションより『暦中段尽くし』)

かつて、1日の区切りは日没と考えられていました。現代では深夜0時が年の境目とされますが、江戸時代の人々は日が暮れると同時に新年を迎える意識になりました。
この夜は寝ずに、歳神を迎えます。早く寝ると白髪になると信じられており、一晩中起きていた人が多かったようです。

カウントダウン⇒初日の出を見に行く、という王道年越しスタイルはGOODな過ごし方なんですね!

年越し蕎麦を食べる風習は、江戸時代に江戸や大坂(現在の大阪)など都市部を中心に定着したと言われています。全国的な文化になったのは戦後、メディアや流通が発達してからになります。
どうして蕎麦を食べるかは、「命が細く長く続くように」「蕎麦が切れやすいことから、1年の厄や借金を切り捨てて翌年に持ち越さないようにと願いを込めた」などの説があります。

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江戸時代の年末の風物詩「掛け取り」

年末年始の休みに入る前に、なるべく仕事を進めておきたい。そう願う現代人は少なくないでしょう。大変ですよね、年末進行。
今とは少々異なりますが、江戸時代の人々も年末は忙しくしていたようです。
たとえば、商人です。

当時は、1年の節目となる日にまとめて支払う「掛け売り」が一般的でした。
その節目とは、お盆と大晦日の年2回とされることが多かったようです(毎月末や五節句を区切りとしている店もあり)。

「ボーナス一括払い」みたいな感じ?

大晦日は、商人たちがあちこちへお金の回収に駆け回る日でした。これを「掛け取り」と言い、冬の季語にもなっています。
ここで回収できないとお盆まで待つ羽目になるので、商人たちは必死です。しかし、相手が素直に支払ってくれるとは限りません。特に裕福でない人々からすれば、支払い時期が延びるに越したことはなかったのですから。

江戸時代は、こうした掛け取りを題材にした『掛取万歳(かけとりまんざい)』『文七元結(ぶんしちもっとい)』などの落語が生まれるほど、ありふれた風景だったようです。

平安時代の年末は? 「追儺」と「大祓」

皆さんは、「追儺(ついな)」を一発で読めましたか? これは悪鬼・疫病を祓(はら)う儀式で、平安時代の年末に宮中で行われていました。鬼やらいとも言います。

どんな儀式かというと、まずは疫病の鬼に扮した舎人(とねり/下級官人)が内裏を逃げ回ります。すると、黄金の四つ目の面をつけた方相氏(ほうそうし/中国の神)役の官人が、手にした矛と盾を打ち鳴らして追いかけ、鬼を内裏の門外へ退散させるという流れです。
時代によっては方相氏が鬼役になったり、貴族たちが桃の弓と葦の矢で鬼役を追い払ったりしました。

ネグリジェのような衣服を着た方相氏
画:勝川春英 メトロポリタン美術館

追儺は中国が起源で、文武天皇のころ日本に取り入れられたとされます。その後、諸国の社寺に広まりました。
節分に行う豆まきは、追儺が変化したものと言われています。

昔の宮中行事でもうひとつご紹介したいのが「大祓(おおはらえ)」。大祓とは、人々の犯した罪や穢(けが)れを祓う目的で、6月末日と12月末日に行われた神事です。
6月に行うのは夏越(なごし)の祓、12月に行うのは年越の祓と呼びます。

宮中では、親王や在京の役人たちを朱雀門(すざくもん)前の広場に集めて行われていました。応仁の乱で一度廃れてしまいますが、のちに復活しました。民間では現在、6月の夏越の祓のときに大きな茅の輪をくぐって穢れを祓う風景が各地の神社で見られます。この茅の輪くぐりは、場所によっては12月の年越の祓にも行われます。

▼彬子女王殿下による「夏越の祓」の記事はこちら
夏越の祓と水無月の関係とは?彬子女王殿下と知る日本文化入門

1年の区切りである大晦日は、古くから大事な日として扱われていました。年越しをゆっくり過ごすために、慌てずに少しずつ今年の穢れを落としていきましょう。

アイキャッチ画像:国立国会図書館デジタルコレクションより『千代田之大奥 御煤掃』(部分)

主な参考文献
『暦の百科事典:2000年版』 暦の会/編著  本の友社 1999年
『季節を読み解く暦ことば辞典』 三省堂編修所/編 三省堂 2002年
『平安時代 儀式年中行事事典』 阿部猛・義江明子・相曽貴史/編 東京堂出版 2003年
『年中行事大辞典』 山田邦明・長沢利明・高埜利彦・加藤友康/編 吉川弘文館 2009年
『暦と行事の民俗誌:増補改訂版』 佐藤健一郎・田村善次郎/著 工藤員功/写真 八坂書房 2019年

おうちで楽しむ 季節の行事と日本のしきたり

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日本文化や美術を中心に、興味があちこちにありすぎたため、何者にもなれなかった代わりに行動力だけはある。展示施設にて来館者への解説に励んだり、ゲームのシナリオを書いたりと落ち着かない動きを取るが、本人は「より大勢の人と楽しいことを共有したいだけだ」と主張する。