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2022.01.28

大河の予習に『慈光寺本承久記』を読んでみたら北条政子の大演説にたぎった

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承久の乱といえば! 北条政子(ほうじょう まさこ)の演説! というイメージの人も多いでしょう。『慈光寺本承久記(じこうじぼん じょうきゅうき)』でもついに北条政子の演説シーンが出てきましたよ~!

▼「『慈光寺本承久記』を読んでみた」シリーズの過去作はこちら!

前回までのあらすじ

北条義時(ほうじょう よしとき)のドヤ顔にイラっとした後鳥羽上皇(ごとば じょうこう)は、ついに義時を討ち取れという内容の院宣(いんぜん=上皇の命令書)を出しました。その院宣の使者に選ばれたのは、都で一番足の速い押松丸(おしまつまる)くん!

3日半で京都から鎌倉へ行ったそうです。走って。

はたして押松くんは無事に院宣を配りに行けるでしょうか!?

ソッコーばれた後鳥羽上皇の院宣

承久の乱の前哨戦として討ち取られた伊賀光季(いが みつすえ)の使者も、押松くんと同日の日没ごろに鎌倉に到着し、まず北条政子のもとに行きました。

すると北条政子は、鎌倉中にお触れを出します。ソッコーで伊賀季光が討ち捕られて院宣が出された事が知れ渡りました。それを聞きつけて御家人たちが北条政子の屋敷に集まりました。その中には、後鳥羽上皇が院宣を届けて仲間にしようとしていた人物がほとんど含まれていました。

なるほどそういう経緯があったのか~。

北条政子の大演説

北条政子は言いました。

「皆さん、聞きなさい。私のように若い頃から悲しい思いをしてきた者はいないでしょう。

初めは長女の大姫に先立たれ、次は頼朝様。そのまた次は頼家、その次ほどなく実朝に先立たれました。4度の思いはもう過ぎた事だけど、今度また弟の義時が討たれれば5回目の思いになります。女人五障(にょにんごしょう)とはこのことか。女は仏になれず、悲しみにくれるだけか。

あなた方は昔、京に上って大番役を務めていましたね。大番役では雨降りの日も日照りの日も大庭に皮を敷いていました。三年間も住む所に悩み、妻子が恋しいと思っていたはず。しかし頼朝様が大番役の任期を半年に短縮させ、我が子の実朝が徐々に廃止させてきました。

それなのにあなた方は京方につき、鎌倉を攻めようとするのか。頼朝様、実朝のご墓所を馬の蹄で蹴るつもりならば、武神の加護は期待するでない。

私は深山に遁世し、涙を流して暮らします。どうぞ私を不憫と思いなさい。私は若い頃から、このようなきつい物言いをする者です。京方について鎌倉を攻めるつもりか、鎌倉について京に攻めるつもりか、ありのままを申しなさい。

女人五障

女人五障とは、当時の仏教における女性が持っている5つの障害の事です。この場合の「障害」とは、悟りに至るのを邪魔をするものを指します。政子さんの演説に出て来る五障はどれも夫や子どもに先立たれた悲しみです。大きな感情は悟りの妨げになると考えられていたため、死の悲しみを「障害」になぞらえました。

……でも、私、ちょっと引っかかるんですよね。大姫に頼朝さんと、頼家さん。実朝さん……あれ? 三幡(さんまん)ちゃんは?

三幡ちゃん……またの名を乙姫。頼朝さんと政子さんの次女で、頼家さんの妹、実朝さんの姉です。長女の大姫が後鳥羽院の妻になる計画がありましたが、実行に移す前に大姫は病で亡くなってしまいました。そして次に白羽の矢が立ったのが次女の三幡ちゃんですが、彼女もまた幼くして病で亡くなってしまったのです。

夫の子どもの死を嘆いているのに、三幡ちゃんを外して弟をぶっこむかしら……? と思いますが、慈光寺本承久記の作者は(おそらく)京の人です。京では三幡ちゃんの存在はあまり有名ではなかったのかもしれませんね。

なるほど。書き手の事情もあるのですね。

源氏三代の墓所

それからもう一つ。「頼朝様、実朝のご墓所」と、頼家さんの墓所を抜かしているのは気になります。

頼朝さんの墓所は法華堂跡、実朝さんの墓所は寿福寺。2人とも鎌倉にありますが、頼家さんの墓所は伊豆の修善寺にあります。「鎌倉」にないのであえて抜かしたんでしょうか……。でも頼家さんも入れてあげて!!

色々飛ばしがちな筆者だなぁ!

媒体によって違う、政子の大演説

この大演説、ちょっと詳しい人は「あれ? なんだか違くない?」と思った事でしょう。有名なフレーズ「頼朝様の御恩は山より高く、海より深い」が出てきません。

めっちゃ思った。

実は、「山より~」の方の演説は、『吾妻鏡』の承久3(1221)年5月19日条に記載されているものです。状況も少し違い、この演説したのは北条政子本人ではなく、北条政子がこう言ったという文を読み上げた、安達景盛(あだち かげもり=安達盛長の息子)です。

そして、承久記の別バージョンである『流布本(るふぼん)承久記』では、政子の元に集まったのは御家人たちではなく北条義時本人で、演説と言うよりは、自分の人生がいかに悲しいものかという訴えが主になっています。

正確な状況はわかりませんが、政子の言葉が多くの御家人の心に刺さったのは事実なのでしょう。

色んなアレンジ(?)があるのですね。状況や言葉はともかく、核心が大事であると。

武田信光登場

さて。政子の大演説を聞いて進み出たのは、武田信光(たけだ のぶみつ)。武田信義(たけだ のぶよし)の息子で、戦国武将の武田信玄の先祖です。

「昔から、48人の有力御家人は、源氏7代まで守ろうと契りを交わしておりました。今更誰がその約束を破ろうとするのでしょうか。48人の御家人は、みんな政子様の味方ですよ」

48人の有力御家人……? その話、坂東武者クラスタ初耳なんですけど……。一体誰なんでしょう。少なくとも、武田信光はその1人だったに違いありません。このGKN48のメンバーが誰なのか、想像してみるのも面白いでしょうね。

あのアイドルグループの元祖はGKN(御家人)だったのか……。

それはさておき、武田信光の言葉には、その場にいた御家人たちにとっても同じなようで、誰も異議を唱えませんでした。……というか、異議があっても、言えるような空気じゃなさそうですね。

その様子に政子は畳みかけるように言いました。

「ならば皆さん、早く義時の所に行って、軍具を始めなさい」

おおう! 流れるように戦が始まろうとしています! さすが尼将軍、御家人の扱いに慣れていらっしゃる! 御家人たちに一旦立ち止まって考える隙を与えません!

一方、当の義時はどうなっているのでしょうか……ということで、次回に続く!

▼おすすめ書籍
北条政子 (文春文庫)

アイキャッチ画像:菊池容斎 『前賢故実 巻第8』平政子 出展:国立国会図書館デジタルコレクション

書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。