手紙は、日本史に登場する重要人物の個性やその周辺の政情などを知ることができる、貴重な資料です。堂々とした書の筆の運びはもちろんのこと、その内容まで、歴史上人物が書いた、じっくりと見つめてみたい手紙をご紹介します。
豊臣秀吉「自筆書状」
意外にマメで優しい夫でした
一幅 紙本墨書 戦国時代・文禄2(1593)年〜文禄5(1596)年ごろ上段22.6×50.8㎝、下段22.5×49.7㎝ 個人蔵 写真撮影:東京大学史料編纂所 写真提供:兵庫県立歴史博物館
2017年に発見されたばかりの、秀吉が側室の茶々に送った手紙。茶々がお灸をすえるほど高熱だったことを心配したが、具合がよくなったと聞いて満足したということや、サンマを送ったので食べるようにという、のどかな内容です。文末に「おちゃちゃ」「大かう(太閤)」と記されているのもほほえましく、茶々に対して、細やかな愛情を注いでいたことがわかります。
西郷隆盛「勝海舟宛書翰」
日本の岐路となった運命の日の手紙
一幅 紙本墨書 江戸時代・慶応4(1868)年 14.2×55.1㎝ 東京都江戸東京博物館 Image:東京都歴史文化財団 イメージアーカイブ
2018年、話題の「西郷どん」こと西郷隆盛。新政府軍参謀の西郷は、慶応4(1868)年、鳥羽伏見の戦いから江戸開城に至るまで、幕府側の陸軍総裁であった勝海舟と幾度も書簡をやりとりして、会談を行いました。同年3月14日の薩摩藩邸蔵屋敷での会談の際、勝が蔵屋敷に到着したことを書簡に記し、この書は、その返事として、西郷が早速向かうので待っていただきたいと記した返事です。
藤原定家「申文」
文化人といえども、組織の中では昇進したいんです
重要文化財 一幅 紙本墨書 鎌倉時代・13世紀 123.0×108.4㎝ 東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
「新古今和歌集」の撰者であり、歌人として名を馳せた藤原定家ですが、生涯、官位には不遇であったようです。この書は、左近衛少将から左近衛中将に昇進したいという希望を述べたもの。自分の経歴、兄弟や同僚と比較するなど必死のプレゼンテーションが見てとれます。念願叶って、建仁2(1202)年、13年ぶりに昇進が実現しました。